子どもには、父親と母親がいる。

両者は本来、子育てにおいて協力し合うべく存在している。

母親が回避型愛着スタイルや不安型愛着スタイルであっても、父親が安定型であることによって、子育てにおける不足や偏りを補うことができるのである。

しかし、両者が不安定型だと、負の相乗効果が起き、両者の関係が不安定になりやすいだけでなく、子育てにおいても極端な偏りを生じやすくなる。

実際、コーンらの研究によると、不安定型の愛着スタイルをもつ母親であっても、安定型の夫と結婚した場合には、不安定型の夫と結婚した場合に比べて、子どもに対してより良い支えを与え、助けになろうとする。

母親の子どもに対する養育態度は、母親の愛着スタイルだけで決まるわけではなく、夫の愛着スタイルによっても左右されるのである。

不安型愛着スタイルの母親と回避型愛着スタイルの父親という組み合わせはよくあるパターンで、その場合、父親は子どもに無関心で、子育てに協力せず、その分母親に負担がかかって、子どもを感情的に叱り飛ばしたり注意ばかりすることになる。

たまに父親が口を挟むかと思えば、母親の気持ちや感情を逆撫でするようなことばかりで、火に油を注ぐ結果となる。

子どもは母親を恐れ、やがて反発するようになる一方、父親には何の愛着も感じない。

そもそも愛着システムが何のために発達したかと言えば、それは、子育てを守るためである。

愛着システムによって、子どもは母親を求め、そんな子どもを母親は肌身離さず守り、父親と母親が絆を保つことで、父親もまた子育てに協力する。

家族という仕組みは、愛着のシステムが拡大したものであり、家族もまた、子育てを守るために本来生まれたものである。

愛着システムがうまく機能しなくなると、父親と母親の絆がまず緩み始め、それが母親と子どもの絆にも及んでいく。

父親が子育てに協力しなくなり、家族はバラバラになる。

そして、ついには母親さえも、子どもを育てることに困難を覚えるようになる。

愛着の崩壊は、家族の崩壊であり、子育てを守る仕組みの崩壊なのである。

愛着スタイルは介護への姿勢にもあらわれる

愛着スタイルは、パートナーや子どもへの関わり方に強くあらわれるわけだが、自分自身の親に対する姿勢にもあらわれる。

それは特に、親に介護が必要となったときの対応においてである。

回避型の人の場合、親の介護に対する姿勢は消極的で、介護を重荷だと感じやすく、親を施設に入れて、世話をそちらに任せようとする傾向が強い。

子どもに対しては過剰な世話をする傾向のある不安型愛着スタイルの人も、親に対しては支えになろうとしない傾向がみられる。

親が認知症になっても、子どもとの愛着は残っているが、そのスタイルの違いは再会した場面の反応の違いとしてあらわれる。

ある意味、露骨にあらわれると言ってもいいだろう。

認知症の親と子どもが再会する場面を観察した研究によると、子どもの愛着スタイルが安定している場合には、親はとても再会を喜ぶが、子どもの愛着スタイルが不安定な場合には、親の反応も乏しかったり、ぎこちなかったりしたという。

子どもの愛着スタイルが不安定な場合には、親の反応も乏しかったり、ぎこちなかったりしたという。

子どもの愛着スタイルは、親との愛着を反映しているが、それは親の側の、子どもに対する愛着を反映したものでもある。

親の反応が乏しかったりネガティブなものであったりすれば、子どもも面会や介護の意欲をもてなくなるだろう。

愛着が不安定な子どもを、親はますます愛さなくなるのと同じように、子も、無愛想な親を世話したいとは思わなくなる。

愛着という観点からみると、施設化の進んだ現在の介護システムは、着実に脱愛着型社会に向かってすすんでいることの結果である。

親が、自分の年老いた親を介護する姿を、子どもが目にすることもなくなりつつある。

「人の世話をする」-そんな本能的な仕組みをもって生まれてきたとしても、そうした体験もなく育った子どもは、それを重荷としか感じない。

個人主義的で自己愛の強い価値観やライフスタイルが、回避型愛着を促進している。

それは、孤独に暮らし、見知らぬ人の中で孤独に死んでいくという方向に、社会が向かうことを意味している。

※参考文献:回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち 岡田尊司著