十年以上引きこもっていた愛着障害の女性のケース

三十代後半の女性が、社会に出ていくのにどうしたらよいかわからないと、助けを求めてやってきた。

この愛着障害のひきこもりの女性は発達障害ではないか。

そのことも調べてほしいという。

愛着障害のひきこもりの女性は大学を卒業したものの、就職に躓き、以来十年以上、引きこもりの状態が続いているという。

最初の数年は、両親は社会に出られない愛着障害のわが子の状態に戸惑い、何とかしようと、方々の医療機関や相談センターに連れていき、改善策を探ったという。

しかし、そんな両親の思いは裏目に出て、愛着障害の本人との関係は悪化の一途をたどった。

愛着障害の本人と両親には大きな衝突が何度もあり、家の中で暴れることもあった。

その一方で、そんな愛着障害の自分の状態に落ち込み、自傷行為を繰り返していた時期もあった。

愛着障害のひきこもりの女性は三十を過ぎ、両親も半ばあきらめる形で、愛着障害の本人に何も言わなくなった。

愛着障害の本人は好きなように暮らしていたが、両親とは「冷戦状態」で、ほとんど口もきかないままに、何年も過ぎていった。

愛着障害のひきこもりの女性は三十代も半ばを過ぎ、もうこのまま人生が終わってしまうのかと、愛着障害の本人も両親も思いかけていた時、ある新聞が目に留まる。

それは発達障害についての記事で、障害だと知らずに過ごしている人もまだたくさんいるというようなことが書かれていた。

それをたまたま読んだ愛着障害の女性は、「これは自分のことではないか」と思う。

だとしたら、きちんと診断を受けてみたい。

愛着障害の引きこもりの女性は、それでも、しばらくためらっていたが、数か月後、思い切って診察の予約を取ったのである。

それも、自分で。

その決断から、愛着障害の彼女の人生は大きく動き始めることになる。

自閉症スペクトラムの診断

愛着障害の彼女の成育歴には、たしかに発達障害を示唆する特徴的なエピソードが認められた。

愛着障害の彼女は小さいころからおとなしく、一人で遊ぶことが多かった。

自分から友達を誘うことはなく、あまり目を合わせない子どもだった。

愛着障害の彼女は神経が過敏で、大きな音を異様に怖がった。

勉強はできたが、運動は苦手で手先も不器用だった・・・。

発達検査をしてみると、言語理解は平均を大きく上回っているのに対して、処理速度が、逆に平均を大きく下回っていた。

愛着障害の彼女はアスペルガータイプの自閉症スペクトラムによく見られる発達の偏りだった。

愛着障害の彼女は言語的な能力と、作業的な能力の間に大きな乖離があるのだ。

愛着障害の彼女自身が疑った通り、自閉症スペクトラムと診断されたのである。

そのことで、愛着障害の彼女は自分の苦しみの正体を知り、自分が怠けていたわけではないのだと思えたという。

障害だと診断されることで、愛着障害の彼女はこれまでの苦難の人生の意味を納得し、少しは受け入れることができたのだ。

この点は、「医学モデル」の効用だといえる。

そのメリットの部分は、大いに活用すべきである。

ただ、発達障害があったということだけでは、愛着障害の彼女に起きていた問題をすべて説明するには、少し無理があるように思えた。

愛着障害の彼女は大学までは、さほど問題なく適応できていたのに、就職活動さえ満足にしないまま、なぜこれほど長期間、ひきこもってしまったのか。

また、その間には、愛着障害の彼女は自傷行為を繰り返し、自己否定と希死念慮にとらわれていた時期が、相当期間あった。

そこにかかわっていると思われたのは、両親との不安定な関係である。

もちろんそのような症状に対して、境界性パーソナリティ障害のような診断を追加することも可能かもしれない。

だが、診断名を羅列するだけでは、問題の本質につながらないのではないのか。

そこに浮び上がるのは、やはり愛着障害の問題である。

「私の気持ちなんか、誰も聞いてくれなかった」

その後、徐々に語られることになる愛着障害の彼女の人生の物語は、すべてがうまくいっていると思われていたころでさえ、心寂しく困難なものであった。

愛着障害の彼女の両親は、二人とも知的な専門職に就いており、母親も、彼女が幼いころからずっと働いていた。

愛着障害の彼女は父親にも母親にも遊んでもらった記憶はない。

愛着障害の彼女はいわゆる鍵っ子で、たった一度だけ、帰ったら玄関の鍵が開いていて、恐る恐る中に入ると、いないはずの母親が「お帰り」と言って迎えてくれたのを覚えている。

