”イライラする性格を受け容れる”

他の人にしてみればそれほどそれほど怒ることではないのに、すぐに怒り心頭に発する人がいる。

原因は起きた事象にあるのではなく、その人の心にある。

このことは何もイライラばかりにあてはまることではない。

もともと落ち込んでいる人がいる。

そういう人は何でもないふとした体験で、落ち込む。

その人が落ち込んでいるのは外側の現実とは関係ない。

もともと落ち込んでいない人は、落ち込むに値する体験をしなければ落ち込まない。

イライラしたらイライラすることを受け容れる。

すぐにイライラする性格を運命として受け入れる。

その時点では、自分は何かあるとすぐにイライラする人間だと思うことである。

そういうイライラする性格である自分を運命として受け入れる。

イライラするのは不愉快だけれどもそれは運命だからしょうがない。

イライラするのは自分に対する怒りがあるからだろう。

自分に対する怒りがあるのは、「理想の自分」と「現実の自分」の乖離があるからだろう。

「理想の自分」と「現実の自分」の乖離があるようにいままで生きてきたのである。

今までの人生はその人の運命である。

過去は変えられない。

過去の事件そのものは変えられないが、過去の事件に伴って発生した感情は変えられる。

小さい頃周囲の人から蔑視されたという事実は変えられないが、小さい頃蔑視されたことで生じた自己イメージは変えられる。

自分を受け容れれば他人も受け入れられる。他人の言動に苛つかない。

自分を受け容れられなければ他人も受け容れられない。

他人の、自分に対する態度も受け入れられない。

他人の言動に腹が立つ。

他人の親切にさえ苛つくことがある。

自分に対する怒りがあれば、そういうことがあっても当然である。

カレン・ホルナイも、自分に対する怒りが外化されるとイライラとなると述べている。

他人の言うこと、することにいちいち苛ついていれば毎日が不愉快である。

苛つくということは相手の言動に苛ついているのである。

苛ついている人は相手に怒っている。相手を責めている。

しかし実は、自分に対する怒りの外化である。

自分に対する怒りがなければ、そんなに相手の言葉にいちいちイライラしない。

相手がこちらを非難罵倒するなど、イライラする理由があるのなら別だが、たいした理由もなく相手の言動にイライラする。

それは自分に対する怒りが意識できていないから、相手の言動にイライラしているだけである。

相手の言うことにいちいちイライラしている人は「今、苛つくように」今まで生きてきたのである。

だから苛ついている今の自分を運命として受け入れることが大切である。

苛つく自分を運命として受け入れられないでただ嘆いていれば、十年先もまだ苛ついているだろう。

相手を責め苛み続けてもイライラが解消するわけではない。

しかし苛つく自分を運命として受け入れれば、十年先は苛ついていないかもしれない。

安らかになるかもしれない。

それはこれからの十年の生き方で決まる。

今の自分の感情の根源を探り、それを運命として受け入れる。

そこから明日が拓ける。

自分が自分に怒りを持つようになった歴史を、自分の運命として受け入れる。

自分が自分に怒りを持っていない人がいる。

それはその人の運命である。

人はそれぞれ自分の運命を背負って生きている。

人はそれぞれ唯一無二の運命を背負っている。

今暗い性格の人は、今は暗い性格になる運命なのである。

明るい性格の人は好かれるが暗い性格の人は好かれない嫌われることが多い。

しかしそれは運命なのだからしょうがない。

暗い性格になった歴史をたどることである。

そこに自分の運命を発見するに違いない。

運命とはそれ自体完全なものであるから、他人と比較することはできない。

公平とか不公平とかいう類のものではない。

対人恐怖症、社交不安障害を克服するにはすぐにイライラする性格を運命として受け入れることである。

※参考文献:イライラのおさめ方 加藤諦三著