自分には「感じる力」があるということを知るために

自信を感じたければ、「まず自信をつけておく」ことが必要なのではなく、「その場その場での自分についての感じ方をよくしていく」ことが必要です。

自分についての感じ方をよくして、それを受け入れられるようになると、「一方的に評価される自分」から「感じる主体としての自分」にシフトできるようになります。

しかし、「一方的に評価される自分から、感じる自分へシフト」といわれたとき、「少しのトラウマ」を受けてきた人は、「感じることなんてできない」「何が自分の感じ方なのかわからない」とパニックになってしまうかもしれません。

そして、そのように「感じられない自分」にダメだしをしてしまうと、また「少しのトラウマ」が増えてしまいます。

ぜひ知っておいていただきたいのですが、どんな人にも感じる力は備わっています。

まずは「何が自分の感じ方なのかわからない」とパニックになる自分の「ありのまま」を受け入れて下さい。

そして少しでも何かを感じたときは、その感じ方が適切かどうかということを疑うのではなく、感じた自分をほめてあげてください。

「感じ方」というのは、「その人が持って生まれたものや今まで経験してきたことを通して見たときにその状況がどういう意味を持つか」ということです。

ですから、不適切な感じ方などというものはなく、あらゆる感じ方が、その人の事情を反映した適切なものなのです。

感じた自分を肯定するところから始めましょう。

ポイント:何かを感じた自分をほめて肯定することで、徐々に「感じる力」が身についていく

本当の自分はどう感じている?

「キャラを作る」ということをやっている人の場合、その「キャラ」によって感じ方が様々なので、どの感じ方が自分の本当の感じ方なのかがわからなくなってしまう、ということも往々にして起こってきます。

どんな感じ方も「嘘」のように思われてくるのです。

こんなときも、まずはそんな自分のありのままを認めるところから始めましょう。

「『少しのトラウマ』をいろいろと受けてきた結果として、『他人とは、自分に評価を下して傷つける存在』という信念を持つようになってしまったのだ」

「『キャラ』を作ることで自分を守って生き延びてきたのだ」というプロセスをまずはねぎらいましょう。

そして、少しずつ、その信念を変えるような体験を重ねていけばよいのです。

今のところはどんな感じ方も「嘘」に思われるかもしれませんが、それぞれの中に少しずつ「本当」があるということに、いずれ気付いていくでしょう。

そもそも「キャラを作ろう」と決めたのは自分自身に他ならず、そこで作られた「キャラ」は、自分自身と何らかの関係があるものなのです。

どうしてその「キャラ」を作ろうと思ったのか、というところには自分の感じ方が反映されているはずです。

暗い自分が嫌だと思ったら明るい「キャラ」を作るかもしれません。

自分の「キャラ」が立ちすぎたと思ったら、控えめの「キャラ」にトーンダウンするかもしれません。

あるいは、ある「キャラ」に疲れていても、今さら変えられないと思って耐えているのかもしれません。

「暗い自分が嫌」

「キャラが立ちすぎると危険」

「キャラ替えは難しい」

ということを感じているのは、全部自分自身です。

これらの感じ方が「少しのトラウマ」を反映したものだということに気づき、「キャラ」を作りながら生き延びてきた自分の「ありのまま」を受け入れることができると、それぞれの「キャラ」の不自然さや矛盾はあまり気にならなくなってくるものです。

一方、それに対して「嘘」などと評価を下してしまうと、「少しのトラウマ」が強化されてしまいます。

ある意味では誰もが「キャラ」を作っているとも言えます。

ほとんどの人が、「外向きの顔」を持っているからです。

ですから「キャラ」を作る自分を「嘘つき」と思うのではなく、少しずつ、「ありのまま」を見せられる味方を作っていきましょう。

ポイント:「キャラ作り」のせいで自分が分からなくなっていても、まずはそうして生き延びてきたというプロセスをねぎらうこと

「感じる主体としての自分」の力強さ

「自分が気持ちよいと感じられることをしよう」という視点が広まってきたのは嬉しいことです。

「気持ちのよいこと」というのは、「他人からの評価」の対極にあるものです。

「他人の目」を気にしているときは、自分は「評価される」という受け身の存在で、まさに「まな板の上の鯉」であり、状況をコントロールすることができない、無力な存在です。

