実際は自分を利己主義であると感じている、実際は自分をタフな男ではないと感じている、しかしそれらの感情は、自分にとって不快であり、望ましいものではない、だから、それらを抑圧する。

つまり、それらの感情に目を背け、意思の力で、それらの感情を無意識へ追いやるのである。

これから述べる”甘え”は、むしろ自分についての事実よりも、人間存在一般についての事実の抑圧である。

人間存在がそれぞれ一体のものではなく、分離しているのだという事実を認められなくて、限りなく合一を求めてくるのが、甘えた人間である。

それではここで甘えについて考えてみよう。

”甘え”という問題は常に、日本独特のものとして論じられてきた。

日本人論をいえば必ず出るのが”甘え”とか”タテ社会”である。

しかし、この甘えという問題が、日本人にのみ適用されるべき心理状態であるということに、私はひどく懐疑的である。

たとえば精神病理学者、W・B・ウルフが書いた「どうしたら幸福になれるか」という本がある。

その下巻に「失敗の類型」という章があり、サブタイトルが「ノイローゼについて」となっている。

そこにはノイローゼ患者の特徴が書かれている。

要約してみると、第一に、あらゆるノイローゼ患者は、人が自分の人柄を礼賛することに大変興味を持っている。

「利己的なノイローゼ患者は、奉仕と協力ということが称賛を受ける世の中には何の面白みもないと考える。」

このノイローゼ患者というところに”甘えた高齢者”とか”六十歳になっても甘えている人”とか入れてみれば、ピッタリくることが分かるであろう。

さらに、第二の特徴として「ノイローゼ患者は、自分の自我の独自性をずっとそのまま守ろうとしている」とある。

この一文を、「甘えたまま年を取った人は、自分の自我の独自性をずっとそのまま守ろうとしている」と書きかえたらどうであろう。

たとえば土居健郎の「甘えの構造」の中に、この文章がでてきたら、みんなその通り読み進んでいくに違いない。

ウルフはさらに続ける。

このことがわかれば、ノイローゼ患者が「現実とその一切の表れから、身を引かねばならぬということ、普遍的な価値や、わかりやすい論理や普通の行動―つまり正常な行動という常識の代わりに、ひとりよがりの論、特殊な特権や奇異な行動を代用するのはなぜか、すぐわかるであろう」

甘えた人間は、自分の本当の価値が試される機会を避ける。

そして、正攻法で自分の価値を証明する代わりに、変わったことをすることで、その場を逃げようとする。

自分の価値が試されるのを避けながら、人が自分の価値を認めてくれることを求める。

そこで現実から身を引き、正常な行動という常識の代わりに、独りよがりの論をもちだす。

小さい頃、母親の与えてくれた特権にしがみついたように、大きくなっても何らかの特権を求める。

繰り返しになるが前出のウルフの文章には、たまたま”ノイローゼ患者”と書いてあるが、これが”甘えた大人”と書きかえられて日本の書物に出てきても、われわれは、そうだなあと思って読んでいくに違いない。

ノイローゼ患者の第三の特徴として、ウルフは「自分という人間は、誰も理解してくれない神様なのだ」と大方の患者は信じていると述べている。

これも”ノイローゼ患者”のかわりに”甘えた大人”と書きかえられる。

第四の特徴として「ノイローゼの四番目の主要な目安は、ひとりよがりの実力観と安定観をつくりあげること」と述べている。

実際、なんと多くの甘えた大人が、「誰も俺のことを分かっていない」と主張し”独りよがりの実力観”から、甘えたビジネスマンが「オレの会社は俺の本当の実力を認めない」と嘆いている。

そんな甘えたビジネスマンに、「あなたの会社は本当の実力をひつようとしているから、あなたを部長にしないのだ」怒髪天を衝くことになろう。

まさに、この独りよがりの実力観こそ”うぬぼれ”ではなかろうか。

次に、第五の特徴として彼は、「最も重要なノイローゼ患者の特徴は、意図的だということだ」と述べている。

子の甘えた大人がいかにずるく計算高いかは、日々われわれが承知していることである。

小さい子供は人が聞こえるところで泣く。

聞こえないと思えば、聞こえるところまで行ってから大きな声で泣きだす。

泣くということが、周囲に効果のあることを計算する。

これは甘えの特徴である。

ウルフの述べるノイローゼ患者の特徴は十番目まである。

いちいち書かないが、要するに、ノイローゼ患者とは甘えた大人のことなのである。

ところで、「うちの会社の〇〇部長はあまえてるんだなあ」とか「〇〇課長はまだ小さい頃の甘えが抜けきっていない」とかいう会話が交わされても、我々は別に驚かない。

それを「うちの会社の〇〇部長はノイローゼ患者なんだ」といえば「えっ?」ということになろう。

しかし、実質的な内容は大して変わりないのではなかろうか。

※参考文献:自分を嫌うな 加藤諦三著