大きな企業が、役員候補を選ぶ場合に通常行われるのは、社員だけでなく、取引先や顧客からも広くヒアリングを行ない、その人の評判を聞き取るという作業である。

会社のリーダーとしてふさわしいかどうかは、客観的な指標に基づいて判断されるよりも、多くの人の主観的な意見を集めることによって、まず試されるのである。

それは、好感度テストの方法とも似ている。

高感度テストは、互いを身近に知る人どうしを集めて、それぞれのメンバーについて、好ましく思うかどうかを採点してもらい、それを集計する方法で行われる。

いわば人気投票であるが、この場合の好感度は、単に印象が良いかどうかというものではない。

なぜなら、初対面の人に対して行なうのではなく、お互いに関わりがある集団を対象に行われるからである。

面白いことに、好感度テストによって上位の結果を得た人は、その後ビジネスで成功する確率が高いという。

いずれの方法も、愛着という観点でみれば、愛着の安定した人を選ぶ操作だとも言える。

愛着スタイルが安定した人は、身近な人と信頼関係を結びやすいだけでなく、周囲からも良い印象をもたれやすい。

そうした事実からしても、社会的成功にも有利だということは容易に推測される。

実際に行われた調査でも、愛着スタイルが安定した人は、仕事の満足度や社会的地位が高い傾向があり、また仕事に感情的な問題や対人関係の問題をもちこまない傾向もみられる。

安定した愛着スタイルは、ビジネスにおいても、成功を後押ししてくれるのである。

仕事と割り切る働き方

それに対して、不安型の人は、仕事に絶えず不安定な愛着の問題がもちこまれる。

仕事の問題がそれ自体に留まらず、相手に認められるか、気に入られるかという人間関係の問題に置き換わってしまうのである。

それゆえ過剰に傷ついたり、気疲れしたり、些細な叱責や注意も、自分の価値を否定されたように受け止めやすく、仕事が長続きしない原因となる。

他方、回避型愛着スタイルの人は、仕事は仕事と割り切る傾向が強いので、仕事に対人関係や情緒的な問題がもちこまれるということは少ない。

そのため、仕事はできるが、関わりが表面的なため人望という点では難がある。

人のためになるとか、人に喜んでもらうということは、このタイプの人にとって、あまりモチベーションにならない。

回避型愛着スタイルの人は、ボランティア活動などの愛他的行動に従事することが少ないことも報告されている。

ボランティア活動を行なう場合にも、売名行為や社会的な評判を得るといった利己的な意図によるという。

打算的に行動するという点が、今日の競争的な資本主義に支配された職場には適している面もある。

適度な社交的手腕やマキャベリ―的な権謀術数を備えている場合には、他人を利用することで業績を上げ、出世街道を駆け上ることもある。

共感的な愛着や情緒的な対人関係能力を身につける代わりに、狡猾で打算的な人心操作の技術を発達させているのだ。

だが、回避型愛着スタイルの多くは、そうした傾向とも無縁で、孤独に自分の世界にこもることに安らぎと満足を見出す。

仕事をする上で、チームワークや協力や配慮といったことが必要になると、それらは不快な雑事としか思えないので、たちまち意欲をそがれる。

自分のペースで、仕事だけに没頭できることが理想なのである。

そのため、仕事に熱中し、われを忘れて取り組むことも多い。

しかし、熱中するあまり、周囲との関係に気を配ることが疎かになり、いつのまにか職場で孤立していたということにもなりかねない。

傷ついた心より問題解決

アメリカの精神分析家ローゼンツヴァイクが開発したPFスタディ(Picture Frustration Study:絵画欲求不満検査)という検査がある。

臨床場面でもよく使われる検査の一つで、欲求不満を起こすような場面を絵で示して、相手の言葉にどう答えるかを考えてもらうものである。

この検査では、被験者の回答を、アグレッションの方向とタイプという二つの観点から分析する。

この場合のアグレッションとは、いわゆる攻撃だけでなく、自己主張のようなものも含める広い概念である。

アグレッションが、他者に向かうのか、自分に向かうのか、誰にも向かわないのかによって、他罰、自責、無責に分け、また、アグレッションのタイプによって、障害優位、自我防衛、要求固執の各反応に分ける。

