人間はタイムマシンに乗ることもできなければ、時計の針を巻き戻すこともできません。
しかし、過去の出来事にどのような意味づけをほどこすか。
これは「いまのあなた」に与えられた課題です。

社会や政治のような社会的な問題に憤りを覚えることはあります。
しかしそれは、突発的な感情ではなく、論理に基づく憤りでしょう。
私的な怒り(私憤)と、社会の矛盾や不正に対する憤り(公憤)は種類が違います。
私的な怒りはすぐに冷める。

一方の公憤は、長く継続する。私憤の発露としての怒りは、他者を屈服させるための道具にすぎません。

もしも面罵されたなら、その人の隠し持つ「目的」を考えるのです。
直接的な面罵に限らず、相手の言動によって本気で腹が立ったときには、相手が「権力争い」を挑んできているのだと考えてください。

たとえば子供は、いたずらなどによって大人をからかってみせることがあります。
多くの場合、それは自分に注目を集めることを目的にしたもので、大人が本気で怒る直前に引っ込められます。

しかし、もしもこちらが本気で怒るまでやめないのだとすれば、その目的は「闘うこと」そのものでしょう。
それは、勝つことによって自らの力を証明したいのです。

たとえば、あなたが友人と、現下の政治情勢について語り合っていたとしましょう。そのうち議論は白熱し、お互い一歩も言い争いの中、やがて相手が人格攻撃にまで及んでくる。
だからお前は馬鹿なのだ、お前のような人間がいるからこの国は変わらないのだと。

この場合、相手の目的はどこにあるのでしょう?
純粋に政治を語り合いたいのでしょうか?
違います。
相手はただあなたを非難し、挑発し、権力争いを通じて、気に食わないあなたを屈服させたいのです。
ここであなたが怒ってしまえば、相手の思惑通り、関係は権力争いに突入します。いかなる挑発にも乗ってはいけません。

では仮にあなたが言い争いを制したとしましょう。そして敗北を認めた相手が、いさぎよく引き下がったとしましょう。ところが、権力争いはここで終わらないのです。
争いに敗れた相手は、次の段階に突入します。

「復讐」の段階です。
いったんは引き下がったとしても、相手は別の場所、別の形で、なにかしらの復讐を画策し、報復行為に出ます。

例えば、親から虐げられた子供が非行に走る。不登校になる。リストカットなどの自傷行為に走る。
フロイト的な原因論では、これを「親がこんな育て方をしたから、子供がこんな風に育った」とシンプルな因果律で考えるでしょう。
植物に水をあげなかったから枯れてしまったというような。
確かに分かりやすい解釈です。

しかし、アドラー的な目的論は、子供が隠し持っている目的、すなわち「親への復讐」という目的を見逃しません。

自分が非行に走ったり、不登校になったり、リストカットをしたりすれば、親は困る。

慌てふためき、胃に穴が開くほど深刻に悩む。
子供はそれを知ったうえで、問題行動に出ています。
過去の原因(家庭環境)に突き動かされているのではなく、今の目的(親への復讐)をかなえるために。

たとえば、リストカットをする子供を見て「なんのためにそんなことをするんだろう?」と不思議に思う人は多いでしょう。
しかし、リストカットという行為によって、周囲の人、たとえば親、がどんな気持ちになるのかを考えてみてください。

そうすれば、おのずと行為の背後にある「目的」が見えてくるはずです。

そして、対人関係が復讐の段階まで及んでしまうと、当事者同士による解決はほとんど不可能になります。
そうならないためにも、権力争いを挑まれた時には、絶対に乗ってはならないのです。

対人恐怖症、社交不安障害を克服したい人は、もし権力争いを持ちかけられたら距離をとりましょう。

※参考文献:嫌われる勇気 岸見一郎著