人間関係が辛い人が気が楽になる心理

人間関係が辛い内づらのわるい人は、相手が監視してもいないし、監視しようともしていないのに、監視されていると感じる。

監視されていると感じることはたいへんな束縛感である。

人間関係が辛い人は相手が自分を縛ろうとしていないのに、縛られていると感じてしまう。

人間関係が辛い人は「一緒にいる」というだけで圧迫されている感じになる。

人間関係が辛い人は自己が自己でなくなる危険にさらされる。

そこで人間関係が辛い人は個別者としての自己を守ろうと必死になる。

人間関係が辛い人は攻撃的になれないとなると自閉的な構えにならざるをえない。

人間関係が辛い人はひと言でも余分なことをしゃべるまいとして重苦しく沈黙する。

人間関係が辛い人が余分なことをしゃべれば、自己侵害に対抗する自分の防衛的姿勢がくずれてしまうからである。

何度もいうように、相手はこちらを侵害しようなどとはしていない。

ただ人間関係が辛い本人がそのように感じて、勝手に危機に瀕していると感じているだけである。

相手は、侵害しようとして語りかけるわけではない。

語りかけられた人間関係が辛い人、本人が、語りかけられたことで自己喪失の危機に瀕してしまうだけである。

ある人間関係が辛い人は「相手がずかずかと心の中に入ってくる」という表現をした。

人間関係が辛い人はそこで文章にならない単語で返事をする。

人間関係が辛い人が最も少なくしゃべろうとするのは、相手の侵害に対して防衛しようとするからである。

人間関係が辛い内づらがわるいというのは、自分の怒りの感情を表現している場合だけではない。

人間関係が辛い人は気持ちが通じるのを拒否している場合もある。

だからといって人間関係が辛い人は無関係になろうとしているのでもない。

ただ人間関係が辛い人は自己の自己性を守ろうとして防衛姿勢になっているだけである。

人間関係が辛い人は相手の意図は”深読み”しなくていい

「自分を維持できない」ということは具体的にはどういうことであろうか。

人間関係が辛い人はそれはただ何となく自分の秘密を維持できないような気持ちになり、そのことが身近な人間の存在に対する不快感となっていく。

人間関係が辛い人はいろいろと自分についてのことが身近な人間に知られていて、いつも監視されているような感じを持ち、それが束縛感となってくる。

そんな身近な人間同士がお互いに監視しあっていたりすることはない。

相手は決して自分のことなど探っているのではない。

それなのに人間関係が辛い人は身近な人間の何気ない質問を、自分のことを探るためのものと感じてしまう。

人間関係が辛い人はそこから束縛感が生じて、さらに相手に対して不快な感情を持つ。

身近な人間に対して自分が透けてみえてしまっているような不快感を内づらのわるい人間関係が辛い人は持っている。

人間関係が辛い人は身近な人間と自分との自我境界が不鮮明なのである。

人間関係が辛い人のように、よく個別性が確立していないことを自我イメージの未形成とか、自我境界の不鮮明とかいう言葉で表現する。

要するに人間関係が辛い人は自分が他者と区別された固有の自分であるという感じ方ができないということである。

小さな子どもは親のイライラを自分への拒絶と受け取る。

父親は会社のことでイライラしているのかもしれないし、母親は近所とのつきあいでイライラしているのかもしれない。

だが、子どもにとってそんなことは自分とは関係ないことである。

ところが子どもはその親のイライラを自分と関連づけて解釈する。

そのように感じてしまう。

不機嫌な人ほど他人の不機嫌に敏感であるという。

人間関係が辛いすぐに不機嫌になるような人は、自分と他人とをはっきり区別して感じられないから、他人の不機嫌を自分と関係のないこととして感じられないのであろう。

道を歩いていて誰かが振り返った。

すると人間関係が辛い人は自分のことを振り返ったのではないのに、自分のことを振り返ったと他人の行動を解釈してしまう。

あるいは人間関係が辛い人はそう感じてしまう。

人間関係が辛い人がこのような関連妄想をしてしまうのも、結局自分と他人との境界を本人が鮮明に感じられないからであろう。

人間関係が辛い人は心理的にはまだ自他の未分化の世界にいるということである。

人間関係が辛い内づらがわるくて、すぐに押し黙ってしまう人は、自分が身近な人たちと一緒の世界に入ったとたん、他人のあずかり知らない自分だけの世界というものが持てなくなってしまう。