障害優位反応とは、生じた問題に対して明確な対処ができず、困惑したり、逡巡したり、時間稼ぎをしている反応である。

自我防衛反応とは、傷つけられたことや傷つけてしまったことに対する感情反応であり、他罰に向かうときは、非難や怒りの反応としてあらわれ、自責に向かうときは、謝罪や反省の言葉となり、誰にも向かわないときは、諦めや悟りの言葉となる。

要求固執反応とは、生じた被害の弁済や問題の解決に関心を向ける反応で、他罰に向かうと、弁済や解決の要求となり、自責に向かうと、弁済や解決の提案や約束となり、無責の場合は、中立的に問題解決を図ろうとする言葉となる。

回避型愛着スタイルの人にこの検査をやってもらうと、要求固執反応が多くなり、なかでも、無責反応の割合が高くなる。

研究者などでも、その傾向が強く、通常の二倍くらいの割合に達する。

一方、自我防衛反応は少なく、相手を責めようとする他罰反応も、自分が反省や謝罪を述べる自責反応も乏しい傾向がみられる。

感情抜きに客観的に問題解決しようとするわけである。

こうした反応は、一見とても合理的にみえるが、現実においては、必ずしも有効に機能するとは限らない。

多くの人は、問題自体よりもそれによって傷ついた相手の心の方を優先する。

そこを素通りされて、いきなりクールに問題解決の話に進められると、相手は「気持ちの問題はどうしてくれるんだ」ということになってしまう。

また、本来なら、怒っていい場面でもその気持ちを明らかにせぬまま、淡々と問題解決の段階に進んでいけば、相手との駆け引きで損をする場合がある。

対人関係においても、怒らない、攻撃してこないということで見くびられてしまい、不当な攻撃を受ける場合もある。

気がついたら孤立

情緒的な部分で反応が乏しい傾向は、集団の中での孤立につながりかねない。

これは、回避型愛着スタイルの人が陥りやすい職場における第一の困難でもある。

仕事においては努力し、赫々たる業績を上げている場合でも、周囲とのコミュニケーションや配慮を怠りがちなので、陰口をたたかれたり、好感度が低かったりなどで、実力以下の評価しか受けないということも、しばしばである。

回避型の人の能力を、中身できっちり評価する上司の存在がなければ、早晩職場内で孤立し、仕事でも行き詰ってしまいやすい。

離婚し自由の身になった山頭火は、一ツ橋図書館に定職を得て、彼の人生においては例外的とも言える二年余りの時間を過ごす。

最初は臨時雇いだったが、山頭火の几帳面な性格を上司である館長が評価してくれて、本採用に推薦してくれたのだ。

酒癖の悪いところはあったが、館長の理解から、そこも大目に見てもらい、山頭火は水を得た魚のように本に親しむことができた。

しかし、そんな平穏な日々もやがて狂い始める。

きっかけは、館が転勤になり、新しい館長と反りが合わなかったことである。

山頭火は不眠やうつに悩むようになり、それを紛らわそうと大酒して、いっそう仕事にならなくなった。

そして、とうとう神経衰弱を理由に辞職するに至る。

このように回避型愛着スタイルの人は、安全基地に進んでなってくれる理解者がいれば、仕事を続けることもできるが、自分で安全基地を見出し、作っていくような器用さはもち合わせていないのである。

