いつも腹を立てている人、それは要求の多い人である。

同じことをしていても、相手に何を要求しているかによって、私たちの気持ちは違ってくる。

たとえば、右折禁止の交差点で右折しようとしている車がいるとする。

その車のために自分の車が進行できない。

そんな時に、たいていの人は腹を立ててクラクションをプープーと鳴らす。

急いでいるときなどはことに腹が立つ。

しかし、右折できる交差点で右折しようとしている車がいて、自分の車の進行がぼうがいされているときには腹を立てない。

「あー」と運の悪さを嘆くだけである。

もちろん、その右折車にどのくらい腹を立てるかは、そのときにどのくらい自分が満足しているかどうかも関係する。

右折する車で進行を妨害されたことで人は腹を立てるのではない。

自分の要求が通らないことで腹を立てるのである。

同じように、人の態度で腹を立てるというよりも、人に対する自分の要求によって腹を立てるのである。

その要求はもっともなこともあれば、不当なこともある。

右折禁止ではないと思っていれば、右折する車で進行を妨害されていても腹が立たない。

しかし、その交差点を通過するときに右折禁止の標識が目に入れば、急に腹を立てるということがある。

このようなことを、大げさにパラダイムの変更といっていいのかどうか知らない。

ただ、このように事態の解釈がかわることをパラダイムの変更というのだろう。

世界の見方が変わってくる。

パラダイムとは、自分のまわりの世界の見方である。

地球が中心で太陽が動いていると思っていた考えに対し、太陽が中心で地球の方が動いているという解釈は、まさにパラダイムの変更だろう。

愛されないで幼児的願望をそのまま持っている人は、それによって、ものの解釈や見方を決められてしまう。

そこで、いつも傷つくことになる。

情緒的に成熟した人なら、相手のすることをあたりまえと思うから、相手に腹を立てない。

しかし、幼児的願望を満たしていない大人は、相手のすることをあたりまえと思わないから、腹を立てる。

対人恐怖症、社交不安障害を克服したい人は、地球の周りを太陽が回っていると勘違いしていることがあるのではなかろうか。

※参考文献:自分の受け入れ方 加藤諦三著