外化をやめなければ悩みはなくならない

”外化をやめなければ悩みはなくならない”

意識すると消えるというと「そんなバカな」と思う人が多いのではないかと思う。

しかし意識すると言っても、重要なのは正しく意識するということである。

悩んでいるひとがいろいろなことを相談してくる。

しかしその相談してきたこと自体が問題であったということは半分もないかもしれない。

たとえば外化する人は子どもの不登校のことで相談と言う。

しかし外化する人は実は不登校の相談ではない。

外化する人は自分がどう生きていいか分からなくなっている、というのが相談である。

四十歳の母親。十二歳の次女が不登校。

この母親は「この次女は自分の意志が言えない。大人の顔色を窺う」と言う。

二月は、不登校。行っても保健室。

この子は学校でも、親に虐待されているとウソを言っている。ガンになったと嘘を言っている。

なぜ嘘をつくか?

それは皆から関心を持ってもらうためである。

そのための嘘である。

この外化する母親は夫と上手くいかないで、よくお酒を飲む。

この外化する母親は「私がいま困っていること」として娘の不登校を相談しているのだが、話しているうちに何が何だか分からなくなってくる。

外化する人は母親は娘について具体的な説明が一つもない。

つまり娘に関心がない。

外化する母親は「この子」がという具体的な説明がない。

外化する母親は話の焦点がぼやけている。

外化する母親は不登校についての一般的な考え方だけを言う。

外化する母親は娘との会話はない。

この外化する母親は今までの自分の生き方で自分の人生が悪くなってきたのに、自分が不幸なのは娘の不登校が原因と説明している。

外化する母親は自分の心の葛藤が原因なのに、今自分の人生がうまくいかないのは娘の不登校の為と言うように原因を置き換える。

しばらく話した後で、外化する母親は「娘さんが問題ではなく、あなた自身がどう生きていいか分からなくなっているのですね」と言うと、しばらく黙ってから「そうだ」と答える。

