否定や批判に過剰反応する不安型(とらわれ型)愛着障害

不安型(とらわれ型)愛着障害の人は、自分が受け入れられているかどうか、相手に認めてもらえているかどうかに過敏である。

少しでも相手の反応がおかしかったり、いつもと違っていたりすると、それだけでやきもきと気をもんでしまう。

相手の顔色に敏感で、必死に相手に認めてもらおうと頑張るのだが、少しでも相手の評価が下がったような気配を感じると、落ち込んでしまうか、あまりにも追い詰められたと感じると、逆に怒りモードになって、攻撃的な反応をすることもある。

自分を過度に責めるにしろ、逆ギレして相手を責めるにしろ、否定的なことに過剰反応するのが大きな特徴だといえる。

このことが、自分を苦しめるだけでなく、周囲にとっても苦痛の種となりやすい。

不安型愛着スタイルの人は、人に認められたいと必死なので、過剰なまでに「良い子」を演じようとする。

しかし、それも早晩、限界を迎える。

そして、いったん攻撃的な面を出し始めると、まるで堤防に亀裂が入ってしまったかのように、ストレスがたまるたびに堤防が決壊し、爆発を繰り返すようになるようなことも珍しくない。

遠慮のない親密な関係になればなるほど、不安型愛着スタイルの人は、最初の「良い子」の印象とは正反対の「悪い子」の部分を目立たせるようになる。

パートナーや恋人に対して、あるいは子どもに対して、感情的に怒りを爆発させるようになる。

本人からすると、相手が「悪い子」になっているのである。

過度に「良い子」か、過度に「悪い子」かでしか反応できないのは、不安型愛着スタイルの人が「求めすぎる」という体質をもっているためでもある。

自分にも、相手にも、求めすぎてしまうため、完璧に応えることができれば「良い子」でいられるが、それが破れると、「悪い子」に様変わりする。

じつはその人の親もまた、わが子を「良い子」でいるときは受け入れ、愛してくれたが、悪い子になると、とたんに拒否し、突き放していたのである。

それゆえ、自分を怒らせる「悪い子」を見ると、同じように拒否し、いためつけないではいられなくなる。

こうして「悪い子」は、今や「怖い親」になって、「悪い子」を怒鳴っている。

かつて「怖い親」に怒鳴られたように。

相手が、「良い子(人)」であれば、自分も「優しい親(パートナー)」でいられるのにと思いながら。

しかし、本当の原因は、相手にあるのではなく、不安型愛着スタイルの人が幼い頃に身に付けてしまった、両極端な過剰反応にあるのである。

周囲からすると、誰かのことをとてももち上げているかと思うと、いつの間にか、とてもひどい悪人のように貶めているということを、しばしば経験することになる。

この間まで、ほめていたのに、あれはどうなったのだと首をかしげてしまう。

ほめたり貶めている相手が第三者のうちはいいが、そのうち、こちらに矛先が向かうと、同じような目にあうことになる。

もち上げられて気分を良くしていたら、何かの拍子に、とてもひどい悪人だというように叩き落とされる。

その落差が激しい。

その両極端な言い分に、周囲は振り回されるだけでなく、次第に信頼関係がもてなくなっていく。

その人が何か肯定的なことを口にしたとしても、いつ、また全否定に変わるかしれたものではないと思ってしまうので、百パーセント信じられなくなってしまうのだ。

すると、「信じてもらえていない」ということを敏感に感じ取り、そんなふうに思われているのならと、攻撃や無視で懲らしめようとする。

結果的に、良い関係の期間はどんどん短くなり、対立やケンカばかりが起きるようになってしまう。

夫婦や恋人の関係であれば、やがて関係を解消して終わりにすることもできるが、親子関係となるとそういうわけにもいかない。

ではどうすれば、このタイプの人と上手く付き合い、安定した関係を維持していけるのか。

不安型愛着スタイルの人と上手く付き合うには共感がとりわけ大事

不安型愛着スタイルの人は、自分をうけいれてもらいたい、認められたいという欲求が非常に強い。

その点に彼らの最大の関心事があるといってもいいほどだ。

少しでも、自分のことを否定されたとか、拒否されたと感じると、気分を害し、相手に対して批判的になる。

自分のことを否定されたとか、拒否されたと感じると、気分を害し、相手に対して批判的になる。

自分のことを受け入れてもらえないことに、悲憤慷慨するだけでなく、自分を受け入れない相手は、お断りだという反応を引き起こしてしまうのだ。

そうなってしまうと、いくらその人の力になろうとしても、もう心を開いてもらえない。

不安型の人は、自分が否定されたということを長く引きずりやすく、そうした言動をした相手を許せない。

したがって、そうした関係になってしまうと、その先がなかなか難しい。

