傷つくということは、自分が価値ある存在であるという感覚が脅かされることがその中核であります。

これは、不快でつらい感情体験です。

このために、傷つくということを改めて分析的にとらえようとすることは、気の重い作業です。

それでも、傷つくことをていねいに見つめてみると、いろいろな感覚や感情が含まれていることに気づきます。

怒り

心が傷ついたときの感情はなんといっても怒りです。

裏切られた怒り、軽んじられた怒り、相手の無神経さへの怒り等々。

怒りの感情は、動物が自分の欲求を妨害されたときに示す感情です。

犬や猫でも、理不尽な扱いをされると、怒って牙をむきます。

心傷つけられたときの本来の感情は怒りなのだと思われます。

怒りとは、傷つけられるような場面での生物の自然な適応行動なのです。

ですから、怒りが当然な場面で、怒りを表現できないことの方が問題なのです。

傷つき感情が長引いてしまったり、トラウマになってしまうのは、体験そのものよりも、しばしばこうした自然な感情を率直に表現できないことに原因があります。

憎しみ・恨み

心が傷つけられたとき、相手が上役である場合とか、相手が無意識にしている場合など、本来表出されるべき怒りの行動を抑えざるを得ないことが少なくありません。

怒りは抑えられると、内潜して憎しみの感情が強くなります。

また、相手に反撃ができないことから、恨みの感情が生じることになります。

怒りと憎しみ、恨みの混在した感情が、津波のように次々と襲ってくるという感じです。

そうしたなかで、復讐を夢見たり、相手をやっつける空想をすることもあります。

悲しみ

少し気持ちが落ち着いてくると、悲しみや落胆の気持ちの方が強くなることがあります。

悲しみは、どのようなことで傷つけられたかで異なります。

反撃できない惨めな自分に対して感じる悲しみもあるでしょう。

裏切りや誠意を踏みにじられたときには、もっと広い人間への悲しみといった感情が強くなり、人間不信におそわれることもあります。

少し余裕が持てる場合には、相手への哀れみの色彩が強い悲しみの感情を体験します。

正当性への疑惑

他の人の言葉に傷つけられたとき、「当たっている」と、かすかに心の隅で感じていることも少なくありません。

冷静に自分の心を省みてみると、自分の方に「非がある」と認めざるをえないことも少なくないのです。

この場合には、「痛いところをつかれたな。でも許せない」という感じです。

この「どこか当たっている」という正当性への疑惑があるからこそ、まったく気にしないで済ませることができす、傷ついてしまうことがあるのです。

また、この自分の正当性への疑惑が、率直な怒りを表現することを躊躇させてしまうことにもなります。

相手に正当性があるという感覚は「しゃく」ではありますが、じつはここにこそ、傷つきやすい心を理解するひとつの鍵があるのであり、また、傷つきをプラスに生かせる可能性があるのです。

蹂躙されている感じ

傷ついたときには、自分の心が他の人によって乱暴にひっかき回されたように感じます。

また、自分では統制しようとしてもしきれない感情の波に襲われます。

こうしたことから、自分の心が、他の人にもてあそばれているような感じがします。

無力感と屈辱感

相手によって自分の心が蹂躙されているように感じることから、無力感や屈辱感が生じます。

また、怒りを相手にそのままぶつけられないことも、無力感や屈辱感をもたらします。

自分がばらばらになってしまって何もできない感じ、無能力になってしまった感じに襲われることもあります。

相手に痛手を負わせる空想をしても、実際には相手をやっつけられない自分に無力感と屈辱感を感じ、よけい惨めさの感情が強まるという悪循環になります。

絶望感と人間不信

ひどい傷つきの場合には、自分はダメだという絶望感にとらわれます。

自分を責める人ほどそう感じます。

そして、強く生きることができる人への妬みの感情を持ちがちです。

人間不信に陥る人もいます。

表面なにもなかったかのように生活を送りたいと思っても、ふとした時に、つらく突き放されたような感じが襲ってきます。

寄せては返す波のようにこうした感情が襲ってきて、心は動揺と苦痛の中におかれます。

※参考文献:傷つくのがこわい 根本橘夫著