人間が本来持っている向上心と、前うつ病性格者が持っている自己への高すぎる要求水準とは、まったく異質のものである。

泳げるようになりたい、泳げるようになれば次はもっと上手に泳げるようになりたい、英語が話せるようになりたい、アメリカに行きたい、バイオリンをもっと上手に弾きたい・・・そうすればどんなに楽しいだろう。

これらはみんな、実現すればどんなにか楽しいことであるし、新しいことへの挑戦なのである。

そこには、そうならなかったらどうしようという恐れがない。

したがって、それをやる時に不安がない。

負い目に苦しんでいる人間の高すぎる要求水準には、常に、うまくかなかったらどうしようという怖れと不安が伴う。

つまり、失敗したときに失望されることへの恐れと、その恐れを味わうのではないかという不安が常に付きまとうのである。

意欲に燃える野球選手がいる。

彼は二割打者である。

三割になってやろうという目標を立てる。

さらに彼には、三割になれなかった時に、ため息をついて失望する周囲の人間がいない。

だから、三割になれなかったらどうしようという不安がない。

恐れがない以上、不安な緊張もない。

三割という高い目標は、彼の意欲を掻き立てるものでしかないのである。

負い目に苦しんでいない人間には、目標は高ければ高いほど良い。

しかし、負い目に苦しんでいる者には、目標は低ければ低いほど良い。

失敗したら他人がどう思うかという怖れと不安を持つ者には、目標は低いほど良い。

しかし、失敗した自分を他人がどう思うかと言う怖れを不安を持たないものには、目標は高ければ高いほど良い。

成功したら成功した自分を他人がどう見るか気になる、そういう人は、やはり自己への要求水準を下げた方がよい。

しかし、失敗したら失敗した自分を他人がどう見るか、成功したら成功した自分を他人がどう見るかと言うように、他人の目ばかり意識する人は、なかなか自己への要求水準をさげることができない。

なぜなら、自己への高すぎる要求水準は、無意識における低すぎる自己評価が原因だからである。

原因である低すぎる自己評価を高めない限り、負い目に苦しむ者は、自己への要求水準をさげることはできないのである。

高い自己評価をしている者は、高い目標をもつほうがよく、低い自己評価の者は、低い目標を持つ方がよい。

恩着せがましい親に育てられ、いつも親の失望の表情や迷惑顔に苦しめられてきた人間が、どうしても知らねばならないことがある。

それは、事象の浅い深いは、愛する対象が原因ではないということである。

この愛情の原則だけは、負い目に苦しむ者が何をおいても知らねばならないことである。

対人恐怖症、社交不安障害を克服するには、まずは高すぎる目標を下げ自己評価を高める練習が必要である。

※参考文献:自分を嫌うな 加藤諦三著