よほどうれしかったのだろう。

愛着障害の彼女は家族で旅行にも出かけたはずだが、楽しかったという思い出はない。

覚えているのは、いつも父と母がケンカをしていて、空気がピリピリしていたことだ。

父親が怒鳴り出すと、母親が金切り声で応戦した。

母親は、仕事と家事に追われて余裕がなかったし、父親も管理職に昇進して、仕事のことで頭がいっぱいだったのかもしれない。

父親を怒らせないように、二人がケンカにならないように、間をとりもつのが愛着障害の彼女の役目だった。

「誰も、私の気持ちを聞いてくれる人はいなかった。

私の気持ちになんか、だれも興味が無いようだった」と、愛着障害の彼女は後に語ってくれた。

ただ、父親も母親も学歴に価値を置いている点では一致していて、「一生懸命勉強して、国立大学に入らないとダメだ」と言うのだった。

そのことは小さいころから何度も聞かされていたので、絶対にやり遂げなければならない使命のように思っていた。

愛着障害の彼女は幸い勉強はよくできた。

愛着障害の彼女は消極的だったが、学校生活もそれほど問題なかった。

両親は愛着障害の彼女に大きな期待をかけていた。

実際、愛着障害の彼女はその期待に応えて、現役で国立大学に入った。

だが、その先までは、考えていなかった。

愛着障害の彼女は勉強という単純な物差しで生活が動いている間は、ある意味、楽だった。

ところが、大学に入ると、物差しが一つではなくなった。

どんなファッションの服装をするのかとか、おしゃべりや冗談をうまくかわすとか、異性に好かれるとか、わかりにくい物差しがいくつもできて、それをうまくこなせないと、浮いてしまう。

愛着障害の彼女は楽しそうにおしゃべりをかわすクラスメイトについていけず、疎外感を味わうことが多くなった。

「勉強ができる子」ということで保っていた自分のプライドが、ガラガラと崩れ始めていた。

愛着障害の彼女は大学に行くのが苦痛になり、講義もさぼるようになった。

愛着障害の彼女が留年してしまったとき、父親は事情も聞かずに怒鳴りつけ、顔を殴った。

愛着障害の彼女には「お前には失望した」と吐き捨てられた言葉だけが、耳に残った。

そんなときも、母親は何も言わず、父親が怒るのも当然だという態度だった。

それからだった、愛着障害の彼女が、リストカットをするようになったのは。

愛着障害の彼女は二年留年して、何とか卒業したが、彼女の中には、社会に出て働く気力も勇気もなくなっていた。

就職をせっつく両親との間で、緊張の高まった日々がしばらく続いた。

内にも外にも敵しかいないと感じ、死にたいと思った。

死ねないのは、勇気がないだけだった。

愛着障害の彼女は就職のことで、いがみ合い、ぶつかり合った日々から、さらに十年もの歳月が流れていたが、心の傷はまだ癒えず、ろくに口もきかない状態がまだ続いていたのである。

愛着障害の彼女はもともとあった「恐れ・回避型」の愛着に、未解決型愛着も加わって、傷つきやすさを、周囲と距離をとることでしか守れない状況に陥っていたのだ。

愛着障害の彼女が大学にうまくなじめなかったのは、発達障害による困難もあったが、愛着の観点からいえば、子どものころから安全基地をもたずに育ち、しかも、絶えず安全感を脅かされる中で、恐れ・回避型の愛着を身につけてしまっていたことも影響していると考えられる。

恐れ・回避型の人は、自分なんかどうせ受け入れてもらえないという恐れから、自分をさりげなくさらけ出すことができない。

恐れ・回避型の人は、しばしばひきこもり、外界との接触を断つことで、何とか自分の安全を守ろうとする。

愛着障害の彼女は、さらに、父親の無理解によって傷つけられ、未解決型の部分まで背負うことになったのである。

愛着障害の彼女がひきこもりが十年以上もの長きにわたってしまったのには、二重に傷ついた愛着のダメージが影響したと考えられる。

「臨時の安全基地から、本来の安全基地へ」

発達障害という医学モデルによる診断は、前にも述べたように、自分の困難の正体がわかることで、「自分は怠けているだけではない」「努力がたりないわけではない」と、自分を責める気持ちを和らげることにつながる。

しかし、障害自体は遺伝的特性の部分が大きいので、容易には変えられない。

障害を抱えていることに、苛立ちや絶望を感じてしまうケースもある。

障害を認定してもらい、福祉的な配慮を得ることで、就労や収入の道が開ける面もあるが、軽度な場合では認定にいたらない場合もあるし、そうした方法をなかなか受け入れられない場合もある。

一方、愛着モデルでこの事態を見た場合、社会適応を妨げていた要因として、恐れ・回避型の愛着がある。

子どもの頃から両親が安全基地として機能せず、気持ちを聞いてもらうこともあまりなかった愛着障害の女性は、自分が人から顧みられる価値もない、つまらない存在だと思い込んでしまった。

