【回避性の特性と対人関係】

親密さよりも距離を求める

回避型愛着スタイルの人は、距離をおいた対人関係を好む。

親しい関係や情緒的な共有を心地よいとは感じず、むしろ重荷に感じやすい。

だから、親密さを回避しようとし、心理的にも物理的にも、距離をおこうとする。

回避型愛着スタイルのコア・ウィッシュは、縛られないことである。

人に依存もしなければ、人から依存されることもなく、自立自存の状態を最良とみなす。

そして、他人に迷惑をかけないことが大事だと、自己責任を重視する。

自分の属する組織や集団とも、気持ちを共有することは少なく、仲間に対して、一緒にいてもあまり意味がないとか、時間の無駄であるといった、ネガティブな見方をする傾向がある。

積極的に関与することよりも、自分に余計な責任がかからないようにする。

回避型愛着スタイルのもう一つの大きな特徴は、葛藤を避けようとすることである。

そのため、人とぶつかり合ったりする状況が苦手で、そうした状況に陥るくらいなら、自分から身を引くことで事態の収拾を図ろうとする。

人への積極的な関与を好まないのも、ある意味、葛藤を避けようとするためでもある。

その一方で、葛藤を抱えられないことは、正反対の一面を生む。

ストレスが加えられると短絡的に反応し、攻撃的な言動に出てしまいやすいのだ。

相手の痛みに無頓着なところもあるので、自分が相手を傷つけていることに気づかなかったりする。

冷静そうに見えて、切れると暴発してしまうのである。

回避型愛着スタイルの人は何に対しても醒めている

回避型愛着スタイルの人は、何に対してもどこか醒めているところがある。

本気で熱くなるということが少ない。

情動的な強い感情を抑えるのが得意で、それにとらわれることもない。

クールでドライな印象を与えることも多いが、そうすることで傷つくことから自分を守っているとも言える。

また、不安型愛着スタイルの人とは対照的に、回避型愛着スタイルの人は、愛する人との別れに際してもクールである。

機能的MRIを用いた近年の実験でも、回避型愛着スタイルの人が別れの場面を想起した際に、情動に関係する脳の領域の反応が抑えられていることが報告されている。

この抑圧が、防衛的なメカニズムによって起きていることが、他の実験から推測されている。

ただし、回避型愛着スタイルの人でも、強い負荷をかけられた状況では、抑圧されたはずの思考が、課題遂行に影響することが認められている。

愛する伴侶と死別した人のインタビューを被験者に聞いてもらい、その内容をどれくらい記憶しているかを調べた実験がある。

その結果、回避型愛着スタイルの人は、聞いた直後からあまり記憶していないことがわかった。

これは、早く忘れるというよりも、頭に入ってくる段階で、シャットアウトしてしまっていると考えられる。

このことは、たとえば感情がかき立てられるような写真を、被験者に一瞬だけ見せて、それがどういう場面の写真か理解できるまで、見せる時間を次第に長くしていくという実験によっても裏付けられている。