ところが人間関係が辛い人はそれが不安なので自分自身の世界を持とうとする。

人間関係が辛い人はその努力の姿が不機嫌に押し黙った姿ではなかろうか。

人間関係が辛い人へ、人生に不幸を寄せ付けない心理

人間関係が辛い自閉的な世界に入ってしまう人は、相手に近寄られると、自分の部屋に土足で上がられたのと同じ気持ちになってしまう。

人間関係が辛い人は相手に「圧倒されてしまう」「負けてしまう」という。

人間関係が辛い人はそういうのは、相手と接すると自分がなくなってしまうということであろう。

人間関係が辛い人は「自分がなくなる」とは自我が崩壊してしまうということである。

人間関係が辛い人は役目を大切にする。

役目は、自分を相手から守ってくれる防衛の囲いである。

役割は自分がよって立つ立場を与えてくれる。

役割的自己と役割的他者とが接しているかぎり、自我喪失は問題にならない。

他人は自分の役割に反応してくれる。

他人は、自分の〇〇会社××部長に反応するのであって、自分の自我に反応するのではない。

人間関係が辛い人はそのかぎりにおいて弱々しい自我は守られる。

触れられると消えてしまうような弱い自我は、ここでは触れられることはない。

人間関係が辛い人は他人と接すると、自己の同一性が消えてしまう。

人間関係が辛い人は自己の連続性が失われる。

人間関係が辛い人は自己が自己として成立しなくなってしまう。

問題は他人が接してきたとき、人間関係が辛い人はなぜ自己が自己として成立しなくなるのかということである。

その根本的原因は、人間関係が辛い人の幼少期の「見せかけの関係」ではないだろうか。

親しさ、愛情という名のもとに、子どもの一切の感情をコントロールしようとした親、その親によって自分がよって立つ人間としての立場を喪失した。

人間関係が辛い人はそこにこそ原因があろう。

相手の親しさの表現は、条件反射的に人間関係が辛い人の内にコントロールされる不快さを呼び起こす。

それは自分が相手の一部となることであり、相手に吸収されることであり、人間関係が辛い人は自分が自分として成立しなくなることである。

それは人間関係が辛い人の個別化した自分の消失である。

人間関係が辛い人は自己が自己自身として成立しないで相手に吸収される。

それが偽相互性ではないのか。

自己と他者との「分離と個別化」を小さい子どものころから認められなかった人は、大人になって他者が近づくと人間関係が辛い人は自我の解体が起きてしまうのである。

人間関係が辛い人は自己が自己でなくなる不快さ、その不快さから逃れようとして人は、自分を守ろうとして自閉的になる。

ここで大切なのは、人間関係が辛い人は自他を未分化にさせてしまうのは他者の側ではなく、自分の側であるということである。

人間関係が辛い人は他者がこちらに向かって自己の同一性を破壊しようとして近づいてくるのではなく、こちらが他者の接近で”勝手に”自己自身を経験することができなくなる。

