”周りの人達を好きか嫌いか考える”

重要な反省点が一つある。

自分がいま属している集団の人達を自分が好きか嫌いかである。

もちろん理念の上で好きか嫌いかは分けられるが、現実の生活で、その集団を好きか嫌いかの二つに分けることは難しい。

その上での話である。

「理想の自分」と「実際の自分」の乖離が起きるのは、その人が嫌いな人達の集団にいるからである。

深刻な乖離が起きている人は、周囲の人が嫌いに違いない。

好きなら「実際の自分」でよいはずである。

何かに失敗しても、それでよいはずである。

深い心の傷にはならない。

仲間が嫌いだと失敗の打撃は大きい。

深い心の傷になる。

そもそも「理想の自分」と「実際の自分」の乖離がおきたのは、小さい頃養育者がその人に無理な、非現実的なほど高い期待をかけたからである。

養育者はその子を好きではなかった。

もし好きなら「そのままのその子」でよいはずである。

養育者が子供を好きでないのだから、子供の側も養育者を好きではないのが当たり前である。

現実の相手と触れ合って相手を愛したときには、外化はない。

自分が飼っている愛犬に自己憎悪を外化する人はいないだろう。

可愛い犬に「こういう犬であって欲しい」と非現実的なほど高い期待はかけない。

犬の好きでない人が犬を飼うときに初めて、飼い犬を「こういう犬であって欲しい」と思う。

自分に対する怒りがある人は「いつも」周りの人が自分に対して怒りを持っていると感じてしまう。

つまり周りの人がこちらに対して怒っていなくてもいつも怒っていると感じてしまう。

一つの反省点はそのことである。

もう一つは実際に嫌いな人が、その人の周りには多いのではないか。

たとえば自己憎悪している人の周りには、自己憎悪している人が多い。

自己憎悪が自己憎悪を呼び寄せてしまう。

そうして自分の周りに嫌いな人の集団ができて、自分はそのメンバーになってしまう。

外化の結果嫌いになるのではなく、それとは関係なしにこの世の中には実際に嫌な人がいる。

こちらの心に問題があると、ついそういった実際に嫌いな人達とかかわってしまう。
実際に嫌な人は事実、相手を不愉快な気持ちに追い込む。実際に嫌な人は事実、敵意がある。

実際に敵意がある人、隙を見つけて相手を攻撃する。

事実、嫌がらせをする。

事実、傲慢である。

事実、礼儀知らずである。

したがって大切なことは、実際に嫌な人を避けること。

実際に嫌な人とは関わらない努力をすること。

今かかわっているとすれば、とにかくそういう人達から離れる方法を考える。

そして離れる準備をする。

実際に敵意がある人の集団にいれば、死ぬまで幸せになることはない。

実際に敵意がある人は、弱い人を苛める。

時には虐待をする。

弱い人に対してはサディストになる。

対人恐怖症、社交不安障害を克服するには実際に嫌な人を避けること。

実際に嫌な人とは関わらない努力をすること。である。

※参考文献:イライラのおさめ方 加藤諦三著