主張訓練法

主張訓練法とは

自分を主張できないために不本意な行動をせざるをえず、そのような事態をもたらした相手をついひそかに恨んでしまう。

本当は主張できない自分が悪いのを知っているのに。

そのために自己嫌悪に陥り、いっそう傷つく。

少なくない人がこうした悪循環のなかにいます。

傷つかないためには、適切に自分を主張する能力をつけることが大事です。

適切な自己主張能力をつけることで、人間関係の改善を図り、よりよい精神生活をもたらそうとするのが、主張訓練法です。

自分の感情や要求・意図・考えなどを素直に表現できるようにし、他の人の権利を侵害したり、傷つけたりすることなく、自分の権利を行使できるように訓練するものです。

傷つけられないように自分を主張するということは、相手を攻撃することである、という誤解があります。

そうではありません。

他の人に対する行動は、受身的行動、攻撃的行動、そして主張行動とに分けることができます。

主張行動とは、攻撃的な行動とは別なものなのです。

受身的行動

もっぱら自分を抑圧して相手に従う行動です。

これでは、自分を傷つけ、相手に対する憎しみを蓄積していくことになります。

攻撃的行動

相手を傷つけたり、屈服させたりしようとする行動です。

時には有効なこともありますが、多くの場合人間関係の悪化をもたらし、かえって傷つけられることが多くなります。

主張行動

必要な程度に自分の内面を伝え、ストレスフルな事態の解決をもたらそうとする行動です。

たんに相手に対して「ノー」と言うのではなく、自分の内面をきちんと表現して伝えることが大事です。

たしかに、主張行動には、しばしば攻撃的なニュアンスを含まざるを得ないこともあります。

こうした場合に、攻撃的ニュアンスを避ける一つの方法は、主語をあなた(you)でなく私(I)で語る方法です。

主語を「あなた」とすると、「あなたがああ言ったから・・・」とか「あなたが何々したから・・・」などと、相手を責める言葉になります。

これでは、相手の人がたとえ自分の非を認めていても、素直には受け入れられなくなります。

相手が傷つくこともあります。

これに対して、「私は今とてもつらい気持ち」とか「私がそうしたのは、・・・と考えてのことだったの」などと、私を主語にすると、相手を責めるニュアンスがなくなります。

むしろ、拒絶されて自分が傷つく可能性があるのに内面を語ってくれたということで、相手は誠実さを感じます。

このために、相手も冷静に自分を反省し、建設的なコミュニケーションが成立する可能性が高くなります。

あくまでも、やり込めるのではなく、問題を解決するための話し合いである、ということを忘れずに、この姿勢を貫くことです。

実りあるコミュニケーションになるか否かは、しばしば、何を話すかではなく、どのように話すかが問題であることが少なくないのです。

また、あれもこれもでなく、主張内容を限定する方が有効です。

これだけは許せない。

これだけはして欲しくない。

それをきっぱりと短い言葉で明確に伝えることです。

なにか行き違いが生じると、お互いによそよそしい態度になりがちです。

自分の行動は状況のせいにして、他の人の行動は悪意に帰しやすいというのは、心理学の帰属理論における法則です。

このために、こうした場合自分の心を伝えないと、どんどんお互いに相手への疑心暗鬼がつのっていきやすいのです。

こうしたときこそ、心を閉ざすのではなく、勇気を持って主語をI(私)にして語りかけることです。

それができない場合には、素直にたずねることです。

「自分が意図的に無視されているように感じるけれど、私が何か気分を害することをしたのでしょうか」など。

とにかく、こうした状況では、コミュニケーションのきっかけを作ることが大事です。

もう一つ主張行動で注意しなければならないことは、自分の主張を相手に強制することを主張行動と誤解しないことです。

相手には相手の感じ方、考え方、価値観、行動様式があり、相手はそれを主張する権利があるのですから。

したがって、きちんと伝えるべきことは伝える。

しかし、相手がそれをどう受けとめ、感じ、考えるかは、相手が決めることとして、割り切る必要があります。

とりわけ、男性と女性とでは、受けとめ方に大きな開きがあることを理解しておくことが大事です。

男性と女性では、脳自体にある程度の違いがあり、同一刺激でもその反応部位が異なることがあります。

物事への注目点も異なりますし、価値観や優先順位も異なります。

性格によっても異なります。

その人のそのときの心理状態でも異なります。

たとえば、背が高すぎる悩みの人もいれば、背が低すぎる悩みの人もいます。

この場合、背に関する同じ言葉が、全く別な受け取り方がされることが珍しくありません。

いつでも正反対の人がいるのです。

自分が正しく、相手が悪いというものではありません。

こうした違いを、事実としてそのまま受容することです。

主張訓練の方法

それでは、主張訓練はじっさいにはどのように行えばよいのでしょうか。

残念ながら、その魅力的なネーミングとは裏腹に、この心理療法が主張能力をつける特効薬的な方法を提出しているわけではありません。

段階を追って少しずつ獲得していくしかありません。

当たり前です。

なにしろその行動様式は、生誕後長い間自分が行ってきた行動様式に反するものなのですから。

ともかく自分なりに、自分でできるようなかたちで、少しずつ自分を出してみることです。

最初は、ほんのささやかな主張行動しかできないでしょう。

場合によっては、主張行動がかえって、ストレスをもたらすこともあるでしょう。

それでも、少しずつ、チャレンジしてみることです。

チャレンジの場を広げてみることです。

そして、自己主張できたと感じたら、自己強化、すなわち、自分で自分にごほうびをあげることです。

環境を変える

他の人をわざと傷つける人。

傷つけて喜んでいる人、傷つけても平気な人。

そんな人も確かにいます。

そのような人からは離れて、付き合わないことです。

傷つけられながら、離れられず、すがっていく人がいます。

