好かれているのに嫌われていると思い込んでいる自分らしく生きることができない人がいる。

他人から見ると「それ」はその人の長所なのに、その人は「それ」を弱点と思って、隠そうと必死になっていることがある。

ここでは人々のいろいろな勘違いについて記しました。

無理しない方が好かれるのに、自分らしく生きることができない人々は好かれようと無理をする。

自分らしく生きることができない人は無理をして辛い思いをして、かえって好かれない結果に終わる。

そしてなんと多くの人が、相手の心を読み違えて、無益に苦しんでいることだろう。

周囲の人の心を読み違えることは、本当に不幸なことである。

自分らしく生きることができない人は好かれるために辛い努力をして、その結果、逆に嫌われたりするのである。

自分らしく生きることができない人は自分のいいところを見せようと無理をして、逆に相手から「なんでこの人はこんなことをするのだろう」と興ざめされる。

自分らしく生きることができない人は尊敬されたくて虚勢を張って、かえって尊敬を失ったりする。

自分らしく生きることができない人は虚勢を張っているときに尊敬されることはない。

被害妄想という言葉がある。

被害妄想とは被害を受けていないのに被害を受けていると思っている心理である。

同じように被責妄想ということをある心理学者は言っている。

相手から責められていないのに責められていると感じてしまう心理である。

相手を見て、相手の現実がわかれば、相手が自分を責めていないということがわかる。

しかし勘違いする自分らしく生きることができない人は、自分の現実だけが唯一の現実である。

自分らしく生きることができない人は相手に対する思いやりがゼロであると同時に、相手の現実がゼロである。

自分らしく生きることができない人は相手が何を考えているか、相手が何を感じているか、相手が何を言おうとしているかは、まったく見ていない。

すべて自己中心的に解釈する。

自分らしく生きることができない人は「私は責められた」と感じれば、責められたのである。

これもまったく現実にコミットしていない。

一人でいても、他人といても自分らしく生きることができない「居心地の悪さ」を感じる人へ

さらに、被害妄想という言葉にならってということをいいたい。

自分らしく生きることができない人の嫌われていないのに嫌われていると思い込んでいる心理である。

ここでは、弱点があらわれることを恐れる、この被嫌妄想について記した。

被嫌妄想の心理にとらわれると、自分らしく生きることができない人は「弱点があらわれると嫌われる」と思い込む。

弱点があっても嫌われないのに、「嫌われる」と思い込んでいる自分らしく生きることができない人々のなんと多いことか。

人間というのは、無理をしないで自分らしく素直な気持ちでいると、その人の気がついていない「その人のよさ」が自然とあらわれる。

自分らしく生きることができない人は無理をするから、その人のよさが、かえってなくなってしまう。

自分らしく生きることができない人は辛い思いをしながら、かえって「自分のよさ」をなくしているのである。

無理をしないで生きていれば、皆から好かれる人生を送れるのに、自分らしく生きることができない人は無理をして独りぼっちになる。

辛い努力をしてかえって皆から敬遠されて、淋しい人生を送る自分らしく生きることができない人がいる。

被害妄想の心理も人を不幸にするが、それ以上に被嫌妄想の心理のほうが、多くの人を不幸にしているような気がする。

弱点のある人ほど、人生を楽しめる!?

無理をしてしか好かれないような自分らしく生きることができない人には、好かれないほうが幸せである。

自分らしく生きることができない人は好かれようと無理をしているうちに、もともと備わっている自分の価値に気がつかなくなってしまう。

そうなっている自分らしく生きることができない人が、たくさんいすぎる。

右をみても左を見てもそんな自分らしく生きることができない人がいる。

よく私達は「あの人は被害妄想だ」と言う。

しかしそれ以上に「あの人は被嫌妄想だ」と言いたくなることが多い。

自分らしく生きることができない人は素晴らしい人なのだが、見ているとどうも、自分のことを恥じているようなのである。

そして自分らしく生きることができない人は虚勢を張っている。

自分らしく生きることができない人はありもしない力を誇示しようと必死になっている。

その自分らしく生きることができない人が隠しておきたいと望んでいるところのものは、こちらから見ると決してその人の弱点ではない。

その自分らしく生きることができない人が一人で勝手に自分のある点を、自分の劣等な部分と解釈しているだけの話である。

自分らしく生きることができない人は弱点でないものを弱点と思いこんでいるだけなのである。

そして自分らしく生きることができない人はその弱点のあらわれることを恐れている。

嫌われていないのに「嫌われている」と一人で思い込んでいる人と同じように、軽蔑されていないのに「軽蔑されている」と思い込んでいる自分らしく生きることができない人がいる。

この世の中には、誰もその人を劣っているなどと思っていないのに、一人で勝手に「自分は劣っている」と劣等感を持ってひがんでいる自分らしく生きることができない人の、なんと多いことか。

