家族のなかでの傷つき体験

心が深く傷ついて後々までも傷跡が残ってしまう状態が、トラウマと呼ばれるものです。

家族のなかでトラウマとなる心の傷を、少なくない人が体験しています。

そして、それが、その人の傷つきやすさと結びついていることがあります。

そこで、家族のなかでの心の傷を考えてみることにします。

家庭における心の傷でひどいものは、虐待されることです。

日本でも虐待の増加に対応するために、2000年に児童虐待防止法が施行されました。

この法律では、虐待を次の四種に分けています。

1.暴行を加えること
2.わいせつな行為をしたり、させること
3.食事を与えないなど監護を著しく怠ること
4.著しい心理的外傷を与える言動を行うこと

こうした虐待の疑いがある子どもを発見した場合には、児童相談所や社会福祉事務所などに連絡する義務があります。

しかし、身体的外傷など明確な証拠がある場合を除いて、人権の問題も絡み、連絡やその後の対処に困難が伴います。

さらに、実際には、4の心理的外傷を与える言動がはるかに多いのが実態です。

これは、他の項目のように、明確なものではありません。

また、どの程度であれば虐待と判定すべきかも、明らかではありません。

じっさい、次のような親の言動で傷ついた体験を持つ人は限りなくいます。

・ことあるごとに、「男(女)の子なら良かったのに」と言われた。

・できの良い兄弟姉妹といつも比較された。

・弟や妹(兄や姉)ばかりえこひいきした。

・病気がちであった自分について、親はいつもこぼしていた。

・風邪をひいて夜咳をすると、「(眠れないから)咳をするな」と叱られた。

・母親はいつも猫を抱っこしていたが、自分が抱っこされた記憶はない。

・自分が病気のときに親が泣くのを見たことはない。それなのに、犬が病気で苦しがるのを見て泣いていた。

・運動が苦手で運動会でビリだった。悲しい気持ちで家に帰ったら、親から「恥ずかしかった」と言われた。

・母親からいつも父親の悪口を聞かされた。

・祖父母が同居していて、母親の悪口を聞かされて育った。

・祖父母、父母、同居しているこれらの大人に、いつも平等に愛を分配するよう気をつけていなければならなかった。

子どもを傷つけるような親の言動は、親が意識しないでやっています。

あるいは、親の愛の行為のなかに埋め込まれています。

また、「子どものために良かれ」と思ってしていることもあります。

「あなたのためを思っているからこそ、することなのよ」と。

子どもは親の愛を全面的に信じようとする存在です。

そうでなければ、無力なままにこの世界に放り出された恐ろしさに襲われるからです。

このために、上記のような行為は、どうしてもうまくはめ込めないパズルの一片のように、断片的な記憶として残ることになります。

また、子どもは、全面的な愛を信じて親の言動を受け止めるので、自分でも今のこだわりが何に原因するのかが分からないことが多いのです。

米国で精神的問題を持つ人の治療に当たってきたG.L.ジャンツは、虐待された人々に次のような情緒面の特徴が見られると述べています(白根伊登恵訳『あなたは変われる 言葉や態度に傷つけられた心を救う本』毎日新聞社 2002年)。

・自尊心が低い。または自己価値感が希薄

・自信がない

・欲求をすり替える

・完璧主義である

・人間関係がうまくいかない

・落伍者症候群を示す(落伍者になるような行動を無意識にしてしまう)

・悪いことはすべて自分のせいだと思う

・危機志向(危機にある人の世話をすることで自己価値感を得ようとする)

