モラトリアムが成り立つためには、経済的な支えが必要である。

井上靖は、軍医の父親の脛をかじることができた。

ローリングのように生活保護の助けを得るという方法もないことはない。

また、自分の道を究めるための自由な時間を確保するという回避型愛着スタイルの理想を実現させる場合も、何らかの経済基盤が必要である。

江戸川乱歩は、下宿屋を営むことで、不安定な作家生活を成り立たせた。

アインシュタインは、理論物理の世界に熱中できるように、特許局に勤めた。

そして、山頭火は、乞食の道を選んだ。

図書館員として働いていた時期もあった山頭火が、なぜ究極とも言える手段に行き着いたのか。

また、その暮らしは、どういう意味をもったのだろうか。

図書館員を辞め、再びその日暮らしの生活に舞い戻った山頭火を、関東大震災が襲った。

山頭火は住んでいた家を失っただけでなく、社会主義者との関わりを疑われ、憲兵隊に捕らえられて、留置場に放り込まれてしまったのだ。

隣の房では拷問が行われているという状況で一夜を過ごした山頭火は、すっかり憔悴し、「諸行無常」の感を強く抱くようになる。

命からがら東京を脱出する道中には、同行した青年の一人が、腸チフスにかかり、たどりついた京都であっけなく亡くなってしまうという体験もしている。

ボロボロになって、熊本までどうにか帰った山頭火が頼る先と言えば、別れた妻のもとしかなかった。

しかし、突然玄関先に現れた彼を、元妻のサキノは、取りつく島もなく追い返している。

仕方なく山頭火は、しばらく文学仲間の家に身を寄せた後、瓦礫の町と化した東京に舞い戻った。

しかし、そんな状態で、暮らしが成り立つはずもない。

元夫の窮状を見かねて、サキノも態度をやわらげ、いっしょに暮らすことを受け入れた。

離婚したとはいえ、憎しみ合って別れたわけではない。

息子に対しても、山頭火はそれなりに責任を感じていたようだ。

妻の方も、今さら、貧乏神の元夫とよりを戻す気持ちはさしてないものの、息子のことを考えると、父親がそばにいてくれた方がいいのではと思うようになっていたのだろう。

折しも、長男の健は中学に上がる齢に差しかかっていた。

サキノは小学校で下して、働かせることも考えていたが、是非中学に行かせるべきだと言い出したのが山頭火だった。

口をさしはさむ以上は、それなりの協力をということになり、山頭火はサキノが切り盛りしている文房具店「ガラクタ」を手伝うことになった。

山頭火にとっては、仕事をしてまっとうな生き方をするチャンスが、息子の進学という外部からの要請によってもたらされたのである。

ところが、身を入れて店番をしたのは、最初の1,2カ月だけだった。

山頭火は再び鬱々とした思いに囚われ、それを酒で紛らわすようになる。

事件はその年の瀬に起きた。

何日も夫の姿が見えないことを、サキノは、年末の忙しいときに、どこに行ったのかと訝っていた。

その間、山頭火は泥酔したあげく、市電の線路に仁王立ちし、電車を停めてしまうという事件を起こしていたのである。

怒った乗客に袋叩きに遭いかけているところを、知人に救い出され、その足で、知人が彼を連れて行ったのが、法恩寺という禅寺だった。

酔いから醒めた山頭火は、法恩寺にしばらく居ついた。

噂を聞いて、数日後、サキノが寺を訪れてみると、山頭火は一心に廊下の雑巾がけをしていた。

自分の寝床さえ一度も上げたことのない元夫の物臭ぶりに、長年閉口させられてきただけに、サキノはとても驚いたという。

和尚に聞くと、熱心に修行に励んでいるとのことで、結局、山頭火の身は、その和尚に預けられることとなった。

そのまま山頭火は、読経や作務に励み、三カ月後には、種田耕畝という法名を授けられて、出家得度した。

僧侶となった山頭火に与えられた仕事は、味取観音というお堂の堂守の職だった。

味取観音は檀家が五十軒ほどしかない末寺で、布施だけではやっていけず、足りないところは托鉢して賄う必要があった。

それが、山頭火のその後の人生を支える乞食という収入源となる。

彼が各地を放浪しながら暮らしていけたのも、托鉢という生活手段があったからだ。

昭和不況が襲ってからは、それも厳しくなるのだが、それまでは、十数軒も回れば、鉄鉢が満杯となり、一日の食い扶持が十分手に入ったという。

たどり着いた乞食という生活

