回避を脱するということは、人生に主体性を取り戻すということとほぼ同義である。

そのための第一歩は、避けている問題に向き合い、そのことについて語ることである。

それは、本来の回復のために、避けては通れない不可欠な段階である。

回避を脱する際には、必ずこの段階が生じる。

逆に言えば、回避に陥っている人の場合、傷ついた体験について語ることが、回復の一つ目のステップとして非常に重要である。

不満や怒り、絶望感といったものでも、まずそれを語り、自分が傷ついていることや、それをもたらした体験を想起して、それに向き合うことが、膠着した事態を動かすことにつながる。

ところが、一般に行われる治療は、生じている「症状」だけを問題にし、それを軽減することで対処しようとする。

回避の奥底にある原因にはフタをしたまま、そこから二次的に派生してくる不安感やイライラ、神経過敏といったものを、安定剤などを投与することで抑えてしまうのである。

その結果、日々の苦痛はやわらぐが、本来の回復からは逆に遠ざかる。

回避したままの状況が固定化するだけで、回避自体を脱するという方向には向かわない。

もちろん、傷ついた体験を語ればそれで終わりというわけではない。

ただ嘆き、絶望や悲しみを語るだけでは、真の回復は訪れない。

語るという作業を繰り返す中で、失敗と思っていたことにも、ポジティブな意味があったのだと思えるようになる。

そのことが回復のカギを握っているのである。

先の男性のケースも、彼がキャプテンを務めていた部活で屈辱的な体験をしたという話は、事実のすべてではなかった。

何度か話すうちに、別の事実を語ったのである。

彼は中高一貫校に通っていたが、それは、高校三年のときのことだった。

彼は、そのスポーツからしばらく離れていたのだが、監督に直談判して、復帰を認めてもらったのだ。

それは異例のことだった。

高三と言えば、そろそろ次の進路について考え、進学や就職のことでいそがしくなるころだ。

だが彼は、高校時代も終わりかけになって、敢えて部活を再開したのである。

しかし、その結果は、あまり芳しいものではなかった。

ブランクがあったため技術が鈍っていたのである。

力をつけた他の部員たちの中で、彼は悔しい思いを味わわされた。

結局、失敗だったという思いを抱いたまま、高校生活を終えたのだ。

その後、彼は進学も就職もしないまま、ひきこもり生活に陥った。

結局、すべては失敗に終わったというのである。

果たして、そのことは、単なる失敗にすぎないのだろうか。

彼はキャプテンとして、選手として、プライドが傷つけられたことを、ずっと引きずっていたのだろう。

だから、そのまま部活を続けることができなかった。

そのスポーツから遠ざかることでしか、自分を守ることができなかったのだ。

だが、高校生活も残りわずかとなったとき、彼は、このまま終わってしまうことに、何か納得がいかないものを感じたに違いない。

そして、ある日、彼は監督に頭を下げてまで、復帰の許しを請うた。

それは、メンツやプライドをかなぐりすてた、本当に勇気ある決断だったはずだ。

思うような成果が挙げられなかったとしても、もう一度チャレンジしたことにこそ、大いに意味があったはずだ。

だが、この男性は、人一倍プライドが高く、理想にこだわってしまうタイプだったために、自分のチャレンジを失敗と受け止めてしまった。

自分が一番自信をもっていたスポーツでもこのありさまだ。

一体、自分に何の取り柄があるだろう。

そう考えて、彼は人生に絶望し、新たな行動を起こすことをやめてしまった。

男性が、ひきこもるのをやめ、社会に踏み出していくためには、過去の出来事のネガティブな解釈を、ポジティブなものに修正する必要があった。

そして、何をやってもどうせダメだという言い訳をせず、問題から逃げ続けるのをやめる必要があったのである。

※参考文献:回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち 岡田尊司著