関係を解消して、距離をとるしかないということも、現実には少なくない。

そうした最悪の状況に陥らずに、不安型愛着スタイルの人と向き合い、安全基地となるためには、何よりもまず、共感を大事にする必要がある。

相手の思いをよく受け止め、大変さや苦労をねぎらうことが大切だ。

その部分を怠ると、どんなに大事なことを伝え、有効な支援をおこなったとしても、「自分のことをわかってもらえなかった」という印象しか残らないことになる。

せっかくの助言や支援も、受け入れないということにもなりかねない。

自分のことをわかってくれない人を、信用する気にはならないのだ。

不安型愛着スタイルの人では、不満や愚痴、取り越し苦労がどうしても多くなりがちだが、しっかり耳を傾け、おざなりな扱い方をしないことである。

不安型愛着スタイルの人は、共感されることで、何よりも救われるのだ。

実際的な助言や支援は、その上での話である。

ところが、この原則を、実際主義に慣れた人は理解できない。

相手が共感を求めているのに、「そんなことは気にしなくていい」とか、「こうすれば大丈夫だ」といった具合に、対処法ばかりを助言しようとする。

あるいは、「過剰反応しすぎだよ」「取り越し苦労ばかりして」と相手の心配や不安を否定的にあしらってしまう。

そうした対応の結果、その人の心に残るのは、「まともに相手にしてもらえなかった」とか、「自分の感じ方はダメだと否定された」という思いである。

もやもやした不安や苦しさは何ら解消されないままなのだが、相談してもまともに聞いてもらえない上に、こちらの感じ方まで否定されるので、もう何も言えないと思ってしまう。

それがやがて、相手に対する不満や苛立ちとなり、攻撃的な態度となって爆発する。

そうなるもっと前の段階で、心を込めて聞くようにすれば、信頼感は増し、後の爆発を防ぐことにもなるのだが。

マメな人が愛される理由―高い応答性による寄り添い

女性にもてる男性には、まめな男性が多いということがいわれたりする。

このことが普遍性をもった真実かどうかはわからないが、こと、不安型愛着スタイルの人を相手にする場合には、マメな人が圧倒的に好まれるだろう。

逆にいえば、マメでない、手間を厭う人は、最初はとても愛されていても、だんだんその愛を失うことになるだろう。

不安型愛着スタイルの人は、いつも自分のことをかまってくれたり、世話をしてくれたり、かかわりをもってくれる人を、切実に必要としているのだ。

したがって、不安型愛着スタイルの人にとって、遠距離恋愛は試練のときだといえる。

たまにしか会えない人よりも、身近でいつも頼れる人の方に、心を移してしまうことも多い。

不安型愛着スタイルの人にとって、すぐに頼れない存在は、いないのも同然なのである。

不安型愛着スタイルの人の場合、メールの返事が遅れるだけで、機嫌が悪くなったり、不安定になったりすることも起きやすい。

自分が求めているのに、返信がこないということを「無視された」と受け取ってしまうのだ。

安全基地として大事な条件の一つは、応答性であった。

求めたら応える。

これが安定した愛着を築いていく上での根本原則なのである。

メールを送ったのになかなか返事が来ないということは、その応答性に欠陥があるということであり、安全基地としては失格だという事になる。

まめである、ということが、どうしてそれほど相手を喜ばせ、愛情につながるかといえば、まさに、それは高い応答性をもつということだからである。

高い応答性をもった存在に寄り添われるということは、ことに自分を認めてもらうことに過剰なまでの関心をもっている不安型愛着スタイルの人にとって、こよなく心地良いことなのである。

不安型愛着スタイルの人の安全基地となって、支えていこうとする場合、このことをしっかり頭に刻み、まめな反応をつねに心がける必要がある。

「明日でもいいか」などと、反応を少し遅らせたばっかりに、大変な思いをするということにもなる。

また、「待たせる」ということも、このタイプの人の精神状態を悪化させる要因となる。

手間を怠らず、しかも、素早く反応するように心がけるだけで、このタイプの人との関係は、大いにスムーズなものになるだろう。

さらに、もしうまく応答できなかったときには、ほんにんにとってとても大きな試練だったということを理解して、ちゃんと謝罪する必要があるだろう。

「大したことではない」という態度は、結局、ツケを膨らませるだけである。

不安型愛着スタイルの人は本音を言えず、わかりにくい反応をする

不安型(とらわれ型)愛着スタイルの人が、しばしば相手を戸惑わせるのは、「本当は求めているのに拒否をしたり、そっぽを向いたり」といった、素直でない反応を見せることである。