一方、「気持ちがよい」というときの自分は、「感じる」という主体的な存在です。

自分が主役なのです。

気持ちがよくなければそれをやめたり変えたりすることができる、力のある存在です。

自分の身体、ファッション、メイク、話し方、メールやLINEの使い方などのライフスタイルに関わるあらゆることは、実は人生における楽しみの要素でもあります。

これらとどうかかわっていくかということが、人生を豊かにすることもまた事実なのです。

そこでキーワードとなるのが「感じる」ということ。

自分がどう感じているか、ということを中心にしていくのは、「周りからどう見られているだろうか」と「他人の目」を気にすることとは対極にあるものです。

とはいえ、これは通常よく言われる「周りにどう思われようと関係ない」という断絶的な姿勢とは微妙に違います。

「周りにどう思われようと関係ない」という姿勢は不自然ですし、効果的でないことが多いのです。

何かに背を向けるような姿勢は、やはりうまくいかないのです。

「周りの人はそれぞれの事情を反映して、何かを思っている」

「そのことはそれぞれの思いとして尊重するけれども、自分は自分の感じ方を尊重する」

「なぜなら自分の感じ方は自分にしかわからないのだから」

このように考えれば、周りの人を「関係ない」などと切り捨てずに、自分の感覚に集中していくことができるでしょう。

そして、その気持ちのよさを人に伝えていくことすらできるかもしれません。

気持ちのよさは、自然にしていても、ぽかぽかと伝染していくものだからです。

ポイント:「気持ちがよい」と感じているときの自分は主役であり、「他人の目」を気にしない力強い存在である

「気持ちよさを感じる」ための具体的な方法

自分を「評価される人」から「感じる主体」にシフトさせると、ライフスタイルにかかわるあらゆることが、人生における楽しみの要素になります。

「他人の目」を気にして苦しくなってしまう場合があっても、「感じる」というキーワードで主体的にそれらとかかわっていければ、楽しみに変えることもできるのです。

ここでは具体的な事例を見ていきましょう。

ダイエット

「評価される対象」としてダイエットをすると・・・

「やせさえすれば自信がつくはず」と思うあまり、「『他人からの評価』と『自信』のスパイラル」状態に陥ってしまいます。

そして、「やせさえすれば」ということばかり考えていると、「現在楽しめること」に目が向かなくなってしまい、結果として自信を感じるような機会が奪われてしまいます。

本当は改善できるようなことでも「自分が太っているからいけないのだ」と思ってしまうと改善する気にもならず、ますます自分が嫌いになるかもしれません。

また、日々やせることだけにエネルギーを使っていると、「やせるためにやらなければならないこと」に生活が支配されてしまい、どんどんじぶんが主体性のない無力な存在になっていきます。

「やせるためにやらなければならないこと」をできているかどうかだけが生活を決めるようになってしまうのです。

そして、これらの努力の結果、仮にダイエットが成功したと思えても、自分よりも細い人やスタイルのよい人を見てしまったり、誰かから心ない一言を言われてしまったりすると、体型への自信は一瞬にして失われてしまうのです。

つまり、「やせるためのダイエット」は、成功することがあるとしてもつかの間であり、本当の意味での成功はないのです。

「感じる主体」としてダイエットをするために

ダイエットによる生活習慣の変化そのものを楽しみましょう。

たとえば、身体によい、おいしい食材を食べ過ぎずに味わうことの喜びをかみしめたり、運動をして身体が気持ちよさを感じたり、というものです。

もちろんストレスがたまることもあるでしょうが、それをやけ食いで解消しようとはせず、もっと健康的な方法で解決します。

これらは、「やせる」という結果がほしいからするのではなく、そのプロセスが楽しいからするのです。

「食べ過ぎずに味わう」というのも、食べ物そのものの味を味わうだけでなく、その食べ物を作ってくれた人や大地、その大地を育ててきた多くの命に思いを馳せたり、その食べ物が今自分のもとに来ている「一期一会」を意識したりすると、当然それを無駄にせず味わって食べたくなるものです。

ここを読みながら、「自分は食べ物を大切にしていない」と自分を責めてしまった人は、ちょっと気をつけてください。

食べ物を「自分を太らせるもの」「ストレス解消のために詰め込むもの」として見ているときの問題は、食べ物のことを大切にしていないということだけにあるのではなく、実は自分のことも大切にしていない、ということにこそ、その本質があります。

