無気力で、投げやりになっている状態。

それは、主体性を奪われた結果、自分に対する責任を放棄している状態である。

回避型愛着スタイルの人が自分の人生から逃げているときも、同じことが起きている。

その場合、主体性と責任を回復させることが、無気力で投げやりな状態から脱することを可能にする。

そして、主体性と責任を取り戻させるために、もっとも有効な道が、その人の安全基地となることなのである。

安全基地として機能し始めると、しだいに気持ちや意思を話せるようになる。

最初は用心しながらでも、だんだんと本音の部分が語られるようになる。

そこから変化への大きな力が生み出される。

その人の安全基地に徹するということが、なぜ変化や回復する力を育むのかと言えば、安全基地という関わり方が、生きる力の源である主体的なエネルギーを活性化させるからである。

本人の主体性を侵さず、自由意志にゆだねることで、本人が本来担うべき責任を本人のもとに返す。

余計な手出しや邪魔をせず、ありのままを肯定することで、その人本来の輝きが戻っていくのである。

ただし、一足飛びに、回避を脱せられるわけではない。

ひきこもりのような深刻な回避にまで陥るのには、それなりに長い時間とプロセスがあるため、一朝一夕でそれを元に戻せるわけではない。

回避を脱したいという願望がでてきたとしても、同時に、回避することにしがみつくしかないという気持ちも強い。

「今さらやっても、もう遅い」「どうせうまくいかないに決まっている」「やって失敗するのなら、しない方がまし」といった弁明も、よく聞かれる。

これは回避を合理化する思考である。

その思考を払拭し、新たにチャレンジをしてみようという勇気を与えるのも、安全基地となる存在に見守られているという安心感なのである。

直接のきっかけと、根底にある問題

回避が長く続いてしまっている場合、傷ついた体験があって、その状況を避けるために回避が生じているだけではないことが多い。

回復に手間どるケースの大部分は、回避型の愛着スタイルを根底に抱えていて、それと回避との両方が重なることで、回避のワナから余計に抜け出しにくくなっている。

そうした場合、回避の部分にだけいくら働きかけても、なかなか事態は改善しない。

愛着の問題を突き止め、そこを手当てしながら、同時に愛着の安定化を図っていく関わりが求められる。

Kさんは、長くひきこもりの状態が続いた後、クリニックを訪れた。

Kさんは、能力的にも体力的にも、社会に出るのに支障がありそうになかった。

しかし、彼は、社会に出ることに対してすっかり自信を失っており、家庭内でも、両親とぎくしゃくしがちな状況が続いていた。

Kさんには、リーダー的な存在として活躍していた時期もあった。

そんな彼がひきこもりに至るには、何か傷つく体験があって、現実回避が始まっているのに違いなかった。

実際、Kさんは、これまでのことを整理しながら話す中で、いくつか、対人関係が消極的に変化するきっかけとなった体験を語った。

その一つは、自分がリーダーとして頑張っていたつもりなのに、いつのまにか周囲から孤立しているのに気付いたときのことだった。

自分が「裸の王様」になったような恥辱を感じ、Kさんは、結局、事態を収拾できず、リーダーの座を投げ出してしまったのだ。

もう一つは、学校に通っていたころ、些細なひと言で友達とトラブルになり、そのことでクラスに居づらくなったことである。

そのとき初めて、自分に対する反発が、友達だと思っていた人の心にも存在しているということを見せつけられ、愕然とした。

本当に助けになってくれる存在が誰もいないという気持ちを味わった。

いずれのエピソードも、他人に対する信頼感を揺るがせかねない体験であり、その後のKさんの行動に深く影響したものと思われた。

そんな体験をすれば、積極的に対人関係を求めるよりも、距離をおいた関係にとどめた方が安全だと感じたとしても不思議はないだろう。

だが、もう少し踏み込んでみていくと、どちらのエピソードも、周囲との気持ちの行き違いからくるものだということがわかる。

つまり、これらのエピソードがきっかけとなって、対人関係に消極的になるより前に、すでに気持ちの擦れ違いを起こしやすい傾向を、Kさんは抱えていたということになる。