回避型愛着スタイルの人では、理解できるまでに長い時間を要したのである。

この傾向は感情を惹起するような写真についてだけ認められ、自然の景色や無生物的な物体や中立的な表情では認められなかった。

つまり、回避型愛着スタイルの人は、感情的な反応の認知において鈍感な傾向がみられたのである。

別の実験によると、回避型の人は表情の読み取りが不正確であるという結果も出ている。

回避型愛着スタイルの人は自己表現が苦手で、表情と感情が乖離する

回避型愛着スタイルの人は、自己開示を避ける結果として、自己表現力が育ちにくいという事態を招きやすい。

また、コミュニケーションの機会自体が減ってしまうため、会話において微妙なニュアンスを正確に理解したりすることも苦手で、意味を取り損なってしまいやすい。

ことに、親しみを求められたり、愛情を確かめられたりするようなサインに無頓着で、気付かないということも多い。

そのため、周囲から鈍感だと思われてしまうこともある。

多くの実験で、回避型愛着スタイルの人は表情や感情表現が乏しいということが分かっている。

ことに、喜びや関心の表情が乏しい。

それに対して、不安型愛着スタイルの人は、ネガティブな感情を表す表情や表現が過剰になりがちである。

また、表情が感情と食い違っていたりするのも、回避型愛着スタイルの人の特徴である。

ある実験で、被験者に短い映画を見せて、そのときの表情をビデオで記録し、後で本人にどんな気持ちだったかを答えてもらった。

安定型愛着スタイルの人は、悲しみや怒りの表情を浮かべていたときには、それぞれ悲しみや怒りを感じていたことを答え、表情と感情が一致した。

しかし、回避型愛着スタイルの人は、悲しみの表情を浮かべていたのに「怒っていた」と答えたり、その逆だったりと、表情と感情が一致しないことが多かった。

その一方で、回避型愛着スタイルの人は、仕事や趣味などの領域で自己主張をする傾向が強い。

そうした領域はその人にとって聖域であり、誰からも侵されることを好まない。

情緒的な自己表現が乏しい面を、その部分で補うかのように熱意を傾けることも多い。

回避型愛着スタイルの人の隠棲願望とひきこもり

回避型愛着スタイルの人はめんどくさがり屋でもある。

やらなければならないとわかっていても、厄介なことは後回しにし、お尻に火がつくまで放っておくという事も多い。

回避型愛着スタイルの川端康成は大学を卒業するのに苦労した。

東京帝大を卒業したのは、かれこれ25歳になろうとしているときであるから、3年ばかり遅れたことになる。

回避型愛着スタイルの川端自身、ほんとうに卒業できるのかと危ぶんだこともあった。

最後には、何人かの教授に事前運動までして、やっと手にした卒業証書だった。

回避型愛着スタイルの人にはありがちなことだが、川端も、面倒なことを後回しにしてしまうところがあったのかもしれない。

その根底には、世の雑事が疎ましい、俗世の喧騒を避け、静謐のなかで無為に過ごしたいという憧れがある。

実際、世捨て人同然に隠棲したり、ひきこもってしまう人もいる。

大学をようやく卒業した年、回避型愛着スタイルの川端は横光利一らと『文芸時代』という同人誌を立ち上げ、新感覚派と呼ばれる新しい文学運動の中心的な人物として活躍し始める。

だが、文壇での活発な活動とは裏腹に、私生活では、東京よりも、伊豆湯ヶ島の温泉旅館に長逗留し、山中に隠棲することを好んだ。

回避性愛着スタイルの川端が、湯ヶ島で一年の多くを過ごしたのは、25歳から28歳という、ふつうならばもっとも元気のいいころである。

回避性愛着スタイルの川端が過ごした湯ヶ島は現在でも滝音が聞こえ、山間のひっそりとした風情がそのまま残っているようなところで、当時ならば、東京から来ると、いかにも伊豆の山のなかにこもっているという風であっただろう。