これは「他人の目」の問題そのもので、「太った自分には価値がない」「自分のストレスなど、きちんと対処するには値せず、何かを詰め込んでごまかす程度のもの」という前提で、自分にネガティブな評価を下す姿勢になっているのです。

ですから、「食べ物を大切にできていない」ということで自分を責めてしまうと、単に「少しのトラウマ」を一つ増やすだけです。

自分を責めるのではなく、まずはそんな自分のありのままを認めるところから全てが始まります。

健康な生活習慣のプロセスを楽しむとき、そこには、自分を愛おしんでいる要素があります。

「自分が楽しいからする」

「自分にとって気持ちがよいからする」

というのは、「少しのトラウマ」が癒されず自分に厳しい評価を下し続けるときとはまるで違う、自分をいたわる姿勢です。

つまり、ジャンクな食べ物を自分に詰め込んで粗末にしたり、身体に必要な運動を与えずに血流を悪くして縮こまらせたり、ということをしないで、自分を大切にしているのです。

よいものを適量食べるわけですから太りませんし、身体をよく動かすので適度な筋肉もつき、脂肪燃焼効果もあって、結果としては「ダイエットが成功した」と言われるような状態になります。

「成功するダイエット」というのは、こういうタイプのものしかないと思われます。

つまり「今の自分が嫌い」から発するのではなく、「もっと質の高い人生を送りたい」ということです。

ファッション

「評価される対象」としてファッションにかかわると

「自分らしい」ファッションとは、自分の魅力を最大限に引き出すファッションであるとも言えます。

そしてそれが本来のファッションの役割なのでしょう。

しかし、「評価される対象」として「少しのトラウマ」の世界に生きている人にとって、「自分らしさ」「自分の魅力」というのは最も苦手な領域だと思います。

「自分らしさがわからない」

「自分には魅力なんてない」

と感じ、それらの解決策を「他人の目」に求めてしまうでしょう。

ある雑誌で「自分らしさ」を語っていた人に自分を重ね合わせて演じてみたり、他の「魅力的な人」の魅力を自分で採用してみたり、という具合に、解決を外側に求めてしまうと思うのです。

そしてそんな自分に空虚感を感じると、また「少しのトラウマ」を強化する結果になってしまうでしょう。

「感じる主体」としてファッションにかかわるために

ここで参考になる例を一つ挙げましょう。

A子さんは、育児などの事情のためにずっと家にいなければならず人と会うこともほとんどない、という状況で、毎日パジャマのような格好で髪も整えずに過ごしていたときには気分が暗く沈んでいたそうです。

