”他人のトラブルにかかわるのは、心に問題があるから”

人の揉め事に首を突っ込んでくる人は、その人自身が心に問題を抱えている。

親子間のトラブルに首を突っ込んでくる人がいる。

たとえば「あなた達親子の昔の中のいい姿が見たいの」と言って、親子のトラブルに首を突っ込んでくる人がいる。

「私が何かの役に立てば」と言う。

そうして首を突っ込んで、その家族関係をバラバラにしていく。

なぜ人のトラブルに首を突っ込むか?

首を突っ込むのは、関係が悪くなればなるほど自分の役割ができてくるからである。

関係が悪くなればなるほど自分の居場所ができてくる。

だから「あなた達のために」と言いながら、実際の行動では家族をバラバラにする。

家族がバラバラになることが内心では嬉しい。

万が一上手くいってもマッチポンプである。

これは地域社会でも同じことである。

地域の揉め事に首を突っ込んでくる暇人がいる。

淋しくて居場所を求めている人である。

「お隣同士仲良く、それが私の願いです」と言いながら、いよいよ隣人同士が揉めるように立ち回る。

だからあっちに言うこととこっちに言うことが全く違っている。

そうしていよいよ周囲の人達を対立させていく。

それを心の底で喜んでいる。

もちろんそれを認めない。

喜びは無意識である。

やはりそこで揉めている限り、地域での自分の居場所があるからである。

役割ができるからである。

もともとは対立していないのに、対立していることが望みだから、対立していると見なしてしまう人もいる。

まさに「対立して欲しい」という自分の無意識の願いを外化しているのである。

地域の問題として相談してくる場合にも、ほとんどが「隣人のことが心配で」という言い方であるが、実は「私は淋しいので、どうしたらよいでしょう」という相談である。

もちろん人のことに首を突っ込むのには、淋しさばかりではなく妬み等々さまざまなマイナス感情がある。

本人の心の問題を解決するために人とかかわっていく場合には、たいてい上手くいかない。

本人が期待した通りに事が動いていかない。

すると「私がこんなに心配して、思ってあげているのに」という怒りの感情が出てくる。

自分は自分の淋しさを癒したくて、頼まれもしないのに勝手に隣人のことにかかわったのだと意識できれば、怒りの感情は消える。

心に問題を抱えていない人は、頼まれなければトラブルにかかわっていかない。

ということは多くの場合、娘夫婦に干渉していったり、地域のもめごとに首を突っ込む人は、夫婦関係が上手くいっていない。

自分の夫婦関係が上手くいっていれば、わざわざ娘夫婦に干渉していかないし、頼まれもしないのに地域の揉め事に首を突っ込まない。

人は妬みとか孤独とかいうマイナスの感情で自分が動いていると思いたくないし、思われたくない。

自分は愛情とか正義とかいうプラスの感情で動いていると思いたいし、人からもそう思ってもらいたい。

見る人が見ると「あの人はなんてずるいんだろう」と分かる。

しかしそういう人は自分が「いい人」になって、自分の欲求を通す。

「犠牲」とか「苦労」という旗の下に、自分の自己中心的欲求を満足させようとする。

そこで自分の心の中を外化して、外の世界が「そうだ」と思い込む。

娘夫婦が上手くいっていないとか、あそこのちいきはお隣同士揉めていると思い込むくらいならまだいいが、酷い場合には自分の子どもを心の病にしてしまう母親もいる。

具体的に聞いてみると決して心の病ではない。

しかしその母親の心の中では、自分の子どもが心の病であり、必要なのである。

それはその母親が皆から同情と注目を集めたいからである。

「よく頑張っている立派な母親」と認めてもらいたいからである。

そうなると自分の子どもが「こうであって欲しい」という願望を持つ。

するとその願望を通して外界を見て、外界に自分の願望を外化する。

そうして外の事象を「そうだ」と思い込む。

先の例のように、学校で注目を集めたくて「家で両親から虐待されている」と嘘をつく子もいる。

さらに家で注目を集めたくて「学校で苛められている」と嘘をつく子もいる。両方で嘘をついている。

そういう嘘を言う子供は両親が子供に無関心である。

このような子が大人になって自分の心を外化する時には、心の中の願望と現実との境がなくなる。

毎日のイライラから始まって「娘夫婦が心配で、心配でいても立ってもいられない」不安まで、外化であることが多い。

そうなれば意識することで感情は消えることが多い。少なくとも「そうだったのか」とほっとする。

パラタクシス的歪曲といわれるものも一種の外化である。

パラタクシス的歪曲とは、今二人があるテーマで言い争っているが、二人が言い争っている本当の原因は違ったところにあるということである。

何となく生きていて不愉快である。

それで夫婦が買い物に行って「どちらを買うか」で揉めている。

しかし揉めている本当の原因は「どちらを買うか」ではない。

もともと両者の持っている不愉快さが、「どちらを買うか」という「どうでもいいこと」を通して表現されてきたのである。

つまり外化の心理過程である。

争いの本当の原因は、二人が自己実現して生きていないから何となく毎日が面白くないということである。

対人恐怖症、社交不安障害を克服するには自分は自分の淋しさを癒したくて、頼まれもしないのに勝手に隣人のことにかかわったのだと意識することである。

※参考文献:イライラのおさめ方 加藤諦三著