たとえば仮に、あなたがAという人物のことを嫌っているとしましょう。
なぜなら、Aさんには許しがたい欠点があるからだと。

しかしそれは、Aさんの欠点が許せないから嫌っているのではありません。あなたには「Aさんのことを嫌いになる」という目的が先にあって、その目的にかなった欠点をあとから見つけ出しているのです。

それは、Aさんとの対人関係を回避する為です。
たとえば恋愛関係にあった人と別れるときのことを思い出すと、わかりやすいでしょう。
恋愛や夫婦の関係では、ある時期を境にして相手のやることなすこと、すべてに腹が立つようになることがあります。
食事の仕方が気に食わないとか、部屋にいるときのだらしない姿に嫌悪感をいだくとか、あるいは寝息でさえも腹が立つとか。
つい数か月前まではなんとも思っていなかったにもかかわらず、です。

これはその人がどこかの段階で「この関係を終わらせたい」と決心をして、関係を終わらせるための材料を探し回っているから、そう感じるのです。
相手はなにも変わっていません。
自分の「目的」が変わっただけです。

いいですか、人はその気になれば、相手の欠点や短所などいくらでも見つけ出すことができる、きわめて身勝手な生き物なのです。
たとえ相手が聖人君子のような人であったとしても、嫌うべき理由など簡単に発見できます。
だからこそ、世界はいつでも危険な所になりうるし、あらゆる他者を「敵」とみなすことも可能なのです。

そうなります。アドラーは、さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとする事態を指して、「人生の嘘」と呼びました。

厳しい言葉でしょう。
今自分が置かれている状況、その責任を誰かに転嫁する。
他者のせいにしたり、環境のせいにしたりすることで、人生のタスクから逃げている。
先ほどお話しした赤面症の女学生も、皆同じです。
自分に嘘をつき、また周囲の人々にも嘘をついている。
突き詰めて考えると、かなり厳しい言葉です。

わたしはあなたの過去について、何も知りません。ご両親のことも兄弟のことも。ただ、わたしは一つだけ知っています。

それは、あなたのライフスタイル(人生の在り方)を決めたのは、他の誰でもないあなた自身であるという事実を。

もしもあなたのライフスタイルが他者や環境によって決定されているのなら、責任を転嫁することも可能でしょう。
しかし、われわれは自分のライフスタイルを自分で選んでいる。
責任の所在は明らかです。

ここは非常に重要なポイントです。アドラーは、人生のタスクや人生の嘘について、善悪で語ろうとはしていません。
いまわれわれが語るべきは、善悪でも道徳でもなく、「勇気」の問題です。

あなたが人生のタスクを回避し、人生の嘘にすがっていたとしても、それはあなたが「悪」にそまっているからではない。道徳的価値観から糾弾されるべき問題ではなく、ただ「勇気」の問題なのです。

対人恐怖症、社交不安障害を克服したい人はライフスタイルを自ら変える「勇気」を持ちましょう。

※参考文献:嫌われる勇気 岸見一郎著