アドラーが唱える「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」の中で

「交友のタスク」とは仕事を離れた、もっと広い意味での友人関係です。仕事のような強制力が働かないだけに、踏み出すのも深めるのもむずかしい関係になります。

まず、友達が多いほどいいと思っている人は大勢いますが、はたしてそうでしょうか。
友達や知り合いの数には、なんの価値もありません。
これは愛のタスクともつながる話ですが、考えるべきは関係の距離と深さなのです。

あなたが変われば、周りも変わります。
変わらざるを得なくなります。

アドラー心理学とは、他者を変えるための心理学ではなく、自分が変わるための心理学です。
他者が変わるのを待つのではなく、そして状況が変わるのを待つのではなく、あなたが最初に一歩を踏み出すのです。

「愛のタスク」についてです。
ここは2つの段階に分かれると考えてください。
ひとつは、いわゆる恋愛関係ですね。そしてもう一つが家族との関係、とくに親子関係になります。
仕事、交友と続いてきた3つのタスクのうち、愛のタスクが最も難しいでしょう。

たとえば友人関係から恋愛に発展したとき、友達の間では許せていた言動が、恋人になった途端に許せなくなることがあります。

具体的には、異性の友達と遊んでいるのが許せなかったり、場合によっては異性の誰かと電話をするだけで嫉妬する。
それだけ距離も近いし関係も深いのです。

しかしアドラーは、相手を束縛することを認めません。
相手が幸せそうにしていたら、その姿を素直に祝福することができる。それが愛なのです。
互いを束縛するような関係はやがて破綻してしまうでしょう。

しかし、浮気は積極的に肯定しません。
こう考えてください。
一緒にいて、どこか息苦しさを感じたり、緊張を強いられるような関係は、恋ではあっても愛とは呼べない。
人は「この人と一緒にいると、とても自由に振る舞える」と思えたとき、愛を実感することができます。
劣等感を抱くでもなく、優越性を誇示する必要にもかられず、平穏な、きわめて自然な状態でいられる。本当の愛とはそういうことです。

一方の束縛とは、相手を支配せんとする心の表れであり、不信感に基づく考えでもあります。

自分に不信感を抱いている相手と同じ空間にいて、自然な状態でいることなどできませんよね。

アドラーは言います。「一緒に仲良く暮らしたいのであれば、互いを対等の人格としてあつかわなければならない」と。

ただし、恋愛関係や夫婦関係には「別れる」という選択肢があります。長年連れ添った夫婦であっても、関係を続けることが困難であれば別れることもできるわけです。
ところが、親子関係は原則としてそれができない。
恋愛が赤い糸で結ばれた関係だとするならば、親子は頑強な鎖でつながれた関係です。
しかも自分の手には、小さなハサミしかない。親子関係の難しさはここにあります。

では、どうすればいいか、今の段階で言えるのは、逃げてはならないということです。
どれほど困難に思える関係にあっても、向き合うことを回避し、先延ばしにしてはいけません。
たとえ最終的にハサミで断ち切ることになったとしても、まずは向かい合う。
いちばんいけないのは、「このまま」の状態で立ち止まることです。

対人恐怖症、社交不安障害を克服したい人の中にも恋愛や親子関係でつまずいている人も多くいると思います。辛いかもしれませんが、アドラーの言う通りまずは向かい合ってみると何かが変化するかもしれません。

※参考文献:嫌われる勇気 岸見一郎著