安全基地を教えるには、自身が安全基地でなければならない

これまで見てきたように、子どもや配偶者に見られるさまざまな問題点―心身の症状や問題行動、社会適応の困難といったものを改善したいと思った時、最も大切で、かつ有効なことは、安全基地としての機能をさらに高めるということだ。

その人自身が自覚して、そのことに取り組むことができれば、それがいちばんである。

ただ、自分には自分というものが見えないものである。

また、自分はあたりまえだと思っていることが、相手にとってはとても苦痛になっていたり、安全感を損なう要因になっていたりもする。

指摘されても、そのことがどうしてよくないのか、なかなかわからないということも多い。

気を付けていても、つい、身についてしまった反応をしてしまって、安全基地になり損ねてしまうこともしばしばだ。

そこで必要になるのが、第三者の助けである。

うまく安全基地になれるように、導く必要があるのだ。

だが、ここにも落とし穴がある。

安全基地になれるように指導するということ自体が、上から目線の非難や指図になってしまうと、安全基地になる訓練にはならないのだ。

なぜなら、安全基地になる術というのは、頭で理解しても見につかないことだからである。
体と心で、体験として身に付ける必要があるのだ。

ああしたらダメ、こうしなさいというような禁止と命令の指導ばかりでは、安全基地にとっていちばん大切な、応答性や共感性を育てていくことができない。

そもそもそうした指導をする人自体が、安全基地となっていないのである。

安全基地となることを教えるためには、教える人自身が教えられる人にとっての安全基地となり、安全基地とはどういうものかを体感させる必要がある。

それによって、教えられる人も安全基地として振る舞えるようになるというのが、一番の近道なのである。

自分がされたことも味わったこともないことを、人に対してできるはずがない。

教えたいと思うなら、安全基地とはどういうものか、相手に味わってもらうしかないのである。

※参考文献:愛着障害の克服 「愛着アプローチ」で、人は変われる 岡田尊司著