医学モデルの罪-「患者役」を押し付けられる愛着障害の子どもたち

医学モデルが現実のニーズとミスマッチを起こす状況は、精神医療に限らず、がん治療や老人医療にも見られる。

そこでしばしば問題になるのは、病気を治すことばかりを見すぎて、その人の人生を置き去りにしてしまうということである。

命を長らえさせても、人間としての尊厳を踏みにじってしまうということも起きる。

安らかにこの世に別れを告げようとしているとき、馬乗りになって心臓マッサージを施すようなことは、やめてほしいと思う人もいるだろう。

ましてや、止まりかけた心臓に長い針を突き刺して、アドレナリンを注入されてまで、もう何時間か長生きしたいと思う人は、どれだけいるだろう。

この場合のミスマッチは、医学モデルと現実のニーズとのミスマッチ、求めているものや価値観のミスマッチだといえる。

それに対して、不安定な愛着から生じている問題を、患者の病気が引き起こしている症状だととらえる見方は、天動説のようなものであり、鏡に映っているものを本人だと思い込むような虚妄に陥った状態である。

それは、ミスマッチというよりも、ミスアンダスタンディングであり、誤謬である。

ニーズのミスマッチ以上に深刻かつ本質的なズレだといえる。

そして、誤謬に陥った医学モデルによって、不当にも、しばしば患者や障害者の役割を押し付けられているのが、子どもたちである。

彼らは、親との愛着障害の影響をもろに受けているが、親にすがらなければ生きていけない身であるがゆえに、どんな親であろうとたてつくこともできず、親を悪く思うことさえも難しい。

三十代、四十代の壮年期の大人でも、五十代、六十代以上の中高年の人でさえも、愛着障害は、その人の対人関係の在り方や心の安定度を大きく左右する。

ましてや、まだ親の世話に依存している状態の子どもとなると、愛着の安定性は、その子の内面や行動の安定に、てきめんな影響を及ぼすこととなる。

しかし現実には、愛着障害から起きた問題が、子ども自身の「病気」や「障害」として診断されることも少なくない。

症状から診断すると、そうなってしまうのである。

だがそれは、医学と言う名のもとになされる人道上の「罪」ではないだろうか。

そうしたことになってしまうのも、医学モデルが、根本的に何か大切なことを見落とした欠陥モデルだったからではないのか。そういう思いにさえとらわれるのである。

愛着障害の抜毛癖の小学生―ケース3

愛着障害の小学五年生の男の子が、髪の毛を抜いてしまうということで、お母さんに連れられて相談にやってきた。

愛着障害の男の子はそれが癖になっているようで、暇さえあれば髪の毛をむしっている。

愛着障害の男の子は最近では明らかに髪の毛が薄くなってしまい、部分的に禿になっているところもある。

愛着障害の男の子に、気づくたびに注意するのだが、効果はそのときだけで、気付くとまた抜いている。

愛着障害の男の子は最近は、それだけではなく、こっそり親のお金を持ち出したり、嘘をついたりする。

愛着障害の男の子はもともと落ち着きがなく、考えもなくパッと行動してしまうところがあり、忘れ物が多かったり、先生が言ったことを聞き落として困ることが多かったのだが、近頃では母親が注意をしても、素直に耳を貸すどころか反抗的になるときもあり、手におえなくなっている。

また、愛着障害の男の子は家庭だけでなく、学校でも、級友とトラブルになることが増えている。

愛着障害の男の子の生活は投げやりで、言わないと宿題もやらない。

愛着障害の男の子は注意をされればしぶしぶやるが、やりたくないという態度が露骨である。

愛着障害の男の子には習い事にも行かせているが、イヤイヤなので、成績も落ちてきている。

父親も母親も、愛着障害の本人のそんなやる気のない態度を見ると、イライラしてしまう。

この愛着障害の男の子の場合、症状から診断すると、次のような病名がつくことになるかもしれない。

一つは、髪の毛を強迫的に抜いてしまう症状で、「抜毛癖」というものだ。

また、嘘をついたり、親の金品を持ち出したりする行為は、非行の始まりによく見られるもので、繰り返されているとすると「素行障害」という診断に該当するかもしれないし、虚言がエスカレートする場合には、「虚言癖」という診断名がつくかもしれない。

