たしかに、世の中は善人ばかりではありません。
対人関係の中で不愉快な思いにさらされることは、多々あるでしょう。
しかし、このとき間違っていけないのは、いずれの場合も攻撃してくる「その人」に問題があるだけであって、決して「みんな」が悪いわけではない、という事実です。

神経症的なライフスタイルを持った人は、なにかと「みんな」「いつも」「すべて」と言った言葉を使います。
「みんな自分を嫌っている」とか「いつも自分だけが損をする」とか「すべて間違っている」というように。

もし、あなたがこれら一般化の言葉を口癖としているようなら、注意がひつようです。

アドラー心理学では、こうした生き方のことを「人生の調和」を欠いた生き方だ、と考えます。
物事の一部だけを見て全体を判断する生き方です。

ユダヤ教の教えに、こんな話があります。「10人の人がいたら、そのうち1人はどんなことがあってもあなたを批判する。
あなたを嫌ってくるし、こちらもその人のことを好きになれない。
そして10人のうち2人は、互いに全てを受け容れ合える親友になれる。
残りの7人は、どちらでもない人々だ」と。

このとき、あなたを嫌う1人に注目するのか。
それともあなたのことが大好きな2人にフォーカスをあてるのか。
あるいは、その他大勢である7人に注目するのか。
人生の調和を欠いた人は、嫌いな1人だけを見て「世界」を判断しています。

たとえば以前、吃音の方とご家族が集まるワークショップに参加したことがあります。

どうして吃音がつらいのか?

アドラー心理学では、吃音に悩まれる方々は「自分の話し方」にだけ関心を寄せ、劣等感や生きづらさを感じている、と考えます。
おかげで自意識が過剰になり、ますます言葉をつまらせてしまうのだ、と。

少しくらい言葉を詰まらせたところで、それを理由にして笑ったり小馬鹿にする人は、ほんの少数でしかありません。
先の言葉で言えば、せいぜい「10人のうち1人」の範疇でしょう。
しかも、そのような態度をとる愚かな人間など、こちらから関係を断ち切ってしまっても構わない。
ところが、人生の調和を欠いていると、その1人にだけ注目して「みんなわたしを笑っている」と考えてしまうのです。

読書会が定期的に開かれていますが、その参加者にも吃音の方はおられます。
その方が朗読する時、言葉が詰まることはあります。
しかし、それを理由に笑うような人など一人もいません。
静かに、ごく自然なこととして、次の言葉が出てくるのを待っています。
これは読書会だけに見られる光景ではないはずです。

対人関係がうまくいかないのは、吃音のせいでも、赤面症のせいでもありません。
ほんとうは自己受容や他者信頼、または他者貢献ができていないことが問題なのに、どうでもいいはずのごく一部にだけ焦点を当てて、そこから世界全体を評価しようとしている。
それは人生の調和を欠いた、誤ったライフスタイルなのです。

たとえば、ワーカホリックの人。この人達もまた、明らかに人生の調和を欠いています。
吃音の方々は、物事の一部だけを見て、全体を判断されていました。
これに対しワーカホリックの方々は、人生の特定の側面だけに注目しています。

おそらく彼らは「仕事が忙しいから家庭を顧みる余裕がない」と弁明するでしょう。
しかし、これは人生の嘘です。
仕事を口実に、他の責任を回避しようとしているにすぎません。
本来は家事にも子育てにも、あるいは友人との交友や趣味にも、すべてに関心を寄せるべきであって、どこかが突出したいきかたなどアドラーは認めません。

ある意味それは、人生のタスクから眼を背けた生き方なのです。「仕事」とは、会社で働くことを目指すのではありません。
家庭での仕事、子育て、地域社会への貢献、趣味あらゆることが「仕事」なのであって、会社など、ほんの一部にすぎない。
会社の仕事だけしか考えないのは、人生の調和を欠いた生き方です。

父親の「誰のおかげで飯が食えると思っているんだ」という暴力にも似た声。

おそらく、そうした父親は「行為のレベル」でしか、自分の価値を認めることができていないのでしょう。
自分はこれだけの時間を働き、家族を養うだけの金銭を稼いでいる、社会からもみとめられている、だから自分は家族で一番価値が高いのだ、と。

しかし、誰にでも自分が生産者の側でいられなくなるときがやってきます。
たとえば年を取って、定年退職して、年金や子供たちの援助によって生きざるを得なくなります。
あるいは若かったとしても、怪我や病気によって、働くことができなくなる。
このとき、「行為のレベル」でしか自分を受け容れられない人たちは深刻なダメージを受けることになるでしょう。

自分を「行為のレベル」で受け入れるのか、それとも「存在のレベル」でうけいれるか。

これはまさに「幸せになる勇気」に関わってくる問題でしょう。

対人恐怖症、社交不安障害を克服するには、10人いる中の好意を持ってくれる2人にフォーカスを当てよう。

参考文献:嫌われる勇気 岸見一郎著