こうした反応を見せるのは、身近な、愛憎の絡んだ存在に対してである。

つまり、親密な関係になるほど、そうした面を出しやすいといえる。

それは、甘え方の一つの様式だからである。

もともと不安型愛着スタイルの人は、相手がどう受け止めるかを気にし過ぎて、本音がなかなか言えない。

言わなくてもわかってほしいという気持ちは強いので、その部分を汲み取ってもらえないと、イライラしてしまう。

不機嫌になったり、悲しそうにしたり、口をきかなくなったり、攻撃してきたりという、わかりにくい反応として出てくるのだ。

本人からすると「どうしてわかってくれないの」と思っているのだが、相手からすると、なぜそんな態度をとるのかがわからない。「またいつもの不機嫌が始まった」くらいにしか思えない。

しかし、それでは安全基地にはなれない。

「不機嫌」や「拒否」「攻撃」は、不安型愛着スタイルの人の”文法”では、「もっと自分の気持ちに目を向けて」「もっと気持ちをわかって」という”抗議”なのである。

したがって、そうした反応を目にして、こちらも嫌な顔をしたり、面倒くさそうな態度をとったりすれば、なおさらすれ違いが広がってしまう。

そういうときには「どうしたの?」と尋ねるのも一法である。

「別に」といった拒否的な反応しか返ってこないかもしれないが、そこはひるまずに、「何か嫌なことがあったの?」とか「つらかった?」などと問いかけていく。

「良かったら話して」
「話してくれると、うれしいな」などと、控えめに促すのも良い。

本当は言いたいのだが、自分の方から歩み寄るのが癪なので、言い出すのをためらっている。

こちらから歩み寄る姿勢を見せることがポイントである。

爆発して怒りをぶちまけてきたり、責めてきたりする場合も、「それほど本人は我慢していたり、言いたくても言えなかったりしたことを抱えているのだ」と受け止めて、反論や反撃はせずに、本人の言い分をしっかりと受け止める姿勢を見せることが大事である。

こちらを防衛したり、弁解したりする言葉ではなく、本人の気持ちを汲み取る言葉をかけることが、本人の気持ちを落ち着かせ、今後の関係改善にもつながる。

「言いたくても言えなくて、ずっと我慢していたんだね」とか「そういう気持ちでいたんだね。気付いてあげられなくて、ごめんね」といった言葉かけである。

いずれにしろ、とにかく本人の気持ちを優先して考える姿勢が大事である。

こちらの都合や事情を言って弁解しようとすると、余計に怒りを煽り立てることになる。

ただ、本人の気持ちを受け止めた上で、「うまく伝わらなかったかもしれないけど、自分もずっと心配していたんだよ」とか「あなたの期待にはうまく応えられなかったかもしれないけど、あなたのことを大切に思っているんだよ」と、本人への気持ちを伝えることは、相手に大切に思われたいという不安型愛着スタイルの人の欲求に応えることになるだろう。

不安型愛着スタイルの人の依存的な特性をどう扱うか

不安型愛着スタイルの人は、何か不快なことや、思いに反することが起きたとき、過剰反応してしまう。

原因と見なした人を非難したり、罵ったりするかもしれない。

それに対して、「そんなに大騒ぎしなくても大丈夫だよ」などと言って、当人の怒りや非難をまともに相手にしないでいると、自分の思いをはぐらかされたとか、親身に受け止めてくれなかったと感じて、いっそう立腹し、落ち着かせようとしている人にまで食ってかかるかもしれない。

あるいは、その場では矛を収めたとしても、恨みを引きずり、後でしっぺ返しを食らうかもしれない。

また、不安型愛着スタイルの人は、自分で決めるのが苦手である。

重大な決定だけでなく、些細な判断も、自分一人でするのは自信がない。

誰かにすぐ相談したくなる。

不安型愛着スタイルの人がカウンセリングに馴染みやすいのは、そのためである。

しかし、傾聴と共感を中心とするカウンセリングでは、通常は答えを言わず、本人に答えを見つけてもらう方法をとるため、不安型の人は物足りなく感じる。

自分で決めることが苦手な不安型愛着スタイルの人は、代わりに決めてほしいのだ。

自分で見つけ出すのではなく、どうしたらいいのか、答えを教えてほしいと思うのだ。

だが、ここで答えを教えてしまいたくなっても、教えない方がいい。

それではやはり、自分のものにならない。

自分で考えるということが大事なのである。

「あなたはどう思う?」

「どうしたいの?」
と、あくまで本人の主体性を尊重する態度をとる。

その上で、本人が自信なさそうにであれ、自分の気持ちや考えを言ったときには、そのことを肯定的に評価し、支持する。