精神分析から行動主義的心理学へ

心理学の歴史をおおまかにとらえると、精神分析から、行動主義的心理学を経て、人間性心理学に到達したといえます。

フロイトにはじまる精神分析は、神経症の患者など病理的な側面から人間の心理を鋭く暴き出しました。

これにより、人間が無意識によって大きく規定されること、とりわけ、「リビドー」と呼ばれる本能的、性的欲動によって翻弄される姿が明らかにされました。

しかし、理論構築の基礎が病的側面であったために、人間の本性についても否定的な見方をすることとなってしまいました。

すなわち、人間の本源的な心は危険なものであるとして、健全な心の発達とは、この本源的な心を自我がうまく制御できるようになることであると考えたのです。

このために、精神分析における治療とは、自我の統制能力を強めることが主眼となりました。

これに対して、行動主義的心理学は、客観的に観察できる行動にのみ研究対象を絞ることで、人間行動の法則性を自然科学的手法により明らかにしようとしました。

これにより、複雑に見える人間の行動に、シンプルな法則性が存在することを明らかにしました。

しかし、心そのものではなく行動を対象とすることによって、この心理学は感受性を喪失し、もっぱら欠乏動機によって動かされ、環境によって操られる人間像を描くこととなってしまいました。

実際の人間は、細やかな心の動きや、苦悩や葛藤を持ち、希望と絶望のあいだを揺れ動く存在です。

そして、こうした不安定な心をかかえながら、なお、世俗の価値を追求するだけでなく、真善美、愛、夢、理想などに生きようと努力する存在です。

行動主義的心理学は、人間を人間たらしめているこうした心をとらえきれず、人間を過度に単純化した、生気の欠ける心理学となってしまいました。

人間性心理学とカウンセリングの発達

これら二つの心理学に対して、人間性心理学は、病的な心の法則をそのまま健康な人間の心に当てはめることは適切ではないとして、健康な人間の心から人間一般の心をとらえようとします。

また、人間を統合的な存在として全体的にとらえようとします。

これにより、人間がいっそう健康に成長していくための諸条件を解明しようとするのです。

人間性心理学の理論構築の基礎には、一般心理学研究の広がりとともに、カウンセリングにおける膨大な蓄積があります。

とりわけ、ロジャーズに代表される人間の本性に信頼をおいたカウンセリングの発達があります。

こうしたカウンセリングでは、人間は本来健康に成長しようとする内発的な力を持っており、心理的疾患とはこれが不適切な環境によって歪められてしまったために生じると考えます。

したがって、治療とは、健康に成長しようとする人間が本来的に持っている内発的な力が発揮されるような環境を与えてあげることが主眼となります。

心理療法では薬を飲ませるわけでも、患部を切り取るわけでもありません。

心と心を通い合わせることによって、クライアントの心の解放をはかることが治療になります。

あるいは、行動を変えることが治療になります。

ですから、その人のなかの自己治癒的な力の存在を前提しなければ、カウンセリングは成立し得ないのです。

このように、人間性心理学では、生物としての人間が本来健康に成長していく力を持っているのであり、健康な発達とはその内発的な成長力の実現、すなわち、自己実現であるとみなすのです。

さらにいえば、夢や希望、理想、計画など、未来に描くものが、その人の心と生活を大きく規定すると考えます。

精神分析では、幼児期の体験など、人間がもっぱら過去に規定される存在であるとしたのに対して、人間性心理学は過去ばかりでなく、未来に規定される存在としてもとらえるのです。

健全な心は自然に育つ

人間性心理学の知見によれば、人間にもともと内在している健康に成長しようとする内発的成長動機は、適切な環境に置かれれば、自然に一連の連鎖として機能するようにできています。