回避型愛着スタイルの人が職場で直面するもう一つの困難は、仕事以外の”雑事”に関わる部分で起きる。

技術的な能力や仕事自体の能力は高いのに、仕事のお膳立てをする部分、つまり準備や管理のところでつまずいてしまうのだ。

ことに、事務処理能力や管理能力に難がある場合には、そうした問題が起きやすくなる。

ある四十代の男性は、非常に高度な金属加工の専門技能をもっていた。

しかし、リストラによる人員削減で、材料の調達や管理までやらなければならなくなった。

技術的な仕事では一流の腕をもっていても、取引先に電話をかけて注文をしたり、必要な材料の在庫管理をすることは不慣れであった。

そうした余分な雑事がストレスになっただけでなく、そちらに気をとられて、以前のように技術的な仕事にも集中できなくなってしまった。

その結果、考えられないようなミスが増え、ついには、機械の操作ミスで大けがまで負ってしまった。

それまでも社内で孤立していたが、仕事ができるということで大目に見られていた。

しかしミスや事故が相次いだことで、社内での評価も下がり、いよいよ苦しい立場に追い込まれてしまったのである。

冷静さと専門性が強み

このタイプの人は、人間関係で得点を稼いで自分の評価を上げ、生き延びるという戦略が使えない。

仕事で成功するために頼れるのは、自分の専門的な技能や実力でしかない。

それゆえ、回避型愛着スタイルの成功者は、人並み以上に仕事に厳しく、高い技術や実力を身につけた人だと言える。

誰にも何も言わせないだけの技能や知識、能力を示すことでしか、自分を受け入れてもらい、認めさせる方法がないことをよく知っているので、妥協せずに腕を磨いてきた人が多い。

適当に人間関係で誤魔化し、大目に見てもらった人とは違って、仕事の中身は本物である。

できるかできないか、そのどちらかしかないということが徹底していて、結果に対してもシビアな目を向ける。

あいまいな言い方には納得しない。

実績を明確にするために、数字にこだわるという面もある。

主観的な評価よりも、答えがはっきりしている数字の方を信用するのである。

こうした特性は、実績と数字で動いていく資本主義的な経営にはマッチしていると言える。

情実や縁故に流されない回避型愛着スタイルの冷徹な仕事ぶりは、今日のビジネス感覚に沿ったものである。

その意味で、完全な回避型愛着スタイルとはいかなくても、ある程度、回避型愛着スタイルの要素をもった人の方が、管理職や経営者として有利な面がある。

このように、このタイプの人が仕事で成功する上でカギになることの一つは、十分な専門的技能を身につけ、このことに関しては誰にも引けをとらないという領域をもつことだと言える。

そして、もう一つは、感情に惑わされず、冷静で客観的に物事をみる特性を活かした働き方をすることである。

逆にもっとも不幸な働き方は、自分の専門領域や本当にやりたいことがあいまいなまま、会社や周囲の都合に流され、苦手な領域や雑多な仕事に神経をすり減らし消耗することである。

弱音を吐くより、静かに身を引く

回避型愛着スタイルの人が責任ある地位に就いたり、逃れられない負担がかかってきたとき、試練が訪れる。

今日、技術的な職場などでは、回避型愛着スタイルの人の割合が高くなっているが、そういう人も、中堅になると、責任が増し、管理職に昇進させられたりする。

回避型愛着スタイルの人は、愚痴や不満も言わずに黙々と仕事に励み、任せられた仕事はきっちりこなすということが多いので、もっと負担を増やしてもなんとかやりこなしてくれるだろうとか、管理的な仕事もこなせるだろうと、上が勘違いしてしまうところもある。

実はそれまで、ぎりぎり一杯のところを、頑張って耐えていたにすぎないのだが、それを、まだ余裕があると誤解されてしまうのだ。

到底こなしきれない量の仕事を背負わされ、それでも弱音を吐くこともできず、歯を食いしばってしまう。

しかし、いくら気持ちで乗り切ろうとしても限界がある。

体の方が先に悲鳴を上げる。

朝がつらくなり、頭痛や胃の痛みに悩まされるようになる。

それでも、無理をし続けると、ついには、糸が切れたように動けなくなる。

頭も体も働かなくなる。

うつである。

こうしたことが起きやすいのは、真面目で責任感が強い、強迫性パーソナリティの傾向と、回避型の愛着スタイルが重なっている場合である。

真面目だが、あまり自己主張が上手でないという人には、そうしたタイプの人が多い。

このタイプの人では、そこまで追いつめられていても、「仕事を減らしてください」とか「自分には無理です」ということが言えない。

それでは会社や周りに迷惑がかかると、相手の都合ばかりを考えてしまう。

期待に応えられない自分がダメなのだと思い、そんな自分がいなくなればいいのだと思う。

弱音を吐くくらいなら、逃げ出したいと思ってしまう。

負担を減らしてもらうとか、休養させてもらうというくらいなら、自分が死んでいなくなった方がいいとさえ考えてしまう。

本音を言えないという回避型愛着スタイルの特性が、義務感の強さという特性と結びついたとき、どんどんその人を追い詰めてしまうのである。

※参考文献:回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち 岡田尊司著