「悪いことをするから叱る」は親の言い訳

愛着の安定にとって、安全基地がいかに大切であるかをお話しするとき、ときどき聞かれる質問がある。

「子どもを叱らないで甘やかしていたら、余計手が付けられなくなるのではないですか」「悪いことをしたら、叱るのは当然ではないですか」という質問である。

質問には、その人の考え方が表れるものである。

この質問の場合も、その人が当然のこととみなしている前提が示されている。

一つ目は「叱らないこと=甘やかすこと」だとみなしている点である。

つまり、この方の中には、叱って厳しくするか、甘やかして好き放題にさせるか、のどちらかの選択肢しかない。

そして、もう一つの前提。

それは「悪いことをするから叱るのであり、叱らなければ、もっと悪いことをする」という思い込みである。

まず一つ目の前提だが、じつは、叱って厳しくするだけでもなく、甘やかして好き放題にさせるだけでもない、その中間の選択肢があるのだ。

それが「安全基地になる」ということである。

本人の主体性を尊重しつつも、助けが必要なときには、すぐ手を差し伸べる。

時には、叱ることも必要だが、それはあくまでも本人を危険から守るためであり、そんな場面は、そうやたらとあるわけではない。

もしあなたが始終叱っているとしたら、叱る必要もない場面で、叱っているということだ。

そしてその前提は、もう一つの前提である「悪いことをするから叱る」という言い分とも絡んでいる。

愛着は元来、捕食動物などの危険から子どもを守るために進化した面をもつとされる。

安全基地は、文字通り、子どもを危険から守るためのものでもあった。

そして、叱るという行為も、本来は子どもを危険から守るためのものだと考えられる。

危ないことをすれば、それを止めようとする。

母親の視界からいなくなったりすれば、そんなことをしないように、叱らねばならなかった。

ただここで注意すべきは、愛着がしっかりと育まれている場合には、子どもは母親の目の届くところにとどまろうとし、あまり危険なことをしないということである。

愛着が安定型の子は、あまり叱らなくてすむのだ。

一方、回避型のような愛着の希薄な子どもでは、どこかに行ってしまったり、危険な目にあったりしやすいのである。

つまり回避型の子は、より叱られやすいということになる。

しかし、そもそも、なぜ回避型になったのか。

それは、求めても応えてもらえず、放っておかれたためである。

気まぐれな親から虐待を受けている無秩序型(混乱型)の子どもの場合も、愛着は不安定で、子どもは親を必要としていると同時に、恐れている。

彼らは、親が近づいてきたり言葉を発しただけで、反射的に固まり、防御の姿勢をとる。

親から理不尽に叱られ、暴力を振るわれてきたためである。

彼らが叱られるのは、彼らのせいというよりも、親が不安定なためである。

両価型の子どもの場合は、親に過剰にしがみつこうとする一方で、思い通りにならなかったりすると、怒りや攻撃で反応する。

その極端さや素直でない逆説的な反応に、親の方はイライラさせられやすい。

普段は従順な良い子であるが、突然、癇癪を起こし、親に対して暴言や暴力をぶつけたりする。

良い子と悪い子が同居していて、何かの拍子に入れ替わる。

親は悪い子の部分を叱り、良い子でないことをなじる。

だが、子どもが、両極端に裏返る不安定な愛着を示すのは、親の愛し方に差が生まれたためである。

たとえば、下に弟や妹ができて、愛情を奪われてしまったためだ。

それは、彼らが「悪い子」だからではない。

「悪いことをするから叱る」と本気で思っているとしたら、それは子どもの気持ちが、ちっとも見えていないということになる。

※参考文献:愛着障害の克服 「愛着アプローチ」で、人は変われる 岡田尊司著