じっさい幼い子どもは、そのときそのときを自分の心のおもむくままに生きています。

成長しようと努力するのではなく、ただ自然に生き、関心のおもむくままの活動を楽しむことで、能力を拡大し、成長しています。

このことを、人間性心理学の創始者といわれるマズローは、次のように記述しています。

「健全に成長を続けている幼児にしてみれば、高遠な目標のために生きているのでもなければ、遠い未来のために生活しているのでもない。

かれらはあまりにも忙しく自分を愉しみ、そのときそのときを自然に生きている。

かれらはいきているのであって、生きる用意をしているのではない。

かれらは別に成長しようと努めるのでもなく、ただ自然と生存し現在の活動に喜びを見いだすことだけに生きている」(上田吉一訳『完全なる人間―魂のめざすもの』誠信書房・1964年)

人間は、生物の進化という自然現象のなかで誕生した生き物であり、適切な環境さえ与えられれば、生物学的な叡智が働き、自然に健全に成長していくのです。

このことは、動物が食物を自由に選択できるカフェテリア実験でも実証されています。

たとえば、ビタミンAを欠いた食べ物を長期間与えられたラットは、自由選択場面ではビタミンAを多量に含む食物を選択します。

また、妊娠した動物は、胎児に必要な食物を多く摂取します。

腎上体を切除された動物は、その機能を食物で補うような選択をおこない、生きながらえます。

このような生物学的叡智は、当然社会的行動の選択においても機能しています。

自由な選択が与えられるならば、健全に成長しつつある子どもはその発達段階に応じた適切な社会的選択をおこなって成長していくのです。

たとえば、見知らない同年齢の子どもたちが遊んでいるとき、子どもは他の子どもたちへの関心と、仲間に入る不安との両方を感じます。

健全に育っている子どもは、関心のほうが勝って、集団に入るほうを選択します。

仲間に入ることにより、集団の楽しさと喜びを体験し、いっそう仲間のなかにいることを楽しめるようになります。

集団のなかで、いろいろな社会的能力を発達させていきます。

欲求の段階的高まり

人は、基本的な欲求が満足されると、ごく自然により高い水準の欲求が優位を占めるようになります。

このことを、マズローは、人間には「生理的欲求」「安全欲求」「所属と愛情の欲求」「自尊欲求」「自己実現欲求」という5つの基本的な欲求の階層があり、下位の欲求が満たされると、順次上位の欲求が優勢になると述べています。

人間の発達とは、こうした下位の欲求からしだいに高次の欲求へと精神生活の中心が移っていくことと、とらえることができます。

ある発達の段階が子ども自身にとって安全で好ましいとしたら、なぜ、子どもは次のより高い発達段階へと進もうとするのでしょうか。

この点について、マズローの解答は簡単明瞭で、次のように繰り返し述べます。

「成長は次の段階への前進が主観的に喜ばしく、快適で、以前にもまして本当に満足すべきものである場合に、生ずるということである」

「子どもがおそらく他の<高次>の喜びに移ろうとするのは、ただ十分に満ち足りて退屈を感じるようになったときである」

「十分に恵まれて、正常に、健全に成長している子どもは、かれがよく味わっている喜びを満喫し、これに飽き飽きさせられている。

そこで、危険や恐れがないとなると、みずからすすんで、(推されることなしに)一段と高次の複雑な喜びに進んでゆくのである」

成長とは、そのときどきの自然で生物学的特性に裏付けられた賢明な選択の過程なのです。

そして、この選択が機能するためには、成長を不自然に急がせるのではなく、発達のその時期、その時期をたっぷりと子どもに堪能させることが条件なのです。

健康な心を育む

以上見てきたように、現在の心理学では、健康な心とは、適切な環境によってその人の内発的な成長力が発現したものと考えられています。

健康な心とは外からあれこれ操作されることによって、形成されるものではないのです。

ですから、健康な心を育てるということは子どもの内なる成長力を信頼するということです。

子どもの側からすれば、自然な自分自身を信頼しているということなのであり、まさに基底的自己価値感にほかなりません。

健康な心の基礎には、しっかりとした自己価値感が存在するのです。

※参考文献:なぜ自信が持てないのか 自己価値感の心理学 根本橘夫著