・怒りや恨みをためている

このことから、次のようなことは、親とのなんらかの関係が少なからずトラウマになっていることを示すものであることが理解されます。

・親の前では素直な自分を出せない

・親の顔色をうかがってしまう

・親といると、一生懸命親を喜ばせようとしてしまう

・子どもは作りたくない、と思う

・社会に出るのが不安だ

・誰にでも好かれようとしてしまう

・理不尽だと思っても、自己主張するのでなく、いつも我慢してしまう

・何をやっても不全感がつきまとう

・いろんなことに罪悪感を感じてしまう

こうした人は、しっかりした自己価値感が持てないことで共通しています。

なぜなら、支配するためには、相手の自己価値感を削いでおくことが有効だからです。

子どもがしっかりした自己価値感が持てなければ、じしんが持てず、不安で、必然的に親に依存し、親の言いなりになるからです。

子どもに自立する力をつけて社会に送り出してやるのが親の務めです。

それなのに、自己価値感を持てない親は、自分の自己無価値感を補うために子どもを利用しまう。

その結果、子どもをもまた、自己無価値感に悩む人に仕上げてしまうのです。

いろいろな人間関係のなかで母親との付き合い方が一番むずかしい、と言う人さえいます。

家庭で受ける外傷体験がどの程度トラウマとなるかは、発達段階によって異なります。

フロイトは、人間の最初の傷つきは出産時の体験である、と考えました。

これにより、人間は不安という感覚の源を獲得する、というのです。

有名な出産外傷説です。

しかし、その後、出産外傷を象徴的な意味で使用し、母親との分離という体験こそ、その主要な内容であると考えるようになりました。

そして、精神分析学派の多くの人々は、この考え方を受け継ぎました。

ところが、誕生前後の赤ん坊の心理を研究する周産期心理学の近年の発展は、出産外傷説の見直しの可能性を提供しているように思われます。

というのは、胎児の脳はかなり発達しており、子宮のなかでさえ学習していることが分かってきたからです。

たとえば、赤ん坊は、誕生したときに、ほかの女性の声と母親の声を聞き分けることができるということが分かっています。

また、生後四日の赤ん坊を実験したところ、母語と非母語とを聞き分けることができていました。

当然、誕生時にはすでに学習能力があることも分かってきました。

たとえば、ベルの音がしたら左側に、ブザーの音がしたら右側に顔を向けると砂糖水がもらえるようにすると、新生児はたちまちのうちにこれを覚えてしまうという実験結果も報告されています(D.チェンバレン著 片山陽子訳『誕生を記憶する子どもたち』春秋社、1991年)。

母親の子宮のなかで、胎児は至福の状態におかれています。

気温の変化は母親の体温の範囲内にとどまります。

羊水に浮いた状態であり、自分の身体の重みを感じることはありません。

誕生とは、この至福の環境を出て、狭い産道をやっとのことで潜り抜け、過激な刺激のある環境にさらされることです。

この激変によるストレスに、赤ん坊は泣き叫びます。

これがなんらかの心理的外傷になるというのは、可能性としてまったく否定しきることはできないように思われるのです。

さて、内容にもよりますが、一般に幼い時期の外傷体験ほどその影響が強く、後々まで残ると考えられています。

これを裏付けるものに、インプリンティング(刻印付け)という現象があります。

ある種の鳥類は、誕生後間もなく出合った動く物についていくようになるという現象です。

そして、成鳥になると、その対象に対して性行動をするというのです。

また、子犬や小猿をごく幼い時期に親や群れから離して育てると、種々の異常が生じることが明らかになっています。

他の犬や猿に興味を持たなかったり、異常な性行動をしたり、メスではたとえ子どもが生まれても世話をしないなどです。

人間においても、思春期以降の心理的行動的問題が多発するなかで、乳幼児期から児童期の親子関係の質が議論になり、こうした人は育ってくる過程で、なんらかの親子関係の歪みがあったのだと指摘されるようになりました。

すなわち、親への過剰適応によって手のかからない「よい子」なのですが、内面には敵意を蓄積している子であり、それが思春期になり爆発して、家庭内暴力や暴力的非行などが生じるというのです。

なかには、恋愛したり、結婚したりして、初めて親子関係でのトラウマの影響が現れる事例もあります。

たとえば、強い母親の拘束の下で育てられた男性は、相手の女性を母親代わりにして、自分は子ども返りをして依存性を強めるなどの例があります。

あるいは、親の過干渉を閉じこもることでやり過ごしてきた人は、結婚しても一人でいたいという欲求が強く、感情の交流がもてないなどの例もあります。

また、親が離婚したことで見捨てられた感覚を強く持ってしまった人は、相手に見捨てられる恐れを強く感じてしまい、恋愛にひたりきれなかったり、結婚しても、ちょっとした夫婦喧嘩に離婚の危機を感じてしまうことがあります。

さらには、恋愛や夫婦生活においては問題が表面化せず、子どもが誕生することで生じることもあります。

子どもの誕生とは、親子関係が始まることなので、かつての家庭での傷が親子関係の中で再現してしまうのです。

たとえば、赤ん坊の無遠慮な泣き声を止めるために抱っこしているのに、放っておかれた幼い子ども時代の自分を重ね合わせてしまい、赤ん坊に憎しみを感じてしまうなどです。

幼児語や子どもの甲高い声でいらいらするという人もいます。

こうしたことのために、親と子の悲劇的な関係は二世代の関係にとどまらず、その子どもが親になったとき、同じ悲劇を子どもに繰り返すという、世代間反復強迫が生じると主張する研究者もいます。

