幼いころから「良い子」を演じている人は、何よりもこの幼児的願望が満たされていない。

これが満たされないままで社会的に大人になると、この幼児的願望は心の中に残る。

大人になって幼児的願望が抑圧されていると、表面は大人の顔をしなければならないから憂鬱になる、イライラする。

社会的に大人の振る舞いをすることは、本当の自分の願望とは逆の振る舞いをしなければならないということである。

だから「我慢」「我慢」で、最後には気力を失い、憂鬱になるのは当然である。
なんだかわからないけどイライラするのも当たり前である。

本当は「助けてー!」と叫びたいときに、逆に相手を助けてあげなければならない。
生きるのが辛いのは当たり前である。

人から世話をしてもらいたいときに、人を世話しなければならない。

甘えたいときに人を甘えさせなければならない。

ゆりかごを押してもらいたいときに、自分の方がおさなければならない。

自分が養ってもらいたいときに、人を養う立場に立たされる。

社会的、肉体的には父親でも、心理的にはまだ子供である。だから、日々無理をして生きていることになる。

日々人知れず我慢をして生きている。

幼児的願望は大人の願望とは矛盾する。大人の願望とは、与えられることよりも与えることに喜びを感じる。

対人恐怖症、社交不安障害の人が、大人の立場に立たされることは、たいへん辛い。
自分の願望とは逆のことをすることを周囲から期待されるからである。

したがって、大人になってからも、自分の感情が、この満たされない幼児的願望に心の底で支配されていると、毎日が辛い。

心理的に健康な人には想像もできないほど毎日が苦しく大変である。

※参考文献:自分の受け入れ方 加藤諦三著