愛着障害の彼女は、その思い込みのために、人に接するときは過度に気を遣うのだが、自分のことは何も話せないということになってしまった。

そしてそんな苦しさから逃れるように、愛着障害の彼女は次第に大学にも生き辛くなっていった。

さらに、結果だけを見て激高した父親が愛着障害の彼女に投げつけた言葉が、残っていた親への信頼を打ち砕いてしまった。

愛着障害の彼女に必要なのは、傷ついた親との愛着の修復だったが、それはハードルの高い課題だった。

まずとりかかるべきは、支援者である我々が愛着障害の彼女の安全基地となることで、愛着障害の克服を図ることであった。

愛着障害の彼女は通院を重ねる中で、次第にさまざまなことを語るようになった。

愛着障害の彼女は、その時々で直面している問題について、自分から積極的に相談し、苦しさを語ったり、意見を求めてきたりした。

愛着障害の彼女は最初のうちは、担当医となった医師のことについて、父親とイメージが重なり、怖いと思っていたそうだが、そこを乗り越えると、信頼を寄せてくれるようになり、何か困ったことがあるとやってきて話し、すっきりしたと言って帰っていくようになった。

そのころ愛着障害の彼女は、障害者を対象とした職業訓練に通い始めていて、次々と課題にぶつかることが多かったのである。

しかし、愛着障害の彼女は不思議な粘りで、その一つ一つをクリアしていった。

そして、ついに愛着障害の彼女は非正規ながら、就職にまでこぎつけたのである。

愛着障害の克服にはただ安全基地となり、支える

そんなある日、愛着障害の彼女の両親が病状を聞きたいということで、お会いすることになった。

両親は、愛着障害の娘の前向きな変化に驚くと同時に、いったいこれから、どうかかわっていけばいいのかわからないと、戸惑っているご様子だった。

十年前のようなことになって、せっかくの変化を台無しにしてしまわないかという不安を台無しにしてしまわないかという不安もあったのだろうか。

しかし、一時の冷戦状態を思えば、最近は、さりげない話をすることもあり、見違えるように柔らかくなったという。

いったい娘に何が起きているのでしょうかと、不思議そうに尋ねてこられる。

しばしば起きることだが、家族が安全基地として機能していない場合でも、外に安全基地となる存在ができると、次第に愛着障害から愛着が安定し、今までぎくしゃくしていた家族とも、何かの拍子に話をしたりするようになる。

だが、愛着障害の彼女が愛着の修復に向かうか、またぎくしゃくした状態に戻ってしまうか、ある意味、ここからが勝負だった。

ご両親もそれを感じて、担当医である医師を訪ねてきたのだろう。

医師は、今何が起きているのかをざっと説明するとともに、ご家族が安全基地となることが、愛着障害の彼女を支えることになると話した。

そして、具体的には、愛着障害の彼女の話をただ聞くだけにして、決して指導したり、助言をしたりしないようにとお願いした。

愛着障害の彼女の方が、自分から意見を求めてきたときだけ、ごく控えめに意見を伝えることはよいが、それはあくまで、一つの意見に過ぎないので、自分が思うようにしたらいいよということを、忘れずに付け加えることも伝えておいた。

そして、いいことにだけ反応し、悪いことは見ないふりをするようにとお願いした。

厳格で、生真面目そうなご夫婦で、医師の言うことに、最初は目をぱちぱちさせていたが、「お嬢さんは、自分で決断してここにも来られたんです。

今、主体性を取り戻されようとしています。

少し頼りなくても、自分で考えて、自分で行動することが、結局、いちばんの近道なんです」とお話しする中で、納得されたようだった。

その後、愛着障害の彼女と両親の関係はすっかり改善し、むしろ愛着障害だった彼女の方から、両親に相談したり、頼ったりすることも増えた。

その変化に戸惑った両親が、また意見を聞きにやって来た。

医師は、「今は、これまで甘えられなかった分を取り戻しているのだと思います。

しばらく大いに甘えたら、自然に落ち着いていきますよ。

求めてきたら、応えてあげる。

それが安全基地の原則です。

これから働き始めると、ストレスもたまるし、余裕もなくなります。

多少のことは大目に見て、支えてあげてください。

絆を取り戻すチャンスです」と助言した。

はたらき出すまでに、ご両親が安全基地としての役割を取り戻し始めていたことは、幸運だった。

試練の連続であったが、そこをまた一つ一つクリアしていった。

だが、三カ月後に愛着障害だった彼女が頑張りを認められ正社員に登用されたと聞いた時にはさすがに耳を疑ったものだ。

それから、もう二年になるが、愛着障害だった彼女は今も働き続けている。

こうした愛着障害を克服したケースは、決して例外的なものではない。

発達障害という「医学モデル」の診断にとらわれすぎることは、かえって回復のチャンスを狭めてしまう。

「医学モデル」での症状や診断にとらわれず、「愛着モデル」で、愛着関係に着目して、そこを強化することで、一、二年前には想像することもできなかったような大きな変化が生まれることも珍しくないのだ。

愛着アプローチには、奇跡を生むような力が秘められている。

それは、愛着アプローチが特別な手法だからではなく、人間が幸福に生きて行くために本来備わっている最も重要な仕組み、愛着という、命と希望を支える仕組みに働きかけ、よみがえらせるものだからである。

※参考文献:愛着障害の克服 「愛着アプローチ」で、人は変われる 岡田尊司著