自分の言い分にとらわれる人も、ダメ

求めている時に、求めていることを返すという応答は、安全基地の大原則である。

求めれば、すぐそれに応えてもらえるとき、本人はわかってもらえていると感じ、相手への親しみや安心感、信頼を覚える。

そういうことを積み重ねる中で、安定した愛着が育まれると、たまに期待とは違う反応が返ってきても、むしろ、どうしたのかな?と相手のことを気づかったり、自分の方に何かまずいことがあったのかなと、自らを振り返るようになる。

ところが、逆に、求めてもいないときに求めてもいないことを一方的にされ、それが積み重なっていくと、嫌悪感や反発になっていく。

そんな人と一緒にいても、落ち着かないし、くつろげない。

ましてや、心を開こうという気にはなれない。

安全基地となれない人は、自分でも知らないうちに、自分の言い分ばかりを口にしてしまう。

相手の気持ちに注意を払っていないので、相手が辟易して嫌がっているということにも気づかない。

気づいていても、自分の言い分にこだわってしまい、相手を説得しようと言い続けてしまう。

ある母親が、息子の朝食にお味噌汁を作って出した。

すると息子は、「味が薄いな」と不満げに顔をしかめた。

それを見て母親は、少し気分を害し、「あなたの体のことを考えて、塩分を控えめにしているのに、どうしてそんな言い方をしないといけないの」と、つい息子に食ってかかってしまった。

息子は箸を投げ出すなり、席を蹴って、部屋にこもってしまった。

ひきこもりがちだった息子が、ようやく食卓で一緒に食事をしてくれるようになっていたのだが、また振り出しに戻ってしまったと、母親は嘆いた。

それでも母親は「いったい息子の体を思ってやったことの何がわるいんでしょうか。私は当然のことを言ったまでだと思うんですが」と、息子の反応がまるで理解できないようだった。

人の気持ちに対する感受性というものは、それぞれ違っている。

この母親にとっては当たり前の受け止め方で、当たり前のことを言ったに過ぎないのだが、それがなぜ息子を立腹させてしまったのか。

それは、息子が求めていることとは違うことを、ムキになってしてしまったからだ。

息子が「味が薄いな」と言ったことに対して、母親は必死に自分の立場や薄味にした理由を説明して、息子を説得しようとした。

だが息子にしてみれば「味が薄い」と言ったことさえも、直ちに説得されて、考えを変えるように迫られたとしたら、何も言えないではないか。

たとえば「あ~疲れた」と言ったら、「疲れるほどのことは何もしていないし、そんなことは言うべきではない」と説得されるようなもので、本音も何も出せなくなってしまう。

安全基地が「安全」なのは、自分の本音を出しても、それを受け入れてもらえるからだ。

不満一つ言わせてもらえず、それに対して教育的指導が入り、説得や批判をされるとなると、そこは思想改造のための収容所になってしまう。

この母親は、自分の思いや言い分を本人の気持ちよりも優先し、いつのまにか押し付けているということに、まったく気づいていなかったのである。

本人の気持ちに感受性を働かせるどころか、自分の言い分しか見えていなかったのである。

その結果、息子にとっての安全基地とはならず、息子は居場所を失って、自室にこもるしかなかったのだ。

※参考文献:愛着障害の克服 「愛着アプローチ」で、人は変われる 岡田尊司著