幼い頃からバイオリニストを夢見て猛練習に励み、ついには憧れの楽団で活躍するような人生。

あるいは猛勉強の末に司法試験に合格し、弁護士になるような人生。

その方々は人生のどの瞬間も「いま、ここ」に生きていたのではないでしょうか?

つまり、途上としての人生を生きていたのではなく、常に「いま、ここ」を生きてきた。

たとえばバイオリニストになることを夢見た人は、いつも目の前の楽曲だけを見て、この一曲、この一小節、この一音だけに集中していたのではないでしょうか。

こう考えてください。

人生とは、いまこの瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続する刹那なのです。

そしてふと周りを見渡した時に「こんなところまで来ていたのか」と気づかされる。

バイオリンというダンスを踊ってきた人の中には、そのままプロになっている人もいるでしょう。

司法試験というダンスを踊ってきた人の中には、そのまま弁護士になっている人もいるでしょう。

執筆というダンスを踊り、作家になった人もいるかもしれません。

もちろん、それぞれ別の場所に行き着くこともあります。

でも、いずれの生も「途上」で終わったわけではない。

ダンスを踊っている「いま、ここ」が充実していれば、それでいいのです。

ダンスにおいては、踊ることそれ自体が目的であって、ダンスによってどこかに到達しようとは誰も思わないでしょう。

無論、踊った結果としてどこかに到達することはあります。

踊っているのですから、その場にとどまることはありません。

しかし、目的地は存在しないのです。

山登りのように目的地に到達せんとするじんせいは「キーネーシス的(動的)な人生」ということができます。

それに対して、私の語るダンスを踊るような人生は「エネルゲイア的(現実活動的)な人生」といえるでしょう。

アリストテレスによる説明を引きましょう。

一般的な運動―これをキーネーシスと言います―には、始点と終点がある。

その始点から終点までの運動は、できるだけ効率的かつ速やかに達成されることが望ましい。

特急列車に乗れるなら、わざわざ各駅停車の普通列車に乗る必要はないわけです。

そして目的地にたどりつくまでの道のりは、目的に到達していないという意味において不完全である。

それがキーネーシス的な人生です。

道半ば、というわけですね。

一方エネルゲイアとは、「いまなしつつある」ことが、そのまま「なしてしまった」ことであるような動きです。

別の言葉で言うなら「過程そのものを、結果と見なすような動き」と考えてもいいでしょう。ダンスを踊ることもそうですし、旅などもそうです。

旅という行為の目的は何でしょう。

たとえばあなたがエジプトに旅をする。

このときあなたは、なるべく効率的に、なるべく早くクフ王のピラミッドに到着し、そのまま最短距離で帰ってこようとしますか?

そんなものは旅とは呼びません。

家から一歩出た瞬間、それはすでに「旅」であり、
目的地に向かう道中もすべての瞬間が「旅」であるはずです。

もちろん、なんらかの事情でピラミッドにたどり着けなかったとしても、
「旅」をしなかったことにはならない。

それがエネルゲイア的な人生です。

登山の目的が「登頂すること」にあるのなら、それはキーネーシス的な行為でしょう。
極端な話をするなら、ヘリコプターで山頂に向かい、5分ほど滞在し、再びヘリコプターで帰ってもかまわない。もちろん山頂にたどり着けなかった場合、その登山は失敗だということになります。

しかし、目的が登頂ではなく登山そのものであれば、エネルゲイア的ということができます。

結果として山頂にたどり着くかどうかは関係ないわけです。

対人恐怖症、社交不安障害を克服するにはダンスを踊るように生き旅をするように生きることである。

※参考文献:嫌われる勇気 岸見一郎著