幼い子どもはけっこう厳しい言葉でやりとりします。

それでも、けろっとしていることが少なくありません。

多くの人が傷つきやすくなるのは、思春期以降のことです。

そして、人生の中でもっとも傷つきやすい心を持つのも、思春期から青年期にかけてであります。

なぜ、思春期以降に傷つきやすくなるのでしょうか。

ここでは、この問いへの解答を考えてみます。

感受性の高まり

理由の一つは、内省能力の発達により、感受性が高まるためです。

この時期には、脱中心化といって、第三者の視点から自分を見ることが出来るようになります。

こうなると、自分がこれまでの自分とは異なって見えてきます。

たとえば、「将来何になりたいですか」と聞くと、子どものときは無邪気に「プロ野球選手」とか「アイドル・タレント」などと答えることができます。

ところが、この内省能力が高まると、自己の客観的認識ができるようになるので、「夢想するもの」ではなく、「サラリーマン」とか「OL」など現実的な回答になります。

また、これまでは自分が異性にとり魅力的かどうかなど、ほとんど気にすることはありませんでした。

自分を値踏みしないで、友達と接することができました。

ところが、内省能力が発達すると、自分をどうしてもそうした目で評価的に見るようになります。

このようにして、素朴に抱いていた自分の姿や夢と現実の自分との間のギャップに、多くの人は出会うことになります。

これは一挙には受け入れがたいことです。

このために、この時期、人は誰でも、ある程度虚構の世界を自分の内面に作り上げていきます。

本当は能力がある、本当は魅力的であるなどと。

しかし、この虚構の世界に逃げれば逃げるほど、現実と自分の内面とのギャップが大きくなっていきます。

そうすると、他の人にこれを悟られないようにと、注意深く自分を守る必要が出てきます。

このために傷つきやすくなります。

身体的魅力の比重が増すこと

さらに、第二次性徴に伴う自己価値感の変化があります。

小学生の頃は、成績がよいとか、運動が得意、絵が上手い、人にほめられることなどが大事なことだと信じていました。

ところが、思春期以降になると、身体そのものが評価の重要な対象であることに気づかされます。

とりわけ、女の子は、いつでも、どこでも、自分の身体を評価する目を意識せざるを得なくなります。

この時期、性ホルモンの影響で男子も女子も身体に変化が生じ、同時に、性ホルモンは心にも影響し、異性への関心や性的欲求を強めます。

内省能力の発達ともあいまって、自分の身体が異性から関心を持たれる身体であるかどうかが、自己価値感に大きな影響を与えるようになります。

自分の顔やスタイルが異性をひきつけるに十分魅力的であると感じることができた若者は自信を持ちます。

こうした人は、自己価値感を高める有利な条件を得たことになります。

逆に、自分の身体が魅力的でないという事実に直面した人は、自己価値感を大きく揺さぶられることになります。

しかし、愛情豊かな親による養育により、これまでにしっかりと自己価値感を獲得してきた人は、身体的魅力が劣っているという事実を、自己価値感をそれほど妨害されることなく受け入れることができます。

ところが、脆弱な自己価値感しか獲得できなかった人は、こうした事態で自己無価値感を強めてしまいます。

そして、なんとかしてこの自己無価値感を埋め合わせようとします。

ある人は勉強で良い成績を取ることによって。

ある人はお笑いなどのパフォーマンスで。

ある人は特殊な能力を磨こうとすることによって。

こうした努力は、自己無価値感に基づいているので、強迫的な傾向を帯びます。

しかし、これにより、自分の能力を高め、人生を生きる現実的な力を高める人もいます。

このために、建設的な選択ということもできます。

悲劇的なのは、自己無価値感から自暴自棄的な選択をしてしまう人です。

自分をもっぱら友達の下僕にするような卑屈さを強めるとか、粗暴さで周囲を屈服させようとするとか、自分の性を否定するような服装や行動をするとか、自分の身体や人生を粗末に扱う等々です。

いずれにせよ、こうした人々は、自己無価値感が容易に刺激され、非常に傷つきやすい存在になります。

実力としての能力が試されること

第三に、要求される能力の変化による自己価値感の揺らぎが生じるためです。

思春期以降に要求される能力と、子ども時代に要求される能力とは異なります。

幼児期から子ども時代は、親に対して服従することが求められました。

学校でも、教師に対し、親への行動様式を受け継ぐ形で適応できました。

教師に依存し、親から受けた価値判断を適用することですみました。

また、教師から指示されたことを、みんなと同じようにやればすみました。

しかし、青年期になると、自分の判断と決断が求められるようになります。

教師や親の価値基準に従うか、それとも、仲間の価値基準に従うかの決断が求められます。

また、ある程度見えてきた現実的な自分の将来の受け入れと、それに伴う自己像の変化や行動の選択が求められます。

もっと直接的な言い方をすれば、自分の成績や能力で自分の値踏みをして、それにあった行動や人生行路を選択し始めなければならなくなります。

さらに、自分で働いて生きていかなければならないという課題が、現実的な問題として近づいてきていることを感じます。

これは、いままでの学校の勉強が出来ることとは違い、生活力という自分の本当の力が問われます。

このために、これまでに生きる力を獲得してこれなかった人は、自分に自信をもつことができません。

こうした自信のなさゆえに自己価値感が揺るぎやすく、傷つきやすくなります。

傷つきやすさには、たしかに時が解決する部分があります。

思春期と若い青年期、年齢で言えば、十二歳頃からニ十五歳くらいまでが、一番傷つきやすい時期です。

これを過ぎると、自分を受け入れられるようになります。

仕事で自分に自信がつきます。

さらに、主要な関心が、内面よりも外界に向かうようになります。

他の人から見た自分を気にする程度が低くなります。

こうしたことから自分を傷つけがちな感受性が低下していきます。

「おばさん」になると、若いころは恥ずかしくてできなかったことでも、平気でできるようになります。

これは、年齢による感受性の喪失であり、ある意味で揺るぎない自己価値感の獲得のゆえなのです。

主婦の生活範囲の狭さ、そのために、自己価値感への揺らぎをもたらす体験がすくなくなります。

専業主婦は、能力が比較されるという機会はほとんどありません。

そのうえ、家の中を支配し、子どもを支配し、夫を支配します。

こうしたことが、揺るぎない自己価値感をつくり、容易に傷つかない心になるのです。

※参考文献:傷つくのがこわい 根本橘夫著