傷つきやすい人と一口で言っても、そこにはいろいろのタイプがあります。

代表的なものは、つぎの六つです。

【完全防御傷つきタイプ】

劣等感や自分の心の中の空虚さを強く感じながら、表面では弱みを見せずに必死にがんばっている人です。

完璧主義はこの典型です。

しかし、兵法でも、「至る処守らんとすれば、至る処弱し」と言われるように、完全な防御など、どだい無理なのです。

このために、ちょっとした失敗や、不出来、あるいは、他の人の批判的なニュアンスの言葉に傷ついて、大きく揺らいでしまうのです。

このタイプの人は、「良い人」が多くて、傷つきを甘受します。

しかし、なかには、自分の傷つきを相手を責めることでごまかそうとする攻撃的な人もいます。

こうした人は、周囲からは「傷つきやすい人」には、見えません。

かえって、「傷つける人」と見られていたりします。

でも、外見の強気とは裏腹に、内心では傷ついた心にかき乱されています。

つい相手を責めてしまったことで、傷ついていることも少なくありません。

自信欠如傷つきタイプ

このタイプは、外見上も自信なさそうに見えます。

いかにも傷つきそうに見えるので、周りの人は、「傷つきやすい人だから」と、気を使ってくれます。

それでも自分の至らなさが目について、傷ついてしまいます。

本質を言えば、このタイプの人は自分が傷つきやすいことを強調することで、自分を守っているのです。

傷つきやすさの強調は、本人はいくらそれを苦痛に感じていたとしても、じつは、周囲からの保護と援助を引き出すための道具として使われているのです。

自罰的傷つきタイプ

このタイプの人は罪責感の強い人です。

何事にも自分を責めて、傷つくのです。

たとえば、電車のなかでお年寄りに席を譲らなかった、と自分で傷つきます。

繁盛していない店の前を素通りして、繁盛している店に入ると、悪いことをしたかのように感じてしまいます。

そして、いつでもこのように感じてしまう自分を自己嫌悪していることが多いのです。

ローゼンツヴァイクという心理学者は、注意されたり、非難されたりする欲求不満場面で、攻撃を誰に向けるかによって、反応を三種に分けています。

外罰的反応・・・相手に攻撃を向ける反応

内罰的反応・・・自分自身に攻撃を向ける反応

無罰的反応・・・欲求不満をうまくごまかすか、うわべを繕って攻撃を避けてしまう反応

たとえば、図書館の本を四冊借りようとしたら、「決まりでは二冊になっています」と係の人に言われた場面を考えてみて下さい。

あなたならどう答えますか?

次のような反応が、典型的な外罰的反応です。

・たった二冊なの?
・誰がそんな規則決めたんだ!