浮かび上がる愛着の問題

そこで、もう少し遡って、Kさんの人との関わり方をみていくと、さらに根底にある問題が浮かび上がってきた。

Kさんは、集団でいるときには、他の人とも気楽につきあえるのに、二人きりになると気づまりな感じを意識するという。

その感覚は、小学校高学年のときに始まった。

そのころから、親や教師に対して反抗的になり、特に母親とは顔を合わせるたびにいがみ合っていたという。

二人になったときの気まずさの由来を探ると、Kさんは、父親といるとき、同じような気まずさをを強く感じるという。

父親は、家庭では無口で、ほとんど話をしない人だった。

話しかけても、何も答えが返ってこない。

突き離されたような感じで、そのうち話かけることもなくなった。

ただ、父親を求める気持ちがまったくないわけではなかった。

本当は何か言って欲しかったのだ。

しかし反応を求める気持ちと、何も反応がないことへの苛立ちが、気まずさを強めることになったと思われる。

友だちや他の大人との関係もそうだった。

一歩踏み込んだ親しい関係を求めたい気持ちと、「どうせ受け入れてもらえない、わかってもらえない」という諦めのような気持ちの間で、二人きりになると、何か気づまりで嫌な感じに囚われるのだ。

一方、母親に対しては、もっと気楽に話すことはできたが、母親もKさんの気持ちを、そのまま受け止めてくれるタイプではなかった。

教師だった母親は、何かと教えようとしたり指導しようとした。

Kさんの間違ったところやできないところばかりにすぐ目がいって、それを正そうとするのだ。

ただ聞いてほしいことにも、余計な評価や指導が入るのである。

小学校低学年くらいの間は、それでも言われるままに聞いていた。

だが、思春期になるころから、「そんなことは聞いていない」「教えてくれと頼んだ覚えはない」という反発の方が強まってきた。

Kさんは、口答えや反発を繰り返すようになる。

それが、しだいに、母親と口を利くたびに、諍いになるという状態を生み出した。

毎日のように言い争いが繰り広げられた。

口を開くとケンカだった。

そんな状況で、母親が「安全基地」として機能するはずもなかった。

母親しか相談する相手はいなかったが、その母親は、Kさんが心の中で求めていたように、ただ話を聞き、気持ちを受け止めてくれるという対応とは、およそ反対のことしかしてくれなかったのである。

Kさんも母親も、なぜそんなにぶつかり合い、ケンカばかりして過ごさなければならないのか、わからなかった。

ただ、母親は自分が正しいと思っていることを言っているだけだっただろうし、Kさんの方も、嫌でたまらないことをされて、そう反応するしかないと感じていたはずだ。

お互いが自動的に同じ反応を繰り返して、その状態が性懲りもなく十年以上も続いてしまっているのだ。

この、自動的にスイッチが入ってしまうような行動パターンは、そのことを自覚して修正しようとしない限り、延々と続いてしまう。

その結果、大切な成長期のKさんの心に植え付けられた思いは、「他人は何もわかってくれない。ただ責めるだけだ」という認識であった。

その結果Kさんは、誰に対しても必要以上に攻撃的な態度をとるようになっていった。

これは、回避型愛着スタイルの人にしばしば見られる防御反応の一つである。

親しみを求めて近寄ってくる相手に対して、見下したり、疑うような態度をとった。

本心を見せることも、心から打ち解けることもなく、誰に対しても信頼を寄せることはなかった。

状況次第で、すぐにそっぽを向き、周りの人が困っていても、関係ないという冷ややかな態度をとった。

これでは、誰であれ、離れていってしまう。

そこには、人間としての絆を結ぶために必要な、共感的な応答や自己開示といったものが欠如しているからだ。

情緒的なつながりである愛着や信頼は、そうしたものを通してしか培われないのである。

話を通して、Kさんの回避的な対人関係のスタイルが、どこに由来し、それがどのように、これまでの人生に影響してきたかが、しだいに見えてきた。

引きこもりという現状も、その結果にすぎなかったのである。

※参考文献:回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち 岡田尊司著