真面目だけれども幸せになれない人がいる。

決して怠けてなどいない。
努力している。

いつも利己的な行動をとっているわけではない。

それなのに周囲の人からあまり好かれていない。

会社で言えば人望がない。

家庭で言えば、真面目なおやだけれども必ずしも子育てに成功していない。

要するに努力が報われない人である。

今の時代そういう人が多い。

こうした悩みは個人の責任でもあるが、生きる基礎を教えていない、今の日本の責任でもある。

今の日本は生き方の責任を教えていない。
今の社会は、仕事の技術ばかりを教えるから、人々が人間としての基本がわかっていない。

人間の生き方を教えないから、皆がその場だけの快さで動いている。
自分を受け容れられないあなたが不幸なのは今の人間教育の落ち度でもある。

覚えるだけで、考える力がないのは偏差値教育の責任でもある。

企業の成果主義は所詮はお金の勝負。
お金は空しさを増すだけ。
人間としての向上心がないのも、その人がお金で勝負しているからである。
人を信頼していないからである。

ただ「私が不幸なのは社会の責任」と言っていても、その人は幸せにはなれない。

自分の不幸の責任を社会に押し付けていると、どんどんと違った種類のトラブルが出てくる。

今の日本には、真面目だけれどもこころのなかが幼稚な人が多い。
疑似成長している人である。

疑似成長している人はたえずエネルギーを消費している。
すぐに疲れる。

常時走っている車が、ガソリンが切れて止まるのと同じである。

疑似成長している人には生命力がない。

しかし本当は落ち込むのではなく、今の自分に誇りを持っていい。

誰も好き好んで疑似成長してきたわけではない。
誰でも本当に情緒的に成熟をしたかった。
しかしそれができる人間環境ではなかった。

成長していないのに、成長しているフリをしなければ生きてこられなかった。

内面は幼児なのに外だけは成熟した大人の役割を演じることは地獄である。その地獄を生きてきた。

情緒的には幼児、しかし社会的には大人。

このギャップの中で生きることは、ものすごいエネルギーを必要とする。

普通は倒れる。
今落ち込んでいる人は、それなりに倒れないで今日まで生きてきた。
それはものすごいことなのである。

疑似成長している人は、生命力が無くて当たり前なのである。

ジャングルのなかで毒蛇と闘って生きてきたのである。
普通は消耗し尽して死んでいる。

今その人を「あの人は体力、気力があっていいな」と羨ましがっている人がいる。

しかし実はその人より、今落ち込んでいる人の方がはるかに体力、気力はある。
そんなことが世の中にはよくある。

それなのに逆に羨ましがっている。

世の中には自分の成し遂げた偉業に気が付いていない人が多い。

幼児の頃から集団への献身を求められた人が、どうして大人になってもエネルギッシュでいられようか。
そんなことは無理に決まっている。

死なないで今生きていること自体が、不思議なのである。
ほとんど奇跡に近い。

幼児の頃に搾取されて生きてきた人は、死ぬまで正当に評価されないことが多い。

今、生きることに疲れた人は、「自分は凄いのだ」と気が付いてほしい。

春が来れば雪は解ける。
温かくなれば氷は解ける。
夜には見えないものも朝が来れば見えてくる。

あなたの心の底に積もったゴミを焼き払ってください。
もう「助けてくれ」と人に叫ばないで自分でゴミを焼き払ってください。

人生はやり直しがきくのに、どうしようもないと思っている人達が多い。

※参考文献:自分の受け入れ方 加藤諦三著