人間関係が辛い人は他者の接近で、両親との不幸な出会いがそのつど再現されてしまう。

人間関係が辛い人は昔、抑圧していた不快な感情を、他者の接近で再体験してしまう。

人間関係が辛い人はその不快さのあらわれが内づらのわるさであり、自閉的傾向であろう。

そのような人間関係が辛い人は依存心が強いだけに、誰かに心理的に依存する。

人間関係が辛い人は親しい人に依存し、その親しい人に昔の両親の役割を振りあててしまう。

人間関係が辛い人はその親しい人が両親のようにふるまうのではなく、その人自身が相手を両親の立場に追いやっていくのである。

つまり、両親を嫌いながらも、誰かが両親の役割をはたしてくれないと不安になるのがこの人間関係が辛い人である。

人間関係が辛い人のように両親との不幸な出会いというのは、下手をするとその人の人生を不幸でぬりつぶしてしまう。

人間関係が辛い人はいつも何となく不安定、不愉快でたまらないという一生を送る人もでてくる。

支配的で欲求不満な親に、小さい頃からずっと支配され続け管理されつづけると、どうしてもこのような人間関係が辛い傾向はでてしまう。

実際は依存心が強いのに、自立心の強い人間であるかのごとくふるまっている人間関係が辛い人は、いつもイライラしている。

人間関係が辛い人はいつも何かに追われているかのように落ち着きがない。

心理的に落ち着いている人というのは、実際の自分を正面から見ている人である。

人間関係が辛い不機嫌で内づらのわるい人間も、実際は依存心が強いのに、自己確立しているかのごとくふるまっている人であろう。

人間関係が辛い人は「実際の自分」と、自分が認識している自分は違う。

人間関係が辛い人は自分にとって身近な人に対しては、「かのごとき」ふるまいが不可能になってくる。

人間関係が辛い人は身近な人に対しては、どうしても実際の姿である依存心の強さが出てきてしまう。

人間関係が辛い人はそこから相手への要求もでてくるし、それが通らない結果、不満もでてくる。

しかし人間関係が辛い人はその依存心を認めることができない。

また、人間関係が辛い人は自己確立しているかのごとくいつもふるまっていることで、依存心の強い自分が自分にとって違和感のあるものになってしまっている。

人間関係が辛い人は身近な人に対しては不自然に確立された自己はくずれてしまう。

人間関係が辛い人は身近な人に対しては間がとれなくなってしまう。

人間関係が辛い人が身近な人に対して気が楽になるためには、心理的距離を置いて付き合う、つまりビジネスライクに付き合う術をもつことも大切である。

人間関係が辛い人は「かわいそう」と言われたい

人間関係が辛い人は心の中に怒りを持っている。

人間関係が辛い人はその怒りを外化して、周囲の人が自分に怒っているように思い込む。

そして人間関係が辛い人は勝手に周囲に怯える。

人間関係が辛い人は、極端にいうと相手が襲ってくると思っている。

人間関係が辛い彼らは自分の敵意を他人への敵意に外化する。

そして人間関係が辛い人は自分は他人から悪く思われているのではないかと恐れる。

人間関係が辛い人はそれだけにまたよく思われなければと思う。

人間関係が辛い人は嫌われてもどうということはないのに、現実を生きていないと、嫌われたら生きていかれないように思えてくる。

人間関係が辛い人は嫌われても何も困らないのに、周囲の人たちの好意にしがみつく。

人間関係が辛い人はその人たちから嫌われたら、もう生きていくことができないと思い込んでいるからである。

人間関係が辛い人はそこでいつも嫌われやしないかとビクビクしている。

人間の思い込みの恐ろしさである。

自分が対人恐怖症だと思う人は、まず「嫌われても、困ることなど何もない」と自分に何度も言い聞かせることである。

そして嫌われたら困ると思うことを紙に書いてみる。

すると書くことが何もないことに気がつくだろう。

人間関係が辛いあなたは何もビクビクする必要などないのに、いつもビクビクしていたのである。

対人恐怖症の人は相手が無愛想だと怖い。

人間関係が辛い彼らは聞いてくれることが嬉しい。

人間関係が辛い人は小さい頃親が自分の言う事に関心を持ってくれなかったから。

人間関係が辛い人は小さい頃親が自分の心の悲しい叫びに反応してくれなかったから。

人間関係が辛い人は小さい頃からさびしかったから。

対人恐怖症の人は、いつも人を恐れて近づかないでいるというのではない。

特徴は人間関係の距離感がないことである。

見ず知らずの人なのに、いきなり「ねー、先生」と言ってくる。

人間関係が辛い人は人間関係の距離感がない。

見ず知らずの人に手紙を書くのに、いきなり「ねー、先生」と書いてくる。

自分はいま、悩んで、会ったことのない人に手紙を書いているという自分の位置づけができていない。

人間関係が辛い人は孤独感が強いから、人が「かわいそうー」と言ってくれることが嬉しい。

人間関係が辛い人はさびしいから、誰であっても「そうだったのー、つらかったのねー」と言ってくれるのが嬉しい。

人間関係が辛い人はなぜ人間関係の距離感がわからないのか

人間関係が辛い人は、他人を前にして「完璧な人間」を演じようとする。

人間関係が辛い人は「理想の自分」を演じようとする。

しかし、人間関係が辛い人はもともと人間関係の距離感がわかっていないから、その「理想の自分」がそのときの周囲の状況とズレる。

わかりやすくするために極端な例で説明すると次のようになる。

自分が怖くないからといって、「まむし」を持って花屋さんの店先に来てしまう。