それとともに、もともとあった落ち着きのない、衝動的で不注意なところから、軽度ながら「ADHD(注意欠如・多動症)」を抱えている可能性もあるといえるかもしれない。

さらに、素直さがなくなり、親や教師に対して反抗的な態度が目立ち、誰とでも衝突やトラブルを起こしやすくなっていることに注目すると、「反抗挑戦性障害」と呼ばれる問題が始まりかけているとも考えられる。

結局、この子の場合、症状だけで診断すると、抜毛癖に始まって、ADHD、反抗挑戦性障害、虚言癖、素行障害と、一連の診断名が並ぶことになる。

どれも、それぞれの症状を表わす診断名なので、まったく間違いというわけではない。

しかし、診断名を羅列したところで、問題だらけだという混乱や絶望感をかきたてこそすれ、結局のところ何が起きているのか、この状態に対して、どうすればいいのかということについて、何も教えてくれない。

情愛的結びつきが希薄で、干渉と支配の中で育つ

しかし、愛着モデルで、今この男の子に起きている事態を見直してみると、状況がずっとわかりやすくなる。

この愛着障害の男の子は、両親が専門的な仕事をしていたため、小さいころから保育園に預けられて育った。

とはいえ、「ただ保育園に預けっぱなしにしていた」というより、両親ともとても教育熱心で、息子にかける期待は人一倍大きかったので、愛着障害の男の子には小さいころから習い事をたくさんさせてきた。

愛着障害の男の子を保育園に迎えに行くと、その足で習い事に直行するという生活が、一週間のうちの多くを占めたのである。

愛情がないわけではないが、世話やかかわりは人任せになる一方で、習い事をさせたり、指導や注意をしたりすることには熱心だったのである。

愛着障害の男の子への干渉ばかりが多く、時には厳しく叱ることもあった。

その結果、この愛着障害の男の子にとって、親は心からの安心や親しみを覚える対象というよりも、口を開くと命令するか、否定するかの、うるさくて面倒くさい存在になっていた。

愛着障害の男の子と両親との自然な情愛的な結びつきは弱く、親に甘えたり、困っていることを相談したりすることもない。

愛着という点から見ると、共感的な結びつきが希薄であるだけでなく、いつも強制され、支配され、無理やり服従させられていた。

素直でない態度や反抗的な態度というのも、愛着障害の問題と直結していることが多い。

本当は甘えたいのだが、素直に甘えられず、相手をわざと怒らせるような行動をとってしまう。

また、嘘をつくといった行動も、愛着障害に伴いやすい典型的な問題である。

本当のことを言うと怒られるかもしれないので、ついごまかす反応が身についてしまっているのだ。

怒られてばかりいる子、典型的には虐待を受けている愛着障害の子に見られる反応だ。

もちろん、このケースでもそうだが、親は虐待を加えているとは思っていない。

ただ、子どものために指導しているだけだと思っている。

しかし、子供の側からすると、安全感や主体性を脅かされるという点で、虐げられているのと結果的には変わらないということになっている。

子どもが嘘をつく理由

嘘をつくという反応は、「統制型」と呼ばれるタイプの愛着障害に伴いやすいものである。

統制型とは、親からの予測できない攻撃や、理不尽な態度に対処するため、愛着障害の子どもがいつのまにか身に付けるかかわり方で、親を逆にコントロールすることによって、何とか身を守ろうとしている。

