メンタライジングでの愛着障害の克服の初め

安定した愛着の人は、振り返る力が高い

安定した愛着の人は、身に降りかかった事態に向き合い、それをしっかりと受け止めるが、同時に過剰反応せずに、事実を客観的に見極めようとする。

それによって、事態に即した対処を、冷静にとることができる。

愛着障害の人では、起きている問題自体から目を背け、見て見ぬふりをしてやり過ごしたり、逆に感情的に過剰反応してしまい、かえって状況を悪化させる。

前者の反応は、回避型愛着スタイルと呼ばれるものに典型的であるし、後者の反応は不安型愛着スタイルと呼ばれるものの特徴である。

問題にしっかり向き合うと同時に、客観的に事実を受け止め、過剰反応しないというスタンスと最も関係していると考えられるのが、「振り返る力」である。

振り返る能力は、自らを反省する力であるとともに、相手の気持ちを推測し、汲み取る力でもある

さらに、状況から一歩下がって、事態を高みから俯瞰するように、大きな視点で眺める能力でもある。

こうした能力は、リフレクティブ・ファンクションと呼ばれたり、メンタライジングと呼ばれたりする。

メンタライジングとは、相手の行動の背後に、「心」という機能を想定することで、相手の行動を理解しようとする機能である。

メンタライジング―内省と共感の力

たとえば、いつもはすぐメールの返事をしてくれる人が、一向に返事をくれない。

そういえば、最後に返事が来た時、いつもより短く、そっけないものだった。

こうした相手の行動から、「こちらのメールが負担になっているのではないか」と推測する。

これがメンタライジング

ところが、返事がすぐ来ないことに腹を立てて、怒りの催促メールを出したりすれば、状況はさらに悪化することは必定だ。

振り返り力がある人は、相手の気持ちを察するだけでなく、自分の行動も振り返ることができる。

そういえば、最近少し相手に甘えて、メールを頻繁に出し過ぎていたかなと反省する。

それによって、自分の行動にブレーキをかけ、しばらくメールするのを控えることにする。

すると相手は、自分の気持ちを汲んでもらえたことで、その人に対する安心や信頼を取り戻し、人間関係が破たんすることが避けられる。

ストーカー化してしまい、関係が破たんしてしまうところまで行きつくか、それとも、そうした事態を避け、バランスの良い関係を維持できるかの違いは、行き過ぎたときに、相手から出るサインを読み取り、ブレーキをかけられるかどうかにかかっている。

振り返り力、メンタライジング力とは、今の自分の思いや欲求に飲み込まれず、相手の気持ちや自分のふるまいを客観的に見る力だといえる。

振り返りが可能なためには、感情の渦から、少し距離をとる能力が必要になる

同時に、相手の気持ちを汲み取り、感じ取れることも必要である。

前者は内省する能力であり、後者は共感する能力である。

そして、両者は背中合わせの能力と考えられている。

自分を振り返る力がある人は、相手の気持ちを察する能力も高い。

そして、物事を客観的に振り返ることができる。

なお、メンタリゼーションという名詞形も用いられるが、メンタライジングという動名詞が使われる場合には、能動的で、相互的な働きが強調されている。

実際、心を察知するという働きは、静的というより動的な相互作用である。

相手とのやり取りの中で、それは汲み取られるものなのである。

過去、現在、未来をつなぐ視点―MBTと認知療法の違い

振り返る力が高い人では、愛着が安定しているという事実から、振り返る力を高めれば、愛着が安定するのではないかという仮説が生まれる。

ピーターフォギナーは、この仮説に基づいて、MBT(メンタリゼーションに基づく治療法)を、愛着が極めて不安定な「境界性パーソナリティ障害」の治療において試みている。

メンタライジングを高めるMBTも、認知に働きかける治療の一つだといえるだろう。

では、通常の認知療法とMBTはどう違うのか。

通常の認知療法では、過去の体験は問題にせず、今現在の行動や感情的反応だけを見て、そこから特有の反応パターンやその背後にある考え方のクセを見つけ出し、それを、もっとうまくいく考え方に変えていこうとする。

