我執の人

対人恐怖症、社交不安障害の人にとってひつようなのは、「がんばれ!」と励まされることではない。

必要なのは、一緒にいても負い目を感じさせないことである。

一緒にに何かをしていても負い目を感じさせない人、一緒に話をしていても負い目を感じさせない人、一緒に散歩をしても負い目を感じさせない人、そんな人を、対人恐怖症、社交不安障害の人達は必要としているのである。

社会的権威のある人などは最も好ましくない。

負い目のある人はもともと、社会的体面を重んじる家庭で育っている可能性が多く、それらの家庭には主権的人物がいて、服従依存の関係を結ばされてきたからである。

だから、社会的権威のある人の前にくると、体裁をつくろい、緊張し、理由もなく負い目を感じる。

何かその人に対して自分が役立たねばならないように感じてしまう。

幼年期からもっている自我理想に向かっての努力を、なおいっそうしなければならないように感じてしまう。

対人恐怖症、社交不安障害を克服したい人に必要なのは、社会的権威はないけれど情緒的に成熟していて、欠点をとがめたり、、妙に励ましたりしない人である。

むしろ自我理想への要請を軽減させてくれるような人である。

今の自分でも、相手に引け目を感じなくて一緒にいられる人である。

もっとも、他人の罪にまで罪責感を持つ人であるから、引け目なく付き合える人を探すということは大変困難である。

このように、引け目、負い目に苦しんでいる人は、我執の人に所有されてきていることが多い。

父親や母親が我執の人であった、あるいは世話をしてくれたおばあさんが我執の人であったということが多い。

我執の人に何かしてもらったら、してもらった側は、してもらったという恩を心に焼き付けなければならない。

その感謝の念を少しでも忘れたり、相手に示さなかった場合、ひどく苦しめられる。

負い目に苦しんでいるある人が、次のようなことを話してくれた。

まだ小学校の頃であった。

自分ではどうしていいかわからなかったが、父親が突然怒り出した。

兄弟4人が居間に集められ、父は鬼のような顔をしてみんなをにらみつけた。

そして、「明日からお前たちは、働きに行け」と怒鳴り、「なにもおまえたちを食べさせてやらなければならないことはない、俺が働いて、おまえらが遊んでていいなどということはどこにもないんだ!」と怒り狂ったという。

兄弟の誰かが、その我執の強い父親に、充分感謝の気持ちを表現するのを忘れたらしいのである。

つまり、我執の強い人にそだてられるということは、朝食を食べさせてもらう、学校に行かせてもらう、こんないい服を着せてもらう、お弁当を持たせてもらう、勉強させてもらう、晩御飯を食べさせてもらう、雨露しのげる家にいさせてもらう、寝る場所を与えてもらう・・・ということになる。

もう、五体を親から譲り受けて、息もさせてもらっているという感じなのである。

充分に感謝の情を表現している限り、これらの親はべとべとに子供に密着して愛する。

もちろん、愛するといっても我執の人の愛であるから、相手の存在をそのまま受け入れるというのではない。

我執の反対は受容である。我執の人の愛とは、所有することである。

しかし当人は、自分の愛は強いと信じている。

我執の父親は、妻子ののほんの些細な行動にすぐに怒り出す。

そして次のようにいう。

「俺がこんなに愛情深くなければ、ここまではいわないんだ」

これはその父親がよく使う表現だったという。

つまり、妻子のことを考えるからこそ、要求が多くなるということである。

この我執の人の、自己本位の強い愛情にからみつかれたら、到底はリラックスはできない。

息詰まるような重苦しい雰囲気になり、あるのはただ、苦渋に満ちた束縛感だけである。

しかし、ここで大切なのは、「私は自由だ」ということを、子供はその我執の父親に伝えることである。

そうでない限り、この我執の人は怒り狂う。「俺がこんなに愛しているのに・・・」ということになる。

したがって、恋愛の場合であれば、たいていはいきぐるしくなって逃げ出してしまう。

そして、体面上逃げ出せない人は「所有」されて、気力を吸い取られ、やがて無気力で疲れ果てて自暴自棄になる。

我執の人は愛しているつもりでも、実は憎んでいるのである。

そして、相手を自由にしているつもりでも、束縛しているのである。

したがって、相手が自分の「愛」に応えないと怒る。

自分は愛しているつもりであるから、相手がそれに知らん顔すれば、「いったいどういうつもりかね」ということになる。

恋愛の場合なら、賢明な人は逃げ出していく。しかし、親子関係ではそうはいかない。

そのうち子どもは、引け目、負い目、自己無価値感に苦しむようになる。

というのは、何をしてもらうにしても常に感謝を要求されるからである。つまり、ありのままの自分は、そのままでは、他人に何か世話をしてもらうだけの価値が無いのだということなのである。

また、相手は自分に何かすることを決して喜んではいないということである。

もし喜んでいれば、そんなに恩着せがましいはずがない。

かくて、このような我執の人に育てられた人は、
他人は喜んで自分と付き合うことはない、じぶんはいつも他人の負担になっているのだという感情を、自分の中に根づかせることになる。

父親とお風呂に一緒に入って背中を洗ってあげても「ありがとうございました」といわなければならなかった、と語った人がいる。

どこかで食事をさせてもらえば「ありがとうございました」、どこかに散歩につれていってもらえば「ありがとうございました」・・・何をしても「ありがとうございました」と幼い日から言い続けていれば、ありのままのじぶんに負い目を感じてくるのは当然である。

対人恐怖症、社交不安障害を克服したい人は負い目を感じさせない人と付き合うことである。

※参考文献:自分を嫌うな 加藤諦三著

 

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