たとえば、嘘をつくことで、とりあえず親から叱られるのを逃れようとする。

長い目で見れば、嘘がバレて、もっと叱られることになるのだが、目先の怖さから逃れて、当座の安全を確保するために、あまり賢明とはいえない対応策に頼ってしまうのだ。

統制型の愛着障害を示す子どもは、親から虐待的な扱いを受けているか、親がとても不安定で、何が起きるか予想がつかないような境遇に置かれている。

その不安定な境遇の中で、少しでも身を守ろうとして、予想のつかない現実をコントロールしようとするのだ。

統制型という愛着障害のタイプを示す子どもは、もっと幼いころには「無秩序型(混乱型)」と呼ばれる愛着障害のタイプを示していたことが多い。

このタイプは、最も不安定な愛着障害の子どもが示すもので、虐待を受けている子どもに典型的なものである。

予想がつかない境遇のもと、ただ目の前の状況に振り回されるだけで、安心感も信頼感ももてずにいる。

今は笑っていても、一寸先は闇で、親から何か言いがかりをつけられて叱られるか、闇雲に殴られるかもわからない。

そうした境遇に置かれると、大人であっても、自分の運命を支配している人の顔色ばかりうかがい、その場だけを何とか生き延びることに汲々となる。

今のことで精いっぱいで、先のことまで心配していられないのだ。

ましてや、自分では何の力も、知恵も持たない無力な愛着障害の子どもである。

その瞬間だけを考えて、必死で生き延びることしかできない。

今の幸せが、一瞬先にはどうなっているかわからないから、先のことなど考えていては、余計に不幸になってしまう。

多動や衝動性の裏に、愛着障害の問題あり

無秩序型(混乱型)の子では、多動や衝動性といったADHDに似た問題を示しやすいことが知られている。

またもともとADHDの傾向を持っている場合には、虐待を受けると、問題行動が増えるなど症状がエスカレートすることもよく知られている。

この愛着障害の男の子に見られるさまざまな行動上の問題は、本人のもって生まれた素質も関係しているかもしれないが、愛着障害という問題によってさらに悪化してしまった可能性が高いのだ。

実際、ずらりと列挙されたこの男の子の問題は、すべて愛着障害を抱えることで生じやすいものばかりである。

この愛着障害の男の子の場合、幼い頃から心優しい世話や愛情が不足しがちだった上に、たえず親からから干渉され、無理強いや否定的な評価ばかりを受けてきたことで、愛着障害を抱えて育ったと考えられる。

もちろん、すべてが愛着障害によって起きているなどと言うつもりはない。

それ以外にも、さまざまな要因が絡んでいることは当然あり得る。

ただ、問題を改善していこうとする場合、いちばん本質的な問題がどこにあるのかを掴むことが、一番有効な改善策にもつながる。

その意味で、最も肝心な問題が「愛着障害の問題」に由来すると理解することは、症状を列記したに等しい診断名を並べるよりも、問題解決にはるかに近づくことになる。

愛着モデルの見立てが優れている点は、それが問題の改善に必要な手立てを同時に教えてくれ、そして実際の改善に有効であるということだ。

単なる理論に過ぎず、実際には役に立たないというのとは大違いである。

それどころか、最も改善が困難なケースにも、有効な方法となり得るのである。

とくに、親がかかわることのできる子どもや若者のケースでは、とても有効なアプローチとなる。

このケースの場合も、愛着障害の男の子の症状や問題行動を改善させるのではなく、親との愛着を安定したものにすることを目指した。

すると抜毛という行動の問題だけでなく、学校での適応や学習意欲にも顕著な改善が見られ、一年後にはすっかり落ち着いたのである。

虚言癖ではなく、「叱り過ぎ病」「愛情不足病」愛着障害

このケースでもはっきり認めることができるのが、医学モデルの捉え方の根本的な前提―病気であり障害をもっているのは、患者として症状を現わしている人だという前提―である。

よく嘘をつく子どもがいて、児童精神科の外来に連れていかれてとしよう。

診察の結果、「虚言癖」という診断がなされ、治療に通うことになった。

これは言い換えると、子どもが治療の必要な「虚言癖」という病気にかかっていると医師が診断したということだ。

そのことを聞いた親や第三者は、「やはりこの子は病気だったんだ」「虚言癖という病気があるからあんなに嘘ばかりつくのだ」と理解するかもしれない。

しかし、誤解してはならないのは、「虚言癖」は原因ではなく、結果だということだ。

虚言癖という実態を持った病気があるわけではなく、単なる症状に病名を付けたに過ぎない。

むしろ原因に関係しているのは、「虚言癖のある愛着障害の子どもは、親から叱られすぎたり、愛情不足を感じていたりすることが多い」という事実だ。

愛着障害を抱えた本人の問題というより、親の対応に問題があることが大部分なのである。

このことは、愛着障害の本人を治療する以上に、親にかかわり方を指導した方が、改善が得られやすいことからもわかる。

症状を引き起こす原因を示すものが、本来の診断名だとすると、「叱り過ぎ病」とか「愛情不足病」といった診断名の方が、よほど実態に即している。

親の「叱り過ぎ病」の症状として、叱られるのをその場だけでも逃れようとした愛着障害の子どもが、嘘をついてしまうことになっているのだから。

虚言癖という症状だけを表わす診断をすることは、本当の原因をかえってわかりにくくし、症状が出ている愛着障害の当人だけに問題を押し付けてしまいかねないことになる。

※参考文献:愛着障害の克服 「愛着アプローチ」で、人は変われる 岡田尊司著