書道家の武田双雲さんが、ご自分の子ども時代について語っている。

双雲さんは、一風変わった子どもだった。

他の子どもとは違うことに夢中になってしまったり、教師に気になったことを質問して授業を止めてしまうようなこともあった。

中学生のころには、仲間はずれになって、辛い時期もあった。

今でいう「空気が読めない」ところがあったのかもしれないと、自ら述べているが、そんな双雲さんを、両親は、いつも「お前は天才だけん」と肯定してくれたという。

双雲さんが書の路上パフォーマンスを始めたとき、衆目の冷たい視線に耐えられたのも、両親から肯定され続けた言葉が、いつも彼を守ってくれたからだった。

それは、ご両親が安全基地として機能していたということであろう。

安全基地となる存在は、その人を直接支えるだけでなく、顔を合わすことがなくなってからも、心の中に存在し続けることで、その人を守り続ける。

『ホビットの冒険』『指輪物語』など、児童文学の枠を超えた、壮大な神話的物語の作者として知られるイギリスの児童文学作家ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキンは早くに父母を失い、孤児という境遇で、オックスフォード大学の言語学の教授になった人物でもあった。

両親を失い、孤児となったトールキンの場合、そんな淋しく過酷な境遇が影響しないわけにはいかなかった。

それでも、トールキンは実生活の面でも、創造的な活動の面でも、とても実り多い人生を送ることができた。

寄る辺ない身の上からくる消極性やいじけたところがあまりなく、のびのびと過ごすことができた。

それを可能にしたのは、彼が生前の母親からとても愛されて育ったということであった。

銀行員だったトールキンの父親は、活路を求めて南アフリカの任地に赴いたものの、トールキンが三歳のとき、病気で亡くなってしまう。

母親のメーベルは、トールキンと、まだ一歳の下の息子を抱えて、わずかな収入で暮らしていかなければならなくなった。

しかも、事態をいっそう困難にしたのは、母親が周囲の反対を押し切って、亡き夫と同じカトリックに改宗したことだった。

イギリスの主流派はイギリス国教会で、周囲もみんなイギリス国教会だった。

だが、母は強い信念の人で、自分の信仰を貫く。

しかし、そのあおりで、それまであった援助は打ち切られてしまった。

母親のメーベルは、経済的にも社会的にも苦しい状況におかれたが、常に息子を愛し、大切に育てた。

教育についても出来る限りのことをした。

トールキンの語学の才能に気づくと、それを伸ばせるように手を尽くした。学校の授業内容が物足りないものであったときは、自らラテン語やフランス語を教えたし、息子の語学の力を伸ばすのに適した学校に通えるように引っ越しもした。

そんな母親に見守られながら、トールキンは奨学金の助けも借りて、キング・エドワード校という名門校で学ぶことができた。

母親はトールキンが十二歳のときに病気で亡くなってしまうが、神父が後見人としてトールキンの父親代わりになってくれたのも、ある意味、彼女のわが子に対する深い思いゆえのことであった。

子ども時代、安全基地にしっかりと守られて育った者は、生涯続く安心感というものを手に入れる。

安心感の源泉となった母親がたとえ亡くなってしまったとしても、心の中に、「安全基地」として存在し続けるのである。

※参考文献:回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち 岡田尊司著