劣等感が深刻なビクビクする人は、騙されやすい

表面はいつも味方を演じている

質の悪い人が、味方のふりをして、ビクビクする人に色々な間違った情報を持ってくる。

本当は言っていないこと、あるいはそういうニュアンスで言ったのではないことなどについて、「あの人があなたのことをこう悪く言っていた」と言う。

質の悪い人とは味方の顔をしているが、実はビクビクする人の失脚を願っている人のことである

そして憎しみを穏やかでニコニコした笑顔で隠している。

すると人を見抜く力のない人は、間違った情報を元にして、ある人を「けしからん」と怒り出す。

劣等感の深刻なビクビクする人はすぐに傷つく。

だからそうした操作に乗りやすい。

劣等感が深刻で、人を見る眼のないビクビクする人は、質の悪い人にいいように操作されてしまう。

ある人が本当は味方なのに、ビクビクする人はその人を敵と思って動き出す。

そうすればもともとは味方の人も面白くない。

その人との間でも喧嘩が始まる

ある集団の人々がビクビクするあなたに好意を持っている。

しかし質の悪い人が「ある集団はあなたの悪口を言っていましたよ」と告げ口をしてくる。

その人はあたかもビクビクするあなたに誠意を持った忠臣を演じる。

その質の悪い人は、もともとはビクビクするあなたが嫌いであなたの失脚を願っている。

それなのに劣等感の深刻なビクビクするあなたは煽てられたり、忠臣を演じられると、ころっと騙される。

そこで傷ついたあなたはその集団を憎み出す。

もともとはあなたに好意を持っていた集団の人々も、ビクビクするあなたの憎しみに反応して、あなたに好意を失う。

こうして消耗する戦いが始まる

こうして人を見る眼のないビクビクする人は、質の悪い人に操作されて、次から次へとトラブルを起こす。

恐ろしいことである。

本当に恐ろしいことである。

ビクビクするあなたが憎んで戦っている人達がもともとはあなたに好意を持っていた人達であり、あなたの忠臣を演じている人が、あなたの真の敵なのである。

よく政治家などで懐刀と思っていた人から裏切られて失脚する人が居る。

ことに自己蔑視している人は傷つきやすいから危険である

自己蔑視しているビクビクする人はまた同時に孤独でもあるから、煽てや忠臣の演技に弱い。

自己蔑視している人が失脚するのは、敵との戦いによるよりも、信じている人が質の悪い人だからである。

敵はそれほど恐ろしくはない。

敵と分かっているから。

むしろ本当に恐ろしいのは、ビクビクするあなたが信じている「忠臣」やあなたの近くにいてあなたを煽てる人である。

それが最後まで分からないビクビクする人もいる。

失脚しても、戦っていた敵に敗れたと思う

そしてビクビクする人はその戦っていた敵を恨む。

しかし本当はもともとビクビクするあなたが戦った敵はあなたの味方だったのである。

戦う必要など何もなかった。

あなたは「忠臣を演じている人」から操られて、その人の言うことを信じて、敵ではない人をみんな敵にまわしてしまう。

恐ろしいことである。

例えば「私が根回しをしますから」と言うが、実は実際にしていることは、正反対のことなのである。

本当は気をつけなければならない人を、あなたが間違えたのである。

信じてはいけない人の言葉を信じたのである。

性格で言えば、現実の世の中で最も危険な人はヒステリー性格の人である。

つまり彼らは人の失脚を願って告げ口をする人である。

ビクビクする人は人間関係を見つめ直してみる

「本当に悪いのは誰か」を冷静に見つめることである

人間関係のトラブルが絶えないビクビクする人は、今現在の自分の人間関係を見つめ直してみることである。

そしてそのような人間関係の中に巻き込まれた「ビクビクする自分の弱点は何か」を見つめることである。

その弱点を自分の中で克服していかない限りあなたは死ぬまで人間関係のトラブルに苦しみ続けてビクビクして消耗して死んでいく。

ビクビクするあなたは今自分が「よくここまで生きてこられた」と思わなければならない。

それはそれだけ嘘の情報を信じて動いてきたのだから。

あなたはお人好しであるが、信じる人を間違えた

それが誠実に努力しても努力しても人間関係のトラブルが絶えなかったビクビクする大きな原因の一つである。

表面では仲良しだけれども、無意識に反目し合っている関係に気がつかなかった。

人を操作する人は、人に言えない隠し事があることが多い。

人に言えない弱みがある。

そういう人は、仲良しでも、対立していても、表で見えることは信じられない。

ある人と対立しているように見せながら裏で関係を結んでいる

このように相手が姿を現さないでやってきた時には、問題の解決には人間関係の太いパイプが必要になる。