少なくとも、血気盛んな二十代後半の若者が、一年の大半を過ごすには、隔絶されすぎた場所に思える。

回避性愛着スタイルの川端の繊細過ぎる神経が、人里離れた静けさと、都会との距離を必要としていたのだろう。

この時期、回避性愛着スタイルの川端は、大して読書をしたわけでも、大作ものを出版したわけでもない。

目立った作品と言えば、23歳のときに書いた『湯ヶ島での思い出』から一部を分離し、『伊豆の踊子』として完成させ、刊行したくらいのものである。

彼にとっては、湯ヶ島が、安全な避難場所であり、そして、ここで、妻となる女性とも生活を始めるのである。

この隠棲の時期があって、三十代の活発な活動へとつながっていったように思える。

愛着障害だった漱石などもそうであるが、若い時期、都会の喧騒や煩わしい対人関係から身を避けて過ごすことが、その後の開花に必要なのかもしれない。

さながら、それは蝶になる前のさなぎのような時代と言えるだろう。

回避型愛着スタイルの種田山頭火のケース

回避型愛着スタイルの典型的な人物に、俳人の種田山頭火がいる。

「漂泊の俳人」として知られる山頭火、本名種田正一は山口県の豪農の家に長男として生まれた。

山頭火の人生に拭いがたい影を落とすことになったのは、母親の自殺という悲しい出来事であった。

正一が小学校3年だった三月のある日曜日のこと。

納屋で近所の子ども達と遊んでいると、「わあっ」と叫び声がして、井戸の方に人が集まっていった。

子どもが近寄ろうとすると、「猫が落ちたのじゃ、子どもはあっちに行け」と追い払われたが、正一は引き上げられたものを見てしまったという。

それは変わり果てた母親の姿だった。

恐ろしい死に顔に、そばにいた祖母の膝に思わず掻きついたという。

母親は家の庭にあった井戸に身を投げたのだ。

母親は正一の二人目の弟を身ごもっているときに、肺結核にかかった。

何とか無事に出産したものの、その後病状が一段と進み、離れの長屋で寝たきりの生活をしていた。

夫の女遊びや、二番目の息子を親戚へ養子にやる話が影響したという話もある。

母親は忍耐強い人だったが、それだけに、何もできない自分の身の上を悲観してしまったのだろう。

理由が何であれ、母親を無残な形で奪われた子どもにとっては、大差はない。

山頭火自身、はるか後に「私が自叙伝を書くならば、その冒頭の語句として、-私一家の不幸は母の自殺から初まる、-と書かねばならない」と日記に記した。

しかし、その自叙伝が書かれることはなかった。

彼が母親の自殺について触れることはほとんどなかったのである。

それほど心に深い傷跡を残したのであろう。

母親の死後、代わって、正一の世話をかいがいしく焼いてくれたのは、祖母であった。

心の傷を引きずっていたのか、小学校の頃は欠席も多く、成績もパッとしなかったが、周陽学舎(現在の防府高校)に進んだころから首席に踊り出るものの、もう一つ踏ん張りがきかず、山口中学(現在の山口高校)では、並み居る秀才の中にうずもれた。

山頭火は、帝大への進学を諦め、東京専門学校(現在の早稲田大学)に進む。

そして学業よりも文学に自分の生きる場所を見出していく。

大学を中退したのも、父親が株で大損したこともあったが、そこまで学業に未練がなくなっていたのかもしれない。

山口の実家に戻った回避型愛着スタイルの山頭火は新たに始めた酒造りに取り組むようになるが、彼がいっそう熱中するようになるのは、句作や文芸雑誌の編集である。

結婚を勧められても、「わしは禅坊主になるんじゃ」と逃げていた。

押し切られる形で見合い結婚をしたものの、夫らしく振舞ったのは最初の一週間で、その後は、俳句と酒にかまけて妻子を振り返ることもなかった。

家業も怠っていたわけではないが、商売を仕切っていたのは妻のほうだった。

だが、それも破綻する。

仕込んだ酒が腐ってしまったのだ。

家産は借金のカタになくなり、熊本へと落ち延びた。

古本屋を始めるが立ち行かず、額絵の行商に歩いた。

しかし、まったく商才もなく、再起をかけて上京するが、肉体労働しか仕事がないというありさまで、実生活での無能ぶりをさらけ出すばかりであった。

その間、金銭的な援助をしてきた妻の実家も、ついに愛想をつかし、山頭火は離婚させられてしまう。

その離婚について後日譚を、別れた妻が語っている。

「熊本へ来て4年ばかり経ったとき、山頭火は東京から兄の書いた離婚届を郵便で送ってきました。

見ると印を捺している。

そうすると山頭火も兄と同じ考えだなと思って、私は印を捺して実家の里に返しました。

あとで山頭火が戻ってきたときに聞いてみました。

やっぱり縁を切る気だったんですかと。

なあに兄さんがやかましく捺せというてくるんで、わしは捺したが、お前さえ捺さねば、届にならぬからのんだ、というではありませんか。(『種田山頭火』村上護)

他人と衝突を嫌う無抵抗ぶりも、回避型愛着スタイルの特徴と言えるが、妻子を失うことを、あっさり受け入れてしまう根底には、人との絆というものに対する深い諦めの念があるように思う。