自分で自分を軽蔑している自分らしく生きることができない人は、自分の歩んできた道を不満に思っている人である。

実際は、自分が歩いてきた道は立派なのに、自分らしく生きることができない人は勝手に自分で卑下している。

その満足していない自分を見て、自分らしく生きることができない人は自分が自分をダメだと思う。

自分で自分を軽蔑している自分らしく生きることができない人は、相手が尊敬して言っていることに「バカにしたな」と怒ることがある。

自分らしく生きることができない人は驚いて笑うと「軽く見たな」と怒る。

普通は相手の顔を見れば、相手が尊敬して言っているのか、面白くて笑っているのかわかる。

だから傷つかない。

しかし自分で自分を軽蔑している自分らしく生きることができない人は、その判断力のないことが多い。

そこで周囲の人は「そんなつもりで言ったのではないのに」と思うことが多くなるのである。

親しいから言っているのに、見下していると思う自分らしく生きることができない人がいる。

尊敬しているからありのままの自分を出しているのに、軽蔑していると思う自分らしく生きることができない人がいる。

被害妄想というが、被蔑視妄想というほうが適切である。

現実と関係なく、想像の世界で、一人で悩んで一人で疲れていく自分らしく生きることができない人がいる。

被嫌妄想の人にしろ、被蔑視妄想の人にしろ、自分らしく生きることができない人の現実にコミットすることなく、独りよがりの想像の世界でいきることの恐ろしさ。

ほんの少し、ここに気づくだけで・・・

イソップ物語に「オンドリとシャコ(ウズラに似た、ウズラよりやや大きい鳥)」という話がある。

オンドリをたくさん飼っている人が、シャコを買って家に帰ってきた。

オンドリはそのシャコをつついて、追い回した。

そこでシャコは苛められたと思い込んだ。

そして、もちろん落ち込んだ。

「自分がよそから来たから、意地悪されたのだ」と思ったのである。

しかし、よく観察すると、オンドリ同士がつつきあっている。

そのつつきあうのを見て、「自分だけがやられているのではない」とはじめて気がつく。

そこで元気になる。

バカにされていないのに「バカにされた」と思い込む自分らしく生きることができない人は多い。

相手は決してなめていないのに自分らしく生きることができない人は「なめられた」と思い込む。

そして自分らしく生きることができない人は「なめるな!」と怒る。

まさに被蔑視妄想である。

自分らしく生きることができない人は蔑視されていないのに蔑視されていると思い込む。

相手の特性を知らないことが大きな原因でもある。

オンドリの特性を知らないから「バカにされている」とシャコは思う。

シャコは「自分だからつつかれた」と誤解した。

自分らしく生きる。あなたはもっと、自分に誇りを持っていい

劣等感を持つと、被蔑視妄想に悩まされる。

被嫌妄想、被責妄想、被蔑視妄想等々、極端にいえば私たちは、さまざまな妄想の中で生きている。

ハーバード大学の心理学教授、エレン・ランガーの言葉を使えば「とらわれ」である。
ここにはそれらの「とらわれ」から解放されるためのことを記した。

「人は過去と想像に影響される」とは名言である。

この過去と想像から自由になることこそ「自律」である。

そして人間は自由になっていくプロセスで、ものすごい心的エネルギーを必要とする。

そしてそれら被蔑視妄想や被嫌妄想の心理にとらわれている自分らしく生きることができない人は、何よりも自分の長所に誇りを持っていない。

そして自分らしく生きることができない人にとってもう一つの重要な特徴は、生きることを急いでいる。

自分らしく生きることができない人は成果を焦っているのである。

だから自分らしく生きることができない人は落ち着きがない。

「実際のところ、たとえ幸福に関する唯一の重要な問題ではないとしても、もっとも重要な問題は、幸福に適した素質を持ち合わせていない人が幸福になれるかどうか、ということだ」と、ポーランドの哲学者、タタルケビッチはいう。

ここではその重要な問題に取り組んだ。

自分の弱点を隠して、人前で理想の自分を演じようと必死になっている自分らしく生きることができない人は「幸福に適した素質を持ち合わせていない人」である。

「『幸福になりやすい質』で、特に運がよくなくても幸福になる人もいれば、最高の環境がそろっても不幸な人もいる」。

確かにこのとおりである。

ここでは、タタルケビッチのいう「幸福に適した素質を持ち合わせていない人」がどうしたら「幸福になりやすい質」に変われるのかを考えた。

多くの人は自分の弱点を必死になって隠し、虚勢を張って生きている。

しかし、人間関係で無理しないほうが愛される。

※参考文献:無理しない練習 「自分らしく」生きたほうが好かれる 加藤諦三著