とくに対象とされるのは、

自分の認知の偏りについてである

それに対して、MBTでは、現在の認知や反応パターンにだけ対象を絞ることはしない。

現在の認知や行動を、過去の体験との関係から理解し、それが過去の状況を再現しようとしていることに気づくことで、過去の呪縛を解こうとする。

また自分だけでなく、他人の視点からも物事を見ていき、相互的なやり取りを重視する。

たとえば、人の顔色ばかり気にして、つい機嫌をとってしまう人がいるとしよう。

認知療法では、それを、他人に頼らないと生きていけないという信念を抱いているがゆえに、他人に合わせることで、生き残ろうとする戦略をとっているのだと説明する。

しかし、こうした説明を聞くことで、自分の行動パターンを理解することはできても、その行動自体を変えることは難しい。

それに対して、MBTでは、その人の過去を紐解いていくことで、親に支配され、いつも顔色を見て機嫌をとってきた過去を、記憶によみがえらせる。

そうした過去の体験も視野に置きつつ、人の顔色ばかりうかがってしまうという現在の行動を振り返ってみると、自分が過去の体験を再現しているということが、まざまざと理解される。

その根っこから、現在の行動や認知をとらえられることで、より深い洞察が得られるとともに、カタルシスが起きて、その呪縛が解けていくことにつながる。

実際、思いがけないつながりを知って、感極まり涙を流す人も多い。

つまり、愛着の傷となっている体験にまで遡って、現在の行動を理解したとき、人は心を強く動かされ、認知や行動の修正も起きやすいのである。

さらには、そうした課題を抱えた人が、治療スタッフとやり取りすることにより、自分や相手の感じ方、受け止め方について気付くことができ、さらに気付いたことをやり取りすることで、変化を生んでいく。

メンタライジングと認知・行動が、フィードバックし合うことが、修正を生じやすくするのである。

愛着が絡んだ問題では、歴史的な因果関係があり、また相互的な絡まり合いがあるので、MBTの手法が、通常の認知療法よりも効果を発揮しやすいと考えられる。

メンタライジングが明らかにする過去の傷による悪循環

夫のことが、鈍感で、思いやりに欠け許せないと感じている女性のケースで考えよう。

妻は、自分がイライラさせられるのは夫に原因があるのだと考え、夫を責め続け、その結果、関係は悪化の一途をたどっていった。

ところが、彼女は自分の子ども時代を振り返る中で、いつも愛情不足を味わい、関心を得ようとして、よく癇癪をおこしていたことを思い出した。

そして、同時に、女性は気付いたのである。

幼い自分が、小さな弟のことにばかり関心を向ける母親に対して怒りを感じ、母親をなじったりこまらせたりしていたことが、今、夫を思いやりがないと責め立てているのとそっくりだということに。

幼い頃のやり場のない怒りを、今も引きずり、自分に無関心な母親を夫に見ていたことに気づいたのである。

さらに女性は、このまま過去の呪縛にとらわれて、同じ行動を再現し続けると、早晩結婚生活は破壊され、終わりになることを悟ったのである。

これまでは、夫が思いやりのない悪い人だと思っていたので、別れてもいいとさえ思っていたのだが、もし母親に対する怒りに今も操られて自分の人生を壊す結果になっているのだとしたら、それはあまりにも馬鹿げていないだろうか。

そうした新しい洞察が生まれたことから、彼女は本気で夫との関係改善に取り組むようになり、離婚を回避できたのである。

このようにメンタライジングは、過去の愛着の傷によって起きていることが、現在の愛着関係を破壊しようとしているという悪循環を明らかにする。

愛着障害によって、過去に苦しめられただけでなく、現在も苦しみ、未来さえも台無しにしようとしていることに気づいたとき、その呪われた運命から一歩外に出ることができるのだ

過去の体験から現在、未来へと連なる歴史的な視野に立つとき、初めて人は、自分を動かしている個人を超えたものの支配に気づき、それに操られないことを学び始める。

分析的と共感的メンタライジング

脳科学的な研究が進むにつれ、相手の心を推測する働きにも二種類のタイプがあることがわかってきた。

一つは、相手と同じ気持ちになることで、それを感じ取る働きであり、「共感的メンタライジング」という

それに対してもう一つは、共感して同じ気持ちになるわけではないが、相手の気持ちを読み取る能力のことで、「認知的メンタライジング」とか「分析的メンタライジング」とよべるものである。

両者は別な働きではないかと考えられるようになっている

将棋の駒でも動かすように、人の気持ちを操るのが上手な人がいるが、このタイプの人は、必ずしも、自分を振り返ったり、相手の気持ちを汲み取ったりすることに長けているわけではない。