長いこと誠実に生きて周囲に太い人間関係のパイプがある人は、このように人を操作する人が現れて、周囲の人間関係を引っかき回し始めても、切り抜けることができる。

自分の弱さを認めないから食い尽くされる。

滅びる人は先ず自分自身の反省が全くない

ビクビクする人はいかに周囲の人達が酷いかという話ばかりで、自分だけは一人天使なのである。

そして多くの恨み辛みを訴えるビクビクする人は日がたつにつれて恨みが深刻化していく。

それは自分もまた周囲の人達と同じように質の悪い人間だということを絶対に認めないからである。

はもちろん同じ種類の質の悪さではない。

凸と凹の関係である。

自分が弱いからハゲタカに狙われたのだと認めないから、倒れるまで食い尽くされるのである。

今のハゲタカから逃げても、反省がないから別のハゲタカに喰い荒らされるだけである

そしてビクビクする人は病弱になって惨めさを露呈して、人を恨んで死んでいく。

生き延びる人は、その卑怯な人と一緒に仕事をしていた時の自分を恥ずかしく思う人である。

それと同時に、その卑怯な人達からの仕打ちが悔しくて、卑怯な人を恨んで無駄に時を過ごさない。

そうして時間を過ごす愚かさに気が付いた人である。

同じ時間を心安らかに生きることもできるのである

その方がはるかに長生きもできる。

ビクビクする人が卑怯な人を恨んでストレスから免疫力を落とし、病気になるくらい愚かなことはない。

ずるい人に誠心誠意尽くして時間をロスし、さらに悔しくて怒りの時を過ごして時間をロスする。

二重にも三重にも時間をロスすることになる。

人は幸せになるために生まれてきた。

賢ければ安らかに実りある人生を送れる

しかし人間には感情がある。

そこでビクビクする人はえてして幸せになれるはずの人生を、不幸な人生にしてしまう。

「どうしてもあいつを許せない」という憎しみの感情に振り回されて、たった一度の人生を苦しむだけで終わっていく。

人は感情があるから、ずるい人や卑怯な人に振り回されて、不幸な人生を送ってしまう。

怒りは弱さの表れである。

エピクロスは「怒りも、その偉大さに不釣り合いだ。何故なら、こうしたものは全て、弱さの表れだからだ」と述べている

ビクビクする人の怒りは弱さの表れである。

このエピクロスの言葉は心に留めておくべき言葉である。

悔しくて、悔しくて眠れない時に、おそらくビクビクする人は血圧は上がっているだろう。

従って高齢者なら心臓病の危険も増大しているだろう。

裏切られた時、無視された時、バカにされた時、悔しい思いをするのは弱さの証明である。

そんな時に卑怯な人を恨んで寿命を縮めるくらいビクビクする人は愚かなことはない。

それを修行だと思って心静かに耐えることである。

裏切られたのは、こちらが裏切られるような人間だったのである

ビクビクする自分はそのような人間と付き合うような人間だったのである。

もし自分が情緒的に成熟していれば、そのような人間とつきあうことはなかった。

裏切られるのは、自らの情緒的未成熟のツケである。

裏切られて、本当の自分の姿がハッキリとしたのである。

自分はそのレベルの人間だったということである。

そして怒るのも、こちらがそれだけのレベルの人間だったということである。

相手を問題にしていなければ、軽蔑されても、裏切られても腹は立たない

ビクビクする人が怒るのは、こちらがそんなずるい人に腹を立てるだけの人間だったのである。

「今、裏切られて傷ついて良かった」。

そしてもう一つ考えることがある。

「今、裏切られて傷ついて良かった」ということである。

人から搾取する人間、人を騙す人間には、相手への思いやりとか相手への同情心はない

つまり騙す人はビクビクする相手を骨の髄までしゃぶる。

とことん相手から取る。

相手から取れる限り取る。

相手が倒れるまでビクビクする相手から奪い取る。

あなたがもし誰かから騙されて悔しい思いをしているとすれば、今の段階でその人の正体が分かったのだから、かえって良かったのである。

今は悔しくて眠れないかも知れないが、もし十年先まで騙されたらあなたはどうなっていたか

ビクビクする人は今騙されていることに気がつかなければとことん騙され続けたのである。

再起不能のところまで騙されたのである。

今、相手の正体が分かったということは、あなたは守られているのである。

ビクビクする人は一つ一つ逃げずに対応する

日常生活で次から次へと起きるトラブルに一つ一つ対応していくのは大変なエネルギーがいる

しかしビクビクする人は一つ一つ逃げないで対応していかないと、やがて大きなツケとなってかえってくる。

会社の毎日の小さなトラブルから隣近所などの地域社会とのトラブルや家族や親戚のトラブルまで、とにかくビクビクするような毎日毎日起きてくるトラブルに一つ一つ対応していかなければいつか大きな破滅の時がくる。

