引きこもっている人の場合、
引きこもっている状態から抜け出すのか抜け出さないのか、あるいはどうやって抜け出すのか。
これは原則として本人が解決するべき課題です。
親が介入することではありません。
とはいえ、赤の他人ではないのですから、何らかの援助は必要でしょう。
この時、もっとも大切なのは、子供が窮地に陥った時、素直に親に相談しようと思えるか、普段からそれだけの信頼関係を築けているか、になります。

それでは仮に先生の子どもが引きこもった場合どうするか?
まず私(先生)自身が「これは子供の課題なのだ」と考える。引きこもっている状況について介入せず、過度に注目することを止める。
そのうえで、困った時にはいつでも援助する用意がある、というメッセージを送っておく。そうすると、親の変化を察知した子供は、今後どうするのかについて自分の課題として考えざるを得なくなります。
援助を求めてくることもあるでしょうし、独力で何とかしようとすることもあるでしょう。

子供との関係に悩んでいる親は、「子供こそわが人生」だと考えてしまいがちです。
要するに、子供の課題までも自分の課題だと思って抱え込んでいる。
いつも子供のことばかり考えて、気が付いた時には人生から「わたし」が消えている。

しかし、どれだけ子供の課題を背負い込んだところで、子供は独立した個人です。
親の思い通りになるものではありません。
進学先や就職先、結婚相手、あるいは日常の些細な言動でも、自分の希望通りには動いてくれないのです。
当然、心配になるし、介入したくなることもあるでしょう。でも、「他者はあなたの期待を満たすために生きているのではない」と。
たとえわが子であっても、親の期待を満たすために生きているのではないのです。

むしろ距離の近い家族だからこそ、もっと意識的に課題を分離していく必要があります。

信じるという行為もまた、課題の分離なのです。
相手のことを信じること。
これはあなたの課題です。
しかしあなたの期待や信頼に対して相手がどう動くかは、他者の課題なのです。
そこの線引きをしないままに自分の希望を押し付けると、たちまちストーカー的な「介入」になっています。

たとえ相手が自分の希望通りに動いてくれなかったとしてもなお、信じることができるか。
愛することができるか。
アドラーの語る「愛のタスク」には、そこまでの問いかけが含まれています。

こう考えてください。
他者の課題に介入すること、他者の課題を抱え込んでしまうことは、自らの人生を重く苦しいものにしてしまいます。

もしも人生に悩み苦しんでいるとしたら―その悩みは対人関係なのですから―まずは、「ここから先は自分の課題ではない」という境界線を知りましょう。
そして他者の課題は切り捨てる。それが人生の荷物を軽くし、人生をシンプルなものにする第一歩です。

対人恐怖症、社交不安障害を克服するにはこの課題の分離を常に考え実行することです。

※参考文献:嫌われる勇気 岸見一郎著