親に虐待されて育った人は、その子どもを虐待する親になるというのです。

こうした指摘については、否定する調査結果もあり、そう単純には結論できません。

しかし、そうした事例が少なからず存在することも事実です。

物事の意味を理解できない幼い時期の傷つき体験は、本人の意識には明確には残りません。

しかし、家族のなかでのこうした小さな出来事の積み重ねが、子どもの自己価値感を根源的に脅かすものなのです。

家族の秘密と心の傷

子どもは親を美化します。

どんなひどい親でも、他の人から自分の親の悪口を言われると、子どもは親をかばいます。

それは、子ども自身の自己価値感を守るためです。

そんなひどい親のもとにいる自分では、あまりにじぶんがかわいそうだと感じるからです。

子どもは親を美化するために、親を生身の人間として見る能力が制限されてしまいます。

たとえば、自分の父親と母親の性生活を考えることができるでしょうか。

父親はどのような性の行為を好んだでしょうか?

母親はどのような性を欲求したでしょうか?

父親は母親との性生活に満足していたでしょうか?

母親は本当に性に満足していたでしょうか?

しかし、親もこうした「性」を持つ存在だったのです。

それなのに、大人になってさえ、こうしたことを考えようとすると、罪意識を伴った妙に居心地の悪い感覚にとらわれてしまいます。

親の隠されたこうした心の秘密が、子どもを傷つけている場合があります。

たとえば、親の巧みに正当化された言動が、子どもを傷つけていることがあります。

自分では合理的な理由があり、子どものためにと思ってしていることが、実際には隠された悪意である、ということが皆無でしょうか。

本当に良心的な親なら、冷静にありのままに自分の心のなかを振り返ってみたとき、確かにいささかの悪意の動機に気づくことがあるはずです。

幼い時から親が自立的であることを求めたので、Nさんは、なんでも自分一人でやる意識が身についた、と言います。

ところが、そのためか、人になにか頼むのはとても苦痛です。

また、なにかやったあとで、「ああすればよかった」「あれがだめだった」と必ず後悔の念が強くなり、不全感にとらわれてしまいます。

Nさんは、小さいときから親の要求に応えるのに必死だったと言います。

手伝ってくれてもいいのにと思いながら、自分でやりました。

それでも、親がみていなければ救われました。

親は笑って見ていて、手を貸さないのです。

親の前で必死にもがく自分が惨めで、屈辱感と無力感を感じさせられた、と言います。

幼い子どもが完璧にできるはずはありません。

Nさんがなにかやり終えると、母親は必ず点検をして、その不十分な点を誇らしげに指摘しました。

「ほら、ここがだめでしょ。こうするのよ」と。

これは、親の立派な教育理論による行動ではありません。

密かに子どもに無力さを実感させ、親である自分を優位な位置におくことで、快感を得ようとする行為です。

親自身の自己無価値感を補うための行為です。

家族のなかの秘密のルールが、子どもの外傷体験になることが少なくありません。

家族心理学はこのことを明らかにしてきました。

すなわち、家族全体が力動的な関係にあり、その歪みが子どもの問題行動として現れるというのです。

夫とうまくいかない母親の激情のはけ口という役目を引き受ける子どもの非行、あるいは、夫婦間の葛藤を一時保留し、両親を自分への対応に専心させるために病弱であり続ける子ども等々です。

こうした明確な問題行動にとどまりません。

もっと微妙な無数の影響があります。

たとえば、実際には家族の誰もが知っているけれども、そのことを知らないかのように振舞わなければならない家庭の場合を考えてみて下さい。

こうした家庭で育つと、すなおに言葉に表すことを躊躇する態度が形成されたり、人が話すことと事実とは別ものであるという意識が強くなったり、真実を知ることはできないという不可知主義的態度になったりすることがあります。

秘密は出来事ばかりではありません。

抱いた感情もまた、秘密としなければならない家庭があります。

たとえば、内面では不安や疑惑があるのに、表面では屈託なく明るい自分を演じなければならないなどです。

この場合、自分の素直な感覚や感情は無価値だという信念がつくられ、感覚や感情が貧困化していくことになります。

※参考文献:傷つくのがこわい 根本橘夫著