会社や取引先での小さなトラブルばかりでなく、例えば子育てでも、その場その場をごまかして手抜きをすれば、後になって家庭内暴力から「引きこもり」まで様々な大きな問題になってかえってくる。

何もかもがイヤになった時。

現実の世の中で生きていく以上、「もう誰も信用できない」と思う時がある

ビクビクする人は「もう誰も彼もイヤ、もう誰とも会いたくない」と思う時がある。

現実の世の中で生きている以上、我が目を疑うようなもの凄いことが起きる。

信じられないようなことが起きる。

信じていた部下から裏切られることがある。

同僚から利用されてイヤな思いをすることがある。

上司からいいように利用されることがある。

したがって、つくづく「あーもう何もかもがイヤになる」ことがある。

しかしこの現実のビクビクする世の中で生きていかなければならないのが人間なのである。

人間関係のビクビクするようなトラブルがイヤなら仙人になって山の中に籠もるしかない。

裏切りも何もかもが「面白い体験」と思えなければ楽しくは生きていけない

ビクビクする人は裏切られたところで「私は人を見る眼がなかった」と思わなければ楽しくは生きていけない。

裏切った人をいつまでも恨んでいたのではこの世は地獄である。

汗水たらして苦労をしてきたことが、単に利用されただけと分かる時もある。

そうした時も「オレの人間としての質が表れた」と思わなければ楽しくは生きていけない。

だからある人にとっては現実のビクビクする世の中が修行の場なのである。

修行のために何処か特別に行くことはない

ビクビクする人はこの現実の世の中で、楽しく生きようとすることが修行なのである。

現実の世の中できちんと生きていれば自然と心身が鍛えられる。

現実の世の中で生きていながら、汚れないで生きることが修行であり、心身を鍛えることである。

もちろん瞑想も良いが、現実の世の中でビクビクする人はずるい人と戦うことも、修行なのである。

裏切りも妬みも嫌がらせも様々なことが起きる現実の世の中で、曲らないで素直に生きることが、心身を鍛えることである。

その修行ができない人が多いから、街にはひねくれた顔をした人が溢れている。

イヤなことが立て続けに起きている時も、自分が幸運であった時を忘れないで、ビクビクする気持ちを落ち着けることができるようにすることが修行である。

一つ一つ解決する。

毎日起きるイヤなことを一つ一つ処理していくことにはもの凄いエネルギーがいる

あるビクビクする太った少年は、朝イヤだけれども学校に出かけた。

学校で皆から「太っているから運動神経が悪い」と苛められていた。

しかしその朝、「出かけるのも出かけないのも自分」と思って出かけた。

そして彼は運動場を最後まで走った。

運動神経の悪い自分だけれども走ることでイヤな気持ちが解消する。

そう思って走って心がスッキリとした。

心がスッキリすると、それまでしたくなかった勉強に力が入る。

逆に逃げるという安易な道を選ぶととんでもない方向に行って、ビクビクする人はかかえている問題は解決できない。

百八つの煩悩を、一つ一つ解決する

ビクビクする人はイヤなことを解決することで、次の問題を解決する準備ができる。

今の不満を処理しないで、現実からにげていると、ビクビクする人は不満は高まるばかりである。

その不満は心の底に根雪のように積もっていく。

その時に逃げるのには二つの道がある。

一つは会社でも学校でも満足していない人達のところに行く。

ずるさとテクニックの人々が集まることがある。

そうした集団に入って行く。

一人でもエネルギーのある人のいる集団に行かなければダメなのだが、心理的に楽だからビクビクする人は欲求不満な人のところに行ってしまう。

花が枯れた時には良い花を添えると、枯れた花も元気になるという。

枯れた花が集まると、そこへ行きたくなる

そうすると抱えている問題は大きくなりこそすれ、ビクビクする人は解決はしない。

ビクビクする人のもう一つの逃げる道は、ただ一人で何もしないでじっと我慢をする。