乞食は、それ自体が修行の方法とされるが、もともと古代インドなどでは、修行僧を支える社会システムとして定着していた。

施しを与える方にも功徳があることから、双方とも利益を得られる互恵的な仕組みだったのである。

日本でも、信仰心の篤い地方では、托鉢に対して理解があり協力的だが、地方によっては、蔑んだ態度をとったり、排除しようとしたりすることもある。

仏教において、乞食は、もともと尊い行為であるはずだが、同じ字をこじきと読めば、単なる物乞いとして蔑視され、両者の境目は必ずしも明確ではない。

この乞食という営みは、回避型愛着スタイルの人にとって、どこか馴染みやすい、親和性の高いライフスタイルのようにも思える。

たとえば、ひきこもって暮らしている人を考えてみよう。

そういう状況にある人は、通常、身近な誰かの慈悲にすがって生きている。

それは親であったり、きょうだいであったり、パートナーであったりだろう。

彼らが得た日々の糧から、某かを分けてもらい、暮らしを立てているわけだ。

それによって、自らは俗世間に出て労働したり、益を求めたりしないですむ。

修行には、一切生産活動をせず、自分のためにのみ時間を使うという側面があるが、そこだけをみれば、就職しないで誰かの脛をかじり、社会の煩雑事を避けて暮らすことも同じである。

そして、乞食もまた修行である。

ところが、世間一般の価値観としては、誰かの脛をかじって社会に出ることもなく過ごしている人を困り者扱いし、ときにはパラサイト(寄生生物)呼ばわりする。

しかし、仏道修行者にあっては、常乞食、つまり働かずに他人に食を乞うことによってのみ生きることが推奨される。

働こうとすると、そこから欲や生きることへの執着が生じるからであって、身を浄め、仏性にたどりつくこととは逆行してしまうからである。

回避型愛着スタイルの人は、山頭火のように、出家や遁世的な生き方に憧れを抱くことも少なくない。

心のどこかに、いま生きているこの姿は仮の姿という意識がある。

仮の姿であれば、いま目の前にしている現実に執着したところで始まらないわけだ。

仮初の現実は、やがて移ろっていくものでしかない。

母親への愛着が、自殺という形で無残に断ち切られたことで、山頭火は、この世の存在に対する愛着が信じられなくなった。

母子という絶対的な絆さえも、子を守るよりも死を選ぶという形で、いとも簡単に失われるものだとしたら、この世に信じられる絆など他に何があるというのか。

そんな思いに囚われた山頭火が、積極的に生き、一つところに根を生やして暮らすことに貪欲になれないということは、自然な帰結なのかもしれない。

この世が、是が非でも住み続けたい、歓びと楽しみに満ちた場所であるならば、生きることにもっと貪欲になり、他人を押しのけてでも足場を築こうとしただろうが、そうした気合いが山頭火には乏しかった。

乞食の精神は、彼が定職に就くことや定住を試みたときにも、消しがたく見られている。

山頭火が定住した期間に行った仕事は、図書館員、元妻の店の店員、堂守、文芸誌の編集などで、積極的に利益を求めるためというよりも、受動的な居場所といった性格が強かった。

しかも、どれも途中で投げ出している。

文芸誌の編集に関して言えば、彼が一時熊本に庵を結んで定住しようという思いに囚われた際、そのための生活費を確保するために、薄っぺらな雑誌を発刊した。

それを、彼を知る後援者たちに購読してもらうというのだが、これは、一応ビジネスの体裁をとってはいるものの、その内実は、後援者から施しを得る乞食の変形だとも言えるだろう。

周囲の助けもあって、購読者は想定を上回り、生活の基盤が十分確保できる見通しとなった。

ところが、思わぬ大金を手にしてしまった山頭火は、酒におぼれ、俳句も作らなくなり、約束した雑誌の発汗さえも覚束なくなった。

結局、三号を出したところで、うやむやのうちに終わったが、一年分の購読料をすでに支払った人もいて、これでは山頭火の評判をわるくしかねないと周囲の方が心配したほどである。

だが、本人は、事態が窮してくると、後始末もしないまま旅にでてしまい、乞食とさすらいの暮らしに舞い戻ったのである。

※参考文献:回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち 岡田尊司著