よい子の裏事情

彼は親から子供として認知された。

しかし、子供を認知することと、子供を自分とは別個の人格として認識することは違う。

彼は親から認知されはしたが、別個の人格として認識されたことはないのではないか。

親は、彼を客観的にとらえることはできない。

よい彼のみ親に受け入れられ、悪い彼は否認された。

親は彼を”よい子”だと認知している。

しかし客観的には、彼は良い子などではない。

彼の中には、我執の親にとっては好ましくない攻撃性のようなものも当然あるのである。

犬は、たとえば新しいところに行けば、そこらの建物や木にオシッコをひっかける。
たとえば、新しい家に犬を連れて引っ越しをしたとする。

犬らしい犬は、その大切な新居にオシッコをかける。

犬のこの性質を否認したらどうなるか、主人にとって都合のよい性質だけを受け容れ、都合の悪い性質を拒否したら犬はどうなるか。

主人にとっては”よい犬”かもしれないが、犬はおかしくなるであろう。

家庭にとっての”よい子”、それがおとなになって、企業にとっての”よい社員”となる。

そして、そんな”良い人”が対人恐怖症や抑うつ状態になるのである。

「角を矯めて牛を殺す」ということわざがある。

欠点を直そうとして、建物の全体をダメにしてしまうことを言う。

角をなくして牛が牛であろうか。

問題のある親が子供のよい点のみを受け容れ、悪い点を否認するのは、これと同じである。

牛の角に当たるのが、たとえば、子供の攻撃性であったり、自己主張であったりしよう。

欠点と思えるのは、あくまで親にとって都合が悪いと言うことでしかない。

角は決して牛にとって都合が悪いわけではない。

理想の子どものイメージを追求する親が、子供と一体化してやっていることは、まさに牛の角をゆがめていることなのである。

その結果、牛が牛でなくなるように、子供は子供でなくなる。

そして現在、子供らしさを失った子供のなんと多いことか。

角があるのが牛なのである。

もし彼が本当に親に愛され、健康に育ったとすれば、どうしてそんなに疲れて神経質になっていることがあろうか。

対人恐怖症や抑うつ的で負い目のあるビジネスマンは、休息と安らぎを得られる客観的条件がととのっても、なぜか内からの刺激で休息と安らぎを得られない。

彼は、親からの社会的評価向上への要請を、まるで愛の如く錯覚した。

その要請の方向に沿う行動は受け入れられ、称賛された。

その要請に沿わない行動は否認された。

彼は一度だって本当に愛されたことがなかったのである。

本当に愛されたことがあるとすれば、どうしてそんなに生きるのが怖いだろう。

彼の親にとって、家の社会的体面は、彼の個性よりも大切であったのである。

彼が社会的体面を重視するかぎり、無個性の彼を親は”個性的”と認めた。

彼の家では社会的評価向上の要請は万能であった。

その線に沿う限り、どんな画一的な行動も、個性的行動となったのである。

個性を認めると言っても、それはあくまで家族の一員としての範囲内での個性であり、その枠組みはできあがっていた。

その枠組みを越えることは固く禁じられているのである。

そうやって育てられているうちに、彼は、まるで他人の評価なしには生きていけないような錯覚を持ってしまった。

そして、自らの活動そのものを楽しむ能力を喪失してしまった。

自らが達成したことを自ら評価し、自ら楽しむことができなくなってしまったのである。

今彼にとって必要なことは、生活習慣を変えることである。

他人に評価してもらう活動から、自ら楽しめそうな活動へ、できるかぎり活動を変えていくことである。

対人恐怖症、社交不安障害を克服するには、生活習慣を変えることである。

他人に評価してもらう活動から、自ら楽しめそうな活動へ、できるかぎり活動を変えていくことである。

※参考文献:自分を嫌うな 加藤諦三著

 

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