処理できなかった不満は、解決の努力をしなければそのまま残る。

ただただ我慢をしなければならない。

その我慢をすることを修行と勘違いしている人がいる。

現実から逃げて留まった不満やビクビクを我慢することは別に修行ではない。

修行とは毎日起きる小さなイヤなことを一つ一つ処理していくことが修行である

ビクビクする人はそれを処理しないで座禅を組んで、溜まった不満を我慢することを修行と思っては大間違いである。

「修行をする」とはあくまでもこの現実の世の中に起きることに立ち向かい、それを処理していくことである。

苦しくても、現実の世の中のビクビクするトラブルに正面から対応することが修行である。

現実の世の中から逃げたことで生じる不満を我慢することは修行ではない。

ビクビクする人は現実逃避を修行と勘違いしていないか

ある高齢者はいつも「心を鍛える」と言って座禅を組んで瞑想していた

ビクビクするその高齢者は現実に起きることからは全て逃げていた。

彼は毎日起きるトラブルから逃げて、どんどん追い詰められていくのに、彼は「心を鍛える」と言って座禅を組んで、自分は修行をしているつもりであった。

借金取りが来る。

その借金を解決することが修行なのである。

しかしその高齢者はビクビクして借金取りから逃げてしまう。

問題は大きくなる

ビクビクする人はさらに色々と苦しいことが出てくる。

それでも何もしない。

そして修行と言ってビクビクする人は座禅を組んでいる。

嵐が来て防波堤が決壊しそうになったら逃げることが解決である。

しかし逃げないで、水に襲われて苦しくなり、修行修行と言っているような人がいる。

それは修行ではなく単なる「現実逃避」である。

現実逃避を修行と勘違いしているビクビクする人は案外多い。

現実の世の中で起きたトラブルに対して「解決に動く」、それが修行である

ビクビクする人はただ不満を我慢することが修行ではない。

毎日起きるイヤなことを処理するためには会いたくないビクビクする人と会わなければならない。

イヤな人と話をしなければならない。

言いたくないことを人に言わなければならない。

そのイヤな人と会い、言いたくないことを言うことがビクビクすることを解消する修行なのである。

それを冷静に良識をもってすることが修行なのである。

座禅で鍛えられるのではなく、怒りの感情を抑えて冷静に良識をもって行動することがビクビクする人の修行なのであり、それが心を鍛える鍛えるということなのである。

人生に無駄はない。

現実と向かい合い、現実を見ると、いろいろなことが見えてくる

なるほど綺麗なクラブの女性達の裏の顔はこうなのか、大企業というのは表は綺麗なのに裏はこうなのかと、色々と学ぶ。

すると大企業が粉飾決算だとか談合などの悪いことをしたという報道がされても別に驚かない。

名門の企業がどんな酷いことをしてスキャンダルになっても驚かない。

昔を思い出し「あれなら、このくらいのことはするだろう」と思う。

現実の世の中を身体で学ぶ

ビクビクする人は酷い目に遭えば、それは後に現実の世の中で生きる知恵になる。

大企業に勤めるとか、そんなことに努力するのがいかに馬鹿らしいことかということを若くして学ぶ。

人生に無駄はない。

座禅を組んでも「鍛えられたー」という実感はないが、現実の大きなトラブルを解決した時にはビクビクする人には「鍛えられたー」という実感がある。

ある作家が長年にわたって兄の借金を一億円返したという。

そしてそれが今の自分の誇りになっているという。

人は一億円持てば自信が持てると思う。

しかしそうではない。

コツコツと働いて血縁者の借金を返したという、そのことが自信につながる

自分の力でビクビクする人はトラブルを解決した。

それが自信になる。

ビクビクする人はじっと耐えなければならない時もある

もちろん解決に動いても解決しないことがある

ビクビクする人はその時にはどんなに悔しくてもただじっと我慢をしなければならない。

その我慢は猛烈なストレスになる。

逃げるか、戦うか?