一人になった山頭火は、もはや俗世に彼をつなぎ止めるものもなくなったように、世捨てと旅の人生へと向かっていくのである。

回避型愛着スタイルの恋愛、愛情

回避型愛着スタイルの人にとって愛とは、こだわらずに忘れ去るもの

回避型愛着スタイルの特性が、顕著に表れるのは、恋愛や家族との愛情が試される場面である。

回避型愛着スタイルの人の恋愛には、どろどろしたものを嫌う、淡白なところがあり、相手との絆を何としても守ろうとする意志や力に乏しい。

天涯孤独の身となった川端康成は、叔父の家に引き取られるとともに、祖父と暮らした家は売り払われ、やがて中学校の寄宿舎に入ることになる。

そうした体験は、彼を何事にも執着の薄い、恬淡とした性格にした。

回避性愛着スタイルの川端は言う。「愛の道は忘却という一筋しかあり得ぬ」と。「愛が忘却である」という、この言葉ほど、通常の愛情に恵まれた人にとって奇妙で、逆転したものはないだろう。

愛とは執着であり、何よりも特別な記憶であるはずだからだ。

しかし、回避型愛着スタイルの人にとっては、川端が言うように、愛とは、こだわらずに忘れ去る事なのである。

それは、幼い子どもが別離と対象喪失の苦しみの末、それを感じないですむよう、自分を変えてしまった心の有様なのであろう。

回避型愛着スタイルの人はパートナーの痛みに無頓着

回避型愛着スタイルの人を恋人やパートナーにもつ場合、相手はしばしば戸惑う。

それは、自分が困っているときや苦痛を感じているときにも、平然としているばかりで、真剣に気づかってくれたり、痛みを一緒に感じてくれる様子が、あまりみられないからである。

それまで、穏やかで優しい人だと思っていたので、意外の感にとらわれることも多い。

こちらの勘違いで、何か他のことに気をとられていたのだろうと、好意的に解釈しようとするが、2,3度そうしたことが重なると、その疑念を否定することもできなくなる。

相手にとっては少しショッキングなことであるが、回避型愛着スタイルの人にとって、たとえ愛するパートナーが苦しんでいても、そのことを自分の痛みのように共感することは難しいのである。

心の構造が違っているため、さらに言えば、脳の働き方自体が違っているため、安定型愛着スタイルの人が、パートナーの苦痛を思いやるようにはできないのである。

あくまで他人事として、客観的にしか受け止められない。

共感的な脳の領域の発達が抑えられていると考えられる。

回避型愛着スタイルのある青年は、誰かと別れたとき、悲しいと思ったことは一度もないと話した。

卒業式の時に、みんながどうして泣いているのかが、まったくわからなかったという。

相手にも自分の痛みを分かち合ってほしいと願う人が、回避型愛着スタイルの人と付き合えば、もどかしく、物足りない思いを味わうことになるだろう。

ただ、そうした回避型愛着スタイルの特性も、場合によっては、有利に働くこともある。

感情に判断を狂わされることが少ないので、客観的に物事を見極めたり、対処したりすることができる。

特に、冷静な判断力が求められるような専門職で、こうした特性は向いている。

実際、回避型愛着スタイルの人は、職業的な能力においては、一流の技術の持ち主であるということも多いのだ。

回避型愛着スタイルの人は助けを求められることが怒りを生む

ローズらは交際中のカップルを対象に、次のような実験を行った。

まず、成人愛着面接で、各人の愛着スタイルをあらかじめ検査しておく。

そして、女性の方だけが、少し苦痛を伴う実験の被験者になってもらうことを告げる。

それから5分間、そのことを聞かされたカップルがどういう反応を示すかをビデオで記録する。

その後、予定していた実験は中止になったと告げる。

結果はというと、回避型愛着スタイルの人の方が、男女とも強い怒りをみせた。

回避型の男性は、女性の不安が強く、男性の助けを得ようとすればするほど強い怒りを示した。

一方、回避型愛着スタイルの女性は、不安が強いほど、また、男性の支えが得られない場合や男性の怒りが強いほど強い怒りを示した。

回避型愛着スタイルの男性の場合、パートナーが困って自分の支えを必要としているとき、助けを与えるよりも、むしろ怒りを感じてしまう。

それが結果的に、パートナーの怒りを強めるという悪循環を生みやすい。

男女を問わず、回避型愛着スタイルのパートナーをもつことは、いざというときに助けになってくれないどころか、むしろ怒りの反応に遭遇することになるのを覚悟しなければならない。

回避型愛着スタイルの人にとって、頼られることは面倒事であり、面倒事を持ち込まれることは怒りを生むということなのである。