でも、ある日「自分のために」おしゃれをしたところ気分が明るくなった、ということです。

つまり、「自分が元気になるファッション」というものはあるのです。

この場合は「他人の目」問題から完全に解放されているのがわかると思います。

「人からどう思われるか」という評価の対象としての自分ではなく、「おしゃれする自分が楽しい」と主体的に感じる自分になっています。

ですから、まずは「自分が元気になるファッション」から始めてみるとよいと思います。

すると、「自分らしさ」「自分の魅力」は単にその延長線上にあるものだということに気づいてくるはずです。

こうなると、流行との付き合い方も変わってくるでしょう。

「流行についていけているか」という「他人の目」の軸ではなく「流行を取り入れたほうが元気になるか」という「感じる」軸で見ることができるからです。

「自分が元気になるファッション」をしているときに誰かから「ださい」などと言われたら、ということが心配でしょうか。

かなり確信を持って「ださい」と言う人は、「評価体質の人」ということができます。

「人生=評価を下すこと」のようになってしまっているのです。

そんな人たちは、自分自身も「感じるファッション」を楽しめていない可能性が相当高いでしょう。

他人に対して「ださい」と評価する人は、その人自身が「他人の目」にとらわれているのです。

また、常に最先端のファッションを追いかけるあまり、その「義務」を怠っている人に苛立ちを感じているのかもしれません。

だから相手にもその「義務」を履行するように迫るのです。

本当はファッションなど多様であることに意味があるのに、その多様性を認められないという点で、すでにかなりの評価体質だと言えます。

メイク

「評価される対象」としてメイクをすると・・・

メイクは「見せる」ことがメインのものですから「他人にどう思われるか」ということもその楽しみの一つでしょう。

しかし、メイクについての受け止め方は人それぞれ。

メイクそのものを不自然と感じる人もいますし、流行を極端に意識する人、控えめメイクが好きな人など、様々です。

ですから、「他人の目」に合わせようにも、どの「目」に合わせたらよいのかわからなくなってしまいます。

「感じる主体」としてメイクをするために

メイクも、やはり「自分が元気になる」ことを一番に考えるとよいでしょう。

最近は、病気で長期に入院されている方たちにメイクを施す仕事をしている人もいます。

病気だからと全てをあきらめてしまうのではなく、メイクをすることで顔色もよくなり美しくなると、やはり元気が出てくるのです。

病気そのものは治らなくても、メイクが精神状態にかなりプラスの影響を与え、結果としては病気の経過にもプラスの影響を及ぼすでしょう。

この例からわかることは、「自分は〇〇に値しない存在」という考え方が精神的にマイナスだということです。

「病気で入院中の自分は美しくなることに値しない存在」と思えば、自己肯定感は下がってしまいます。

そして「自分は〇〇に値しない存在」という考え方そのものが、実は「他人の目」の問題にかかわってくるのです。

患者は患者らしく、という「他人の目」を気にしているのかもしれません。

これは、実はノーメイクについても言えることです。

ノーメイクも一つの「自分を大切にする形」なのですが、「メイクくらいしないと社会人としてよくない」という考え方があって、その「他人の目」を気にして、本当はしたくないメイクをしている、という人もいます。

こんな場合には「自分はメイクをするかしないかを自分で選ぶに値しない存在」と考えているということになりますね。

メイクをするにしろしないにしろ、「感じる主体」としてメイクとかかわるときには、「自分は〇〇に値しない存在」という考え方からどれだけ解放されているか、というところがポイントになるでしょう。

「自分は〇〇に値しない存在」と考えているとき、自分が元気になることなどあり得ないからです。

ブランド品

「評価される対象」としてブランド品とかかわると・・・

ブランド品も、実は「終わり」がありません。

もちろん値段でいえば最高級品と言えるようなものはあります。

最高級のブランドで、最高級の素材を使って作られたものは、本当に本当に最高級です。

しかし、それを持っていてもなお、「セレブぶってるよね」「あそこまでぎらつくなんて、空気を読んでいないよね」などと言われると、その価値は急速に下がってしまうのです。

また、高価なブランド品を持つことで自分が丁重に扱われるような気がして、ブランド品にとらわれていく、という人もいます。

お店で丁重に扱ってもらう感覚が快感で、「高価なものでも気前よく買う人」と思われたいあまり、経済的余裕がないのに買ってしまうということもあるでしょう。

「感じる主体」としてブランド品とかかわるために

ブランドそのものや物そのものとのかかわりを大切にしてみましょう。

それはどういうことかというと、その歴史に敬意を払ったり、手間をかけて原材料を選び丹念に作られた物に敬意を払ったりする、ということです。

つまりそこに込められた思いであるとか、かけられた人手に思いを馳せてみるのです。

ブランド品は一種の芸術品ですから、もちろん単に「美しい」と感動して見とれるのでもかまいません。

「これを持つとどう思われるか」と頭で計算するのではなく、自分が、「すごいと感じる」「美しいと感じる」「畏敬の念を感じる」ことが大切なのです。

美術館で美しい絵を見ているとき、あるいは自然の美しさに打たれているときには、自分ではなく対象に目が向いているはずです。

それと同じことなのです。

そして、そんなふうに敬意を持てる物を大切にしてみましょう。

よく手入れしてあげたり、いつも持ち歩いてあげたり、あるいは時々休ませてあげたり、そのものにぴったりの出番を見つけてあげたりしましょう。

どこかが壊れてしまったときは大切に直してあげましょう。

そんなふうに長いおつきあいができるのも、ブランド品のよいところです。

人によってはブランド品を「羨ましい」と思うかもしれませんし、反対に「馬鹿馬鹿しい」と思うかもしれません。

そのどちらとも違う次元で、ブランド品の大切さを感じてあげることが、「他人の目」へのとらわれを手放していくことにつながるでしょう。

※参考文献:「他人の目」が気になる人へ自分らしくのびのび生きるヒント 水島広子著