次のような反応が、内罰的反応です。

・すみません。知りませんでした。
・規則を知らなくて、ごめんなさい。

次のような反応が、無罰的反応の典型です。

・分かりました。では、この二冊お願いします。

自罰的傷つきタイプの人とは、もっぱら内罰的反応をする人であるか、せいぜい無罰的反応をする人です。

その場を取り繕ってしまって、その場だけで済ませることができません。

後々までその時のことを反芻して、感情を害しています。

このタイプの人は、しじゅう相手のことを思いやって、相手が不機嫌になると、自分がなにか悪いことをしたのではないかと、自分に責任を感じてしまいます。

こうした姿勢は、親の感情を気にする幼い子どものころにつくられたものであることが多いのです。

被害妄想的傷つきタイプ

自分のことを悪く言っているのではないか。

他の人に嫌われているのではないか。

こんなことばかり気にして、人の行為に勝手に傷ついている人です。

しょっちゅう拗ねる人は、だいたいがこのタイプです。

たとえば、講義を受けるために友達のために席を取っておいてあげたのに、その友達が他の席に座ると、傷つく学生がいます。

その友達は、席を取ってくれていた事を知らなかっただけなのに。

あるいは、他の人と話をする用事があって、他の席に座っただけなのに。

あるいは、友達が他の人にはメールアドレスを教えたのに、自分には教えてくれない、自分に意地悪しているのだと傷つく学生もいます。

その友達は、すでに教えたつもりでいるだけなのに。

たんなる視線にさえ傷つく人もいます。

知らない人とたまたま視線が合ったとき、相手が目をそらせると、「自分の目つきが悪いからだ」と傷ついてしまうのです。

背の低いことを気にしているある若い男性は、うしろで女子高生が笑ったことだけで傷ついています。

被虐的傷つきタイプ

からかいは、からかわれる側の反応が面白くないと成立しません。

残虐な行為は、犠牲者のなんらかの被虐的な特性が不可欠の要素であることがあります。

いじめでは、いじめられる人の無力さが、いじめる人をいらつかせ、いっそうの残酷さを引き出す要因になっていることが少なくありません。

痴漢でも、ミニスカートで胸元を大きく開けている派手な女性が被害者になることはまずないそうです。

おとなしそうで、痴漢されても、何も言えなさそうな人が狙われるのだそうです。

これと同じように、傷つきやすい人のなかには、傷つける言葉や行為を引き起こしやすい被虐的な要素を持っていることがあります。

それは、たとえば、ささいなことで傷つく、傷つくと心の混乱がそのまま表れやすい、傷つけられても反撃できないなどの特性です。

効果があるから、つい傷つけたくなるのです。

恋愛でいつも傷つく人の中に、この被虐的傷つきタイプの人が少なくありません。

たとえば、自分を過度にさらけ出し、傷つけられる材料を無防備に相手に与えます。

あるいは、相手が性的関係だけを求めていることを知りながら簡単に許し、後で裏切られたという状況をつくります。

急性に親密な関係を求めるために、応えきれずに相手が離れていく、という事態を繰り返す人もいます。

さらにいえば、そもそも、こうした人は、自分を傷つけるであろう人に惹かれてしまうという心性があるのです。

また、他の人のために尽くして尽くして、その結果いつも傷ついている人がいます。

誠実さが裏切られたという状況を作り出す人です。

これらは、いずれも、交流分析でいるところの「キック・ミィ・ゲーム(私を蹴って下さいというゲーム)」をしている人ということができます。

キック・ミィ・ゲームというのは、自分が最終的に被害者の役割を演じてしまう一連のやりとりのことです。

本人はいつも相手に泣かされると思っているのですが、じっさいのところは、本人の心理的傾向が引き起こしている事態なのです。

本人の中に、こうした事態を歓迎する無意識の傾向があるのです。

自己中心的傷つきタイプ

このタイプは自己中心的な人です。

非常に強い甘えの感情が根底にあって、その甘えが満たされないと傷つくのです。

傷つくのは自業自得なのですが、自分の事を棚に上げて、他の人のせいにします。

ある中年過ぎのむくつけき男性教員が、自分を傷つきやすい人間と書いています。

恩師に傷つけられた。

編集者に傷つけられた。

親に傷つけられた等々と、延々と書いています。

ところが、彼は三十歳を越してもその親から金銭的援助を受けていたのです。

職場でも当然はたすべき任務を果たしていないように書かれていました。

どの行為も自分の甘えであるのに他者のせいにする、まさに自己中心的傷つきタイプとしか、読み取れませんでした。

ある女性は、パート先でいつも店長から傷つけられていると言います。

「時間にルーズだと注意された」。

「指示通りやらないと注意された」。

それで、この女性は、「店長は、自分にばかり意地悪する」と言います。

こうした自己中心的傷つきタイプは、自分を傷つける人と守ってくれる人、自分を嫌う人と自分を好いてくれる人、これをいつでも見分けようとします。

自分を好いてくれ、自分を守ってくれると思った人に対しては絶賛します。

面と向かって賞賛します。

ところが、早晩そうした人も、その人の身勝手さが嫌になり、離れていきます。

すると、ひどい裏切りだと受け取って、掌を返したように徹底的に攻撃するようになります。

場合によっては、ストーカー的なしつこさを発揮することもあります。

このように、このタイプの人は、自分は傷つきやすい、傷つけられた、と信じ込んでいるのですが、事実は正反対です。

周囲の人こそ、この人によって傷つけられているのです。

※参考文献:傷つくのがこわい 根本橘夫著