この外化する母親が娘の不登校を問題と意識している限り、夫や娘への不満の感情は消えない。

この外化する母親は不満の感情が消えないのは問題を間違って意識しているからである。

つまり自分の心の不安を外化しているからである。

この外化する母親は「娘はどう生きていいか分からないのです」と言う問題で悩んでいる限り、娘への不満は消えない。

正しく意識していないのだから。

しかし「私は今どう生きていいか分からなくなっている」と意識できれば、夫や娘への不満の感情は消える。

本当に不登校が問題のときには親は冷静に対処する。

外化する自分の心の不安が、娘の不登校ということを通してでてきたときには、大騒ぎをするだけで解決するのに必要なことはしない。

ある五十六歳の外化する女性が「娘のことで相談があります」と言う。

娘は二十九歳、その娘に女の子が生まれた。以前夫が遠くに転勤になった。

その遠い転勤先から、娘は「もう死にたい」と電話で実家の母親に言ってきていた。

その娘は今、お産で実家に帰ってきている。

転勤先では、夫の帰りが遅い、そこで娘はイライラしているという。

娘は情緒不安定で実家に戻っているが、私たち夫婦と上手くいかないという。

娘についていろいろと以下のようなことを言う。

娘は実家と自分の家の間を行ったり来たりしている。

娘は「小さい頃、言えないことがあった」と言う。

娘は小さい頃から私達親の夫婦喧嘩を見て「親が離婚したらどうしようか?」と不安になっていたという。

私達親の顔色を見て自分は育った、と娘は言う。

この外化する女性は、結婚した娘をどうしていいか分からなくなったと言う。

「娘は、トコトン母親である私に向かってくる」と言う。

この外化する女性は自分がどう生きたらいいか分からなくなった。

それが「娘はどう生きていいかわからなくなった。どう指導したらいいでしょう」という形で相談する。外化である。

結婚した娘が実家に帰ってくると、私は疲れちゃって」という相談ならいい。

この外化する女性は自分が母親であるのに、実は娘に無関心である。

この外化する女性は娘の心配事の話をしているのに、娘に無関心である。

この外化する女性と夫は上手くいっていない。

この外化する女性は自分の娘を批判するが、娘は母親としてはきちんと子供の世話をしている。

実はこの外化する女性自身が自分の夫にも自分の娘にも忍耐の限界になっている。

この外化する女性は夫が好きではない。

愛してはいない。

要するにこの外化する女性は、夫が嫌いで、子どもが嫌い。

自分が夫とはうまくいっていない。

そこに嫁いだ娘が帰ってきた。

それで「娘をどうしたらよいか」と相談する。

しかし実は「主人が嫌いで、娘が嫌いな私はどうしたらよいか」という悩みである。

その悩みを外化して、つまり娘を通して感じているに過ぎない。

だからこの外化する女性は解決する為ではなく、ただ騒いでいるだけなのである。

この外化する女性は「娘をどうしたらよいか?」という指導者のような悩みを言っている限り、死ぬまで悩みはなくならない。

「わたしはどうして主人が嫌いで、娘も嫌いになってしまったのでしょう?これから私はどういきたらよいでしょう?」と悩みを意識できれば、この悩みは解決に向かう。

そこでご主人と娘に対するマイナスの感情は消えないまでも変わってくる。

「私は」を「娘を」に外化するから訳が分からなくなる。

外化を止めて「正しく意識する」ことは、成長すること

たとえば娘夫婦について悩んでいる外化する母親がいる。

外化する母親は「私は娘が心配で、心配で」と言う。

娘は夫と上手くいっていないようだという。

そうして外化する母親はその娘夫婦に「こうしてあげた、ああしてあげた」と延々と言う。

それなのに娘は「かくかくしかじか何も言ってこない」と文句を言う。

外化する母親は娘は常識がないという。

外化する母親はこれでは先が思いやられるという。

よくよく具体的に聞いていくと、娘夫婦はそれほど悪い関係ではない。

そうではなく、その外化する母親は自分が淋しいから、うまくいっていないことを口実に娘夫婦に関わりたいのである。

「娘夫婦が揉めて自分を必要としてもらいたい」という願望を外化して、「娘夫婦は上手くいっていないと解釈する。そして「私は娘夫婦を心配している」と思ってしまう。

外化する母親は自分が淋しいのに「娘夫婦が心配で」と言う。

もし「私が淋しい」と意識できれば、娘夫婦に対する怒りの感情は消える。

「私は必要とされたい」といしきできれば、娘夫婦に対する怒りの感情は消える。

「私は淋しい」と意識しないで、「私は娘夫婦が心配だ」と主張するから、娘夫婦に対する怒りの感情が消えない。

正しく意識できれば、怒りの感情は消える。

悩みを相談する外化する人は多くの場合「娘夫婦のことで相談があるのですが」という言い方をしてくる。

外化する人はだから解決は難しい。

しかし「本当は私は淋しいのですが」とそうだんしてくれば、解決はつく。

相談する人の中で、話し合っているうちに「私は淋しい」ということを認める人の場合は、解決がつく。

しかしそれを認めないで、「娘夫婦を心配するのは親として当たり前ではないですか」と怒りをあらわにする外化する人もいる。

そういう人の場合は解決がつかない。

娘に対する怒りの感情は消えない。

「意識する」ということはそういうことである。

自分がいま悩んでいる件は、実ははそのこと自体が問題ではなく自分の心の中にあることの外化であると認めれば、道は拓ける。

外化する人が「正しく意識する」ということは、実はその人がそこで飛躍的に成長したということである。

蟹やエビが脱皮して成長するように、その人はそこで脱皮したのである。

それまでその人の成長を妨げていたのは、その人の外側を覆っている堅い防衛的価値観であった。

今の件は、娘夫婦には別に問題がないのに、問題があって欲しいという願望から「娘夫婦が上手くいっていない」と思い込んでしまう例である。

次は同じように、自分の願望を「娘と孫との親子関係」に外化する例である。

娘と孫が問題のない親子関係なのに、「上手くいっていない」と思いたいから「上手くいっていない」と思い込んでしまう。

もちろんそれはお婆ちゃんの淋しさからである。

六十五歳の外化する女性。

長女が三十六歳。

長女の子が夜中に泣いてお婆ちゃんのところに電話をかけてきたと言う。

孫は小学四年生。

「母親は勉強のことに凄く厳しい」と孫が言う、と外化するお婆ちゃんは言う。

勉強中に居眠りをすれば叩かれると孫は言う、と主張する。

娘は孫に「いつも、きちんとしなさい」と言う。

娘は教師をしているが自分がきちんとしている。几帳面である。

娘は子供の成績を上げることしか考えてないと外化するお婆ちゃんは言う。

基準は高いという。

「私の娘の育て方が悪かったのか?」と外化するお婆ちゃんは言う。

外化するお婆ちゃんはこの娘は地方の大学に行っている時に男と同棲していたと娘の悪口を言う。

「娘を心配している」と言いながら、娘に批判的。

この外化するお婆ちゃんは孫とも電話をしながら、その孫を不安にしている。

淋しさから外化するお婆ちゃんが娘に絡んでいる。

実は娘は孫が安らげる関係をつくっている。孫がお婆ちゃんに電話をする。

それを娘は許している。

そんなよい関係である。

それなのに「孫に冷たくする娘、私にも冷たくする娘」と外化するお婆ちゃんは言う。

その娘に対する怒り。

それで相談したと言う。

自分の問題を他人のこととして相談してくる外化する人は多い。

この外化するお婆ちゃんの本心は「娘が自分をもっとかまって欲しい」ということである。

「娘と孫との親子関係」が悪ければ、自分の出番がある。

この外化するお婆ちゃんが「私は淋しいです」と相談で言えれば道は拓ける。

こういう場合には、自分の願望を外化していないから。

「娘が孫に冷たいので、孫が心配です」と自分の今の悩みを正当化するから、解決の道が見えない。

「娘と孫との親子関係」はうまくいっているのに、自分の願望を外化して「上手くいっていない」と見なしてしまう。

上手くいっている関係をうまくいかなくしてしまう。

対人恐怖症、社交不安障害を克服するには自分がいま悩んでいる件は、実ははそのこと自体が問題ではなく自分の心の中にあることの外化であると認めれば、道は拓ける。

※参考文献:イライラのおさめ方 加藤諦三著

 

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