客観的な分析能力は、新しい進化の産物で、愛着の安定性にも、どうやらあまり寄与しない。

むしろ、客観的な分析力に長けている人では、人に対してクールすぎて、心の通った親密な関係を結ぶことに関心が乏しいことも珍しくない。

他人を心理的にコントロールして、利用するような危険な人物の中には、後者の分析的メンタライジングの能力ばかりが発達していることもある。

愛着の安定化に必要なのは、むしろ前者であるが、後者がまったく未発達でも、狡い人にだまされたり、攻撃をかわせなかったりということになってしまう。

安定した対人関係を維持するだけでなく、有害な相手から身を守るためには、客観的に状況を把握する能力も必要で、両者がバランス良く発達していることが大事だといえる。

支援者に求められるのは、分析的以上に、共感的なメンタライジングである

冷たい分析をするだけでは、閉ざされた心を開くことも、凍り付いた心を溶かすこともできない。

支援者の共感による本人の愛着の安定があってこそ、味わった痛みや寂しさ、怖さといった気持ちとともに、自分の身に起きた出来事を、客観的に振り返ることができ、それを乗り越えやすくなるのである。

人によっては、分析的メンタライジングは発達しているが、共感的メンタライジングが弱い人もいるし、その逆の人もいる。

サポート役の人は、本人に不足しがちな部分を補いながら、両者のバランスを図る。

そうすることによって、自分自身だけでなく、相手の気持ちや事情という観点からも、統合的に状況を見ることができるようにサポートしていく。

立場を入れ替えたロールプレイ、ロールレタリング

とはいえ、メンタライジングが未発達な人では、自分の気持ちにとらわれてしまい、相手の立場に立って考えたり、第三者的な目で自分の状況を眺めたりすることは、やはりとても苦手である。

そこを突破する方法として使われるのが、ロールプレイ(役割演技)やロールレタリング(役割交換書簡法)という手法である。

ロールプレイの中でも、相手と立場を入れ替えたパターンをおこなうことで、相手の立場に立って考える練習になる。

これはメンタライジング、中でも共感的メンタライジング能力を格段に向上させる。

医師が医療少年院で、共感性に困難を抱えている少年たちにおこなっていたのは「やる気のない後輩を、気分を害させないように上手に叱るにはどうしたらいいか」といった身近な場面設定だけでなく、「末期ガンだとわかった父親が面会にやってきた」といったシリアスな場面設定をして、少年役と父親役をやってもらう、というようなこともおこなっていた。

これはかなり難易度の高い設定だが、少年たちは末期ガンの父親の心境にもなり、また、父親の最後の面会を受けた少年の心境にもなって、最後は涙ぐみながら演じたのである。

もっと一般にも使える設定で効果的なのは「悩みごとの相談に乗る」というロールプレイである。

自分の悩みを仲間に相談するだけでなく、次のステップでは立場を入れ替えて、相手から相談を受け、自分が相手にアドバイスするという形をとる。

つまりは、自分の悩みに自分がアドバイスすることになるのだが、これが問題を客観視する良い練習になる。

また、ロールレタリングも優れた方法である。

たとえば、じぶんから親にあてた手紙を書くだけでなく、その手紙に親になったつもりで、自分にあてて返事を書く。

そして、さらにまた返事を書く、といった取り組みをする中で、自分の視点だけでなく、親の立場に立った視点にも想像が及ぶようになる。

大きな変化が起きるきっかけとなることが多い。

しかし、これらの手法はタイミングが大事だといわれている。

あまりに早い段階で使われても、本気で取り組もうとさえしないで終わってしまう。

まずその前段階で必要なのは、支援者との愛着関係が安定化し、信頼が生まれていることである。

できれば、親との関係も、いくぶん修復の徴候が見えていることが望ましい。

だが、ときには、周囲とはまったく断絶した状態で、改善の手がかりが何もない中で、そうした手法に起死回生のチャンスをかける場合もある。

メンタライジングを刺激する場としては、同じような課題を抱えている人の状況に、第三者として立ち会うことも重要である。

自分のことは振り返るのには抵抗があっても、人のことはよく見えるということがある

仲間の姿を見て、そこに自分の課題を重ね合わせ、気づきを得るということは、非常に多いのである。

その意味で、同じ課題を抱えた自助グループで、体験を語り合ったりすることは、メンタライジングを高める上でも有益だといえるだろう。

カウンセリングの中でも、ロールプレイの手法は重要性を増している。

実際に本人が困った状況を再現し、いくつかのパターンでロールプレイすることで、さまざまな気づきを得ることができるからだ。

自分の発言や反応の仕方によって、人の反応も変わってくるという相互性を学ぶこともできる。

「他人」という固定した他者がいるように思いがちだが、じつは他人は、こちらの動きを映し出している面をもつということもわかってくる。

相手の気持ちや反応を読み取りながら、それに応じて、こちらの反応を調節していくという実践的な能力をつけるのにも役立つ。