自分は大蛇が怖くなければ、得意になって人前に大蛇を持ってくる。

相手が怖いということがわからない。

そして「どうだ、すごいだろう」と威張る。

相手の気持ちは視野に入っていない。

葬式で金色の草履を履いて「どうだ、すごいだろう」と言ってしまう。

そうなれば、相手も対人恐怖症の人が恐怖である。

ラーメン屋に行って、得意になって「ジャジャジャジャーン!」と言ってナイフとフォークを出すような人である。

よく悩んでいる人に対して「自分を出しなさい」というようなアドバイスがある。

しかし人間関係が辛い人は、「自分を出す」というと周囲の人と違和感のある出し方をする。

人間関係が辛い人は「理想の自分」を演じようとするのだが、得意になることのポイントが違う。

人間関係が辛い人は無理して、自分がカッコいいと思うことをしている。

人間関係が辛い人は全体のバランスがわかっていない。

人間関係が辛い人は集団のなかでの自分の位置がわかっていない。

それは対人恐怖症の人は周囲に関心がないからである。

関心があれば、距離感もわかる。

女性恐怖症の男性が、いきなり路上で女性をホテルに誘うのは、相手の女性に関心がないからである。

自分が喪主でもないし、きわめて近い血縁者でもないのに、火葬場の中心にいて大きな声でお坊さんと話している。

一人で得意になっているが、周囲の人は「常識がない」と思っている。

自分がトンボとわかって初めて、周囲の人がどういう人だかわかる。

人間関係が辛い人はトンボなのにカエルを演じるから周囲がわからなくなる。

自分がわかれば「私はこういう人間よ」と言って、その看板を持ってどこでも行ける。

悩んでいる人々の手紙のように「私は常識がわかりません」と言えば、あとは何でもしてしまう。

人間関係の距離感がわからないということは、社会生活をしていくのに、何がなんだかわけがわからなくなっているということである。

たとえば家に強盗が入る。

そこで強盗に殺されないように複雑な心境で食事をつくる。

強盗が「おいしい」と言う。

すると人間関係が辛い人は嬉しい。

人間関係が辛い人は心の底でさびしいから。

人間関係が辛い人は相手がだれだかもわかっていないし、自分が何をしているかもわかっていない。

ところが子どもが対人恐怖症になるような場合には、逆に親のほうが夜中に侵入してきた強盗のようなものである。

夜中のの強盗が自分の食事をつくってくれる。

恐怖の人が食事を作る。

食べなければ怖い。

夜中の強盗が食事をつくってくれた。

怖くて味がわからない。

こうした生活のなかでは、人間関係が辛い人は人との距離感がわからなくなるのは当たり前である。

強盗は怖いとか、恐ろしいとかいうことではなくなる。

人間関係が辛い人は「こうだからこうだ」という、物事の連関関係が理解できなくなる。

つまり、人間関係が辛い人は何がなんだかわけがわからなくなってしまう。

関係のない人をいきなりにらむ人がいる。

自己をなくしている人間関係が辛い人である。

情緒的に虐待を受けて育っているのだろう。

人間関係が辛い人は欠点にこだわる完全主義

劣等感の強い人間関係が辛い人は、自分の欠点にこだわる。

あるいは欠点に逆にこだわる人が劣等感の強い人間関係が辛い人といったほうがいいかもしれない。

そして人間関係が辛い人は自分がその欠点にこだわることで、その欠点をものすごいことに感じはじめる。

いずれにしても人間関係が辛い人は欠点があること自体が問題なのではなく、欠点にこだわることが問題なのである。

では、人間関係が辛い人はなぜそんなに欠点にこだわるのだろうか。

それは、人間関係が辛い人は愛されるためには欠点があってはならないと思い込んでいるからである。

「欠点があっても愛される」、そう感じたときに、人はありのままの自分で生きられる。

スーパーマン願望から解放される。

対人恐怖症の人も、自分の欠点と思っていることにこだわる。

赤面する自分をふがいないと思う。

そして赤面する自分に自分の注意が囚われてしまう。

ふつうの人は赤面してもそのことをそんな重大事に考えない。

だから赤面する自分に自分の注意が囚われない。

やはり自分の欠点に囚われる人間関係が辛い人は完全主義の人なのだろう。

つまり、普通の人はその状態をそんなにこだわるほどの欠点とは思わないのである。

完全主義とは他人に対して自分が完全に映ろうということである。

人間関係が辛い人は完全でないとバカにされると思っている。

人間関係が辛い人は完全でないと嫌われると思っている。

人間関係が辛い人は完全でないと拒否されると思っている。

人間関係が辛い人は完全でないと尊敬されないと思っている。

その感じ方は小さい頃は正しかった。

親がノイローゼで、子どもに理想の人間を求めたのだから。

そうした人間環境で育って大人になると、その完全がどこか「ズレている」のである。

他人が自分に対して完全でないのに、どうして自分は他人に対して完全でなければならないのか。

他人と自分とが同じ人間になっていないのである。

それは人間関係が辛い人はもともと「本当の自分」は嫌われる存在と思っているからである。

それは人間嫌いな人のなかで育ったことの悲劇だろう。

おそらく小さい頃の支配的人間に対する服従・依存の関係が、心の底にこびりついてしまっているのだろう。

※参考文献:「いい人」をやめたほうが好かれる 加藤諦三著

 

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