しかし逃げることもできず、戦うこともビクビクして、できない。

それがストレス。

ストレスが体に悪いということは誰でも知っている

ビクビクする人に「ストレスの少ない生活を送るように」と医者は言う。

誰もがそう思っているし、そうしたいとビクビクする人は努めてはいる。

しかし現実の世の中で生きるのにはストレスは避けられない。

こちらがストレスを避けようとしてもストレスのビクビクする方からやって来る。

そのストレスにじっと耐えることは修行である。

悔しくて気がおかしくなりそうなことをじっと我慢することは修行である

ビクビクする人は我慢する以外にもう方法がない。

そのストレスに耐えてビクビクする気がおかしくならないでいるのは修行である。

その時にはうつ病になったり、ノイローゼになる可能性がある。

その過酷な状況のビクビクする中で心を病むことなくじっと耐えるのが修行である。

ある作家は離婚をした。

その後離婚をした相手が出版社に嫌がらせをして本を出版させないようにしようとした。

編集者がもうその作家の本を出版したくなくなるように連日嫌がらせの電話をかけ続けた。

ここに記すことをはばかられるような嫌がらせを続けた

そしてビクビクするようになった。

ある離婚をした人の別の嫌がらせ話である。

車をぶつけて事故を起こす。

そして逃げた。

その時の車のナンバーは別れた妻の車の番号。

つまり元妻が事故を起こして逃げたと思わせる。

もちろん元夫がしているのだが。

誰がしているのか証拠がない。

おおよそは分かっても特定できない。

そうした嫌がらせをする。

様々な嫌がらせを見ていると、「なるほど、これなら人間は悩むな」と思う

法律的におかしいことをした時でさえ警察や弁護士では難しいことがある。

ある売れた女性漫画家が離婚をして、元の夫から連日嫌がらせを受けた。

あまりのひどさに警察に頼んだが、ビクビクする彼女は逆にお説教をされた。

警察も人の子、妬みがある。

現実の世の中では無防備な人は狙われる。

トラブルにさいして頼りになるのは真の友人だが、「あの人はいい人」と言われるビクビクする人はトラブルにさいしては何の役にも立たない。

ビクビクする人は自分の感情をコントロールすること

人の修行とはそうした時に、怒りから事件を起こさないで耐えられるようにすることなのである

ビクビクする人は自分の感情をコントロールして、冷静に問題解決に向かって動いているということが修行である。

それはお寺で座禅を組むなどというよりもはるかに辛いことである。

はるかに消耗することである。

普通の人ならストレスから心身がやつれてビクビクするような病気になる。

そのような時にこそ修行が始まる

ビクビクする人はだから嫌がらせや苛めにあった時には、これは修行のチャンスと考えて良い。

わざわざお寺に座禅を組みに行かなくてもビクビクする人は今ここで冷静に生きることが修行なのだと思えば、人間関係のトラブルは成長のチャンスである。

この現実の世の中は、妬みとひがみと情緒的未成熟の海である。

その世界で人から嫌がらせをされつつ自分を見失わないで生きるように努めることがビクビクする人の修行である。

法律的に正しいことをしていてそれですむなら修行はいらない。

警察で物事が解決できるなら、生きていくのに修行はいらない。

警察は民事不介入の原則を貫こうとする

ビクビクする人は法律も警察も日常の嫌がらせには何も役に立たない。

それが現実の世の中である。

最近は嫌がらせの電話に対応する色々な方法が出てきている。

それはいかに嫌がらせの電話が多いかということである。

ある個人事業主は警察に相談をした。

そうすると「電話番号を変えて下さい」と言われた。

しかし事業をしている人はそう簡単に電話番号を変えられない。

仕事の依頼はその長年使っていた電話番号にかかってくるからである。

そういう嫌がらせをする人は何を狙っているのか分からない。

陰で悪いことをする人は何を狙っているのか、分からない。

相手が困ることをすることが目的だからビクビクする側は困る。

「こうしたい」という目的がある人には対応できる。

しかし相手の不幸が目的だと、ビクビクする人はどう対応したらいいかが分からない。

自分が良くなることよりも、人が屈辱を味わうことが楽しい

そういう人の嫌がらせは対処が難しい。

ビクビクする誠実な人は、自分が人に嫌がらせをした体験がないから、どう対応していいかが分からない。

相手の目的をしっかりつかめないと対応を間違える。

ただの妬みか、何か他に目的があるのか?

それによって対応が違う。

ビクビクする人は具体的にどうしたらよいか

ある会社での隣り合わせた上司と部下との席である

ある時上司が部下に用事があってちょうど部下が立ち去ろうという時に部下の名前を呼んだが、部下はそのまま無視して行ってしまった。

上司は無視するなんてけしからんと思い怒りを心の灯に点した。と同時に何かしたかな?という疑問が残った。

たまたま部下はざわついていた社内で上司の呼び止める声が聞こえなかったのである。

部下は営業先に直行直帰のため、社内を出る際、「お疲れ様でした。」と上司に声をかけたが無視されてしまった。

そして部下は何かしたかなと疑問が残った。

そして、次の日から二人の関係はぎこちなくなっってしまった。

お互いにビクビクする社内生活が始まった。

「何かしたかな?」がお互いに言えなかった。

それでお互いにエネルギーを消耗していった。

そしてついに、部下の方から意を決して、ことの深層を上司にせまった。

あの日、何かしましたか?

それで、二人は救われた。

※参考文献:たくましい人 弱い人との違いは何か 加藤諦三著