“生きていることが楽しくないから急に不愉快になる”

福島県須賀川市内の高校二年生の長女(十六歳)が母親(四十二歳)を刺した。

「勉強のことで母親に怒られた」と供述している。

しかし彼女はもともとが欲求不満で、心の中は外側の世界と関係なくイライラしている。

そこに母親の「携帯電話の料金が高い、勉強しなさい」という言葉で、自分の心の中のイライラ状態を感じて、犯行に及んだのだろう。

その母親の言葉がイライラさせたというよりも、もともと高校二年生の長女はイライラしている。

その心の中のイライラが母親の言葉を通して外に現れたのだろう。

何だか分からないけど人の態度や言葉で途端に不愉快になる。

誰も不愉快になりたくて不愉快になる人はいない。

誰もが愉快な気持ちで生活をしたい。しかしどうしてもそれができない。

一時愉快に感じる時があっても、ある人のある一言で途端に不愉快になる。

そしてその不愉快な気持ちがなかなか治まらない。

いったん不愉快になるとなかなか不愉快な気持ちから抜けられない。

急に生きているのが嫌になる。

それは土台が不愉快だからである。

生きていることが楽しくない。

「楽しくない」が土台だから、何かあると急に不愉快になるのである。

生きていることが面白ければ、人は些細なことでそんなに急に不愉快にはならない。

もし生きていることが楽しければ、他人の一言でそんなに急に不愉快になることはない。

急に生きているのが嫌になるほど落ち込まない。

生きていることそのことが楽しい人と、生きていることそのことが面白くない人では、同じ人の同じ態度でも反応は違う。

単なる一言で突然襲われる不愉快な気持ちは、生きることが楽しくない心の外化でしかない。

自分が自分にふゆかいなのだけれども、つまり自分の心の中が不愉快なのだけれども、それを直接無媒介には感じない。

その人はそれを相手の言葉を通して感じているに過ぎない。

だから先に述べたように、こういう人は相手への要求が多くなる。

いつも相手がうれしそうにしていて欲しい。

自分を楽しい気持ちにさせてほしい。

しかし実は相手がどういう態度になろうが、どういう言葉を使おうが、突然不愉快な気持ちになる。

外化する人は他人から影響されやすい。

非影響性が高い。

他人の言動に「不当な重要性」を与えてしまう。

もともと他人の言葉などそれほど重要なものではない。

私たちは独りよがりの「重要性の付与」ということについて注意しなければならない。

対人恐怖症者や神経症の人は何でもないことに勝手に不当な重要性を付与する。

どうでもいいことを天下の一大事のように騒ぐ人がいる。

言うことがとにかくおおげさなのである。

ある人の言った些細な一言を捉えて「人間として許せない」と騒ぐ。

まるでその一言で日本の将来が変わると言わんばかりに騒ぐ。

まさにひとりよがりの「重要性の付与」である。

その人自身が不安で怯えて生きていたり、周囲の人から注目が得られなくて欲求不満の塊であったりすると、異常な反応をする。

その人が自分の心の中を、べつにどうでもいい一言に外化して、天下の一大事にしてしまう。

対人恐怖症、社交不安障害を克服するには不愉快は自分の中にあることを理解することである。

※参考文献:イライラのおさめ方 加藤諦三著