幼い子どもは、傷つけられても、傷つけられても、親から離れることはできません。

そうした親子関係の敷き写しのようです。

こうした人にとっては、傷つける人から離れることは、エネルギーの要ることなのです。

むしろ、今の関係を続ける方が楽なのです。

なぜなら、それが今まで身に付いた行動様式だからです。

また、それ以上に、この関係から利益を得ているからなのです。

というのは、傷つける人は、相手を傷つけることによって、自己価値感を満たしているのです。

だから、こうした人は、意地悪さと優しさをうまく使い分けます。

傷つけたかと思うと、技巧的な優しさで心のなかに侵入してきて、依存欲求を満たしてくれます。

このために、いつまでも腐れ縁として続いてしまうのです。

環境を変えなければ今の苦しい状況から抜け出せないことが明らかなのに、環境を変えることができない人。

そうした人は、環境を変えられないという理由をいろいろとあげます。

ところが、その理由は、実際には、今のままにとどまることを合理化するための口実でしかないのです。

相手から得られる利益を手放すことを恐れているだけなのです。

環境は、自分が変えなければ変わりません。

逆に、自分で行動さえすれば、簡単に変えられるものなのです。

ただ、決断と実行だけで可能なのです。

傷ついても恐くない

傷つくことを恐れる心が、自分を苦しめているのです。

だから、傷つくことから自分を守ろうとするのではなく、傷ついても恐くないと居直ってしまった方がよほど楽です。

傷ついて、何が困るというのでしょう。

多くの場合、ただ、自分のプライドが傷つくだけです。

私たちは、プライドを自分の大事な内面のように感じています。

しかし、自分の心の奥底をありのままに見つめてみれば、実際には「他の人から見られた自分の価値評価」がプライドの主要な内容であることが分かります。

したがって、傷つくことを恐れるのは、一見「本当の自分」を大切にするためのように感じていますが、事実は、「他の人から見られた自分」を大切にしようとしているにすぎないのです。

さらに、傷つかないよう自分を守ろうとしているとき、他の人から傷つけられる「か弱く小さい自分」という感覚を持ちます。

しかし、事実は逆なのです。

過大な「尊大感」を持ってしまっているのです。

なぜなら、「他の人から見られた自分」にこだわるということは、「他の人がみな自分に注目している」という隠された意識があることです。

自分が皆から注目される存在であるという尊大感があるのです。

他の人は自分のことに忙しく、そのうえ、あなた以外に多くの人と関わり合いがあります。

あなたはその中のほんの一人に過ぎません。

ですから、他の人が、あなただけに関心を向けているなどということはありえないことなのです。

自己中心的な尊大感は捨て去ることです。

このことは、外界を信じることであり、人を信じることです。

外界を信じ、人を信じることとは、本当の自分を信じることであります。

なぜなら、ありのままの自分で人に受け入れられるという信念ですから。

人を信じ、自分を信じることで、防御の必要性はなくなります。

防御がなくなれば、傷つくことも少なくなります。

強い心より自己実現

一般に精神的な病気には二つの面があることが指摘されています。

病気で苦しむという側面と、病気により利益を得るという側面です。

たとえば、本来立ち向かうべき課題から逃げても、病気であれば許されます。

これを疾病利得といいます。

これがあるために、人は病気に逃げるということがあるのです。

同じように、傷つくことはつらい体験で、傷つかないよう自分を守ろうとするのですが、丁寧に自分の内面を振り返ってみれば、傷つくことで守っている自分がありはしないでしょうか。

・傷つくことで、強い相手と対立するといういっそうつらい事態に直面しないですませていることはないでしょうか。

・劣等感そのものを全面的に受け入れなければならない、という事態から免れていることはないでしょうか。

・傷つくことが、親や上司などからこれ以上傷つけられないための防壁になっていることはないでしょうか。

・自分の弱点を現実として認め、それを克服するつらい努力を避ける作用を果たしていないでしょうか。

傷ついた体験をこのようにありのままに振り返ってみると、傷つくことを好んでいる自分がいることを、どこかに感じることが少なくありません。

それは、まさに、傷つきが何らかの意味で自分の防波堤になっているからなのです。

傷つかない心をつくることは、この防波堤を取り崩すことでもあります。

防波堤なしに、波に立ち向かうことを求めることなのです。

それだけに、人によっては、困難でしんどい作業になることがあります。

多くのエネルギーを必要とすることがあります。

全面的に心を鍛えることに精力を使うことが、人生にとって有益なこととは思えません。

心理療法では「今、ここ」を生きられるようになることが、健康な心の重要な一つの指標と考えます。

傷つかない心を求めて努力していたのでは、いつまでも傷つく心の部分に注意を集中して生きることになります。

傷つくかもしれないという未来の出来事のために、いま、ここを犠牲にして生きることになります。

「今、ここ」を喜びで満たし、充実して生きるためには、防衛力を増す努力よりも、自己実現への努力をすることです。

自分が本当にしたいこと、自分が本当になりたいもの、そうした夢の実現に向けて努力することです。

自分の好きなこと、得意なことを徹底的に伸ばそうとすることです。

夢の実現に向けて努力する日々には、傷ついてぐずぐずしている時間などもったいなくて、もったいなくて、そんな時間があったら、夢の実現行動に没頭したいという思いが強まります。

自分の好きなことを追求する喜びと充実感が、傷つけられた感情よりもはるかに勝る日々が過ぎていきます。

そのなかで、これこそ自分だという確信と、自分にはこれがあるという自信と、さらに、たしかな自己価値感によって、不必要に傷つかない心がつくられていることを実感することでしょう。

※参考文献:傷つくのがこわい 根本橘夫著