子育ての原点は、「子供を育てる」というよりも「子供をかわいいと思う」ことである。

子供は可愛いと思われるから心理的に成長できる。

それなのに、対人恐怖症、社交不安障害やうつ病になるような人は、誰からも「かわいい」と思われないで育った。

周囲の人は、その人を将棋の駒を動かすように働かせた。

それは、家でも会社でも同じである。周囲の人は、その人を自由に動かせる心地よさを味わっていたのである。

対人恐怖症、社交不安障害やうつ病になるような人は、そうした人間関係のなかで心理的に成長することができなかった。

幼児的願望が心の底に残った。

幼児的願望は、幼児期に満たそうとする限り、社会的に問題を起こさない。

幼児が幼児的願望を満たそうとわがままを言うのは当たり前だ、と周囲の人が思っているからである。

しかし、大人になってそれを満たそうとすると、社会的に破綻することが多い。

幼児的願望を持っている人の特徴は、その場で自分を満足させようとすることである。

幼児は待てない。

したがって、幼児的願望が満たされていない「5歳児の大人」は、時間をかけて何かを達成することができない。

したがって、幼児的願望をもった人が、もし遊びたい気持ちを抑えて頑張って努力しても、その努力の成果を今見たい。

そのどりょくが先々の人生で表れてくるというのではダメである。

将来その努力が表れてくると思って、待つことはできない。

だから、もし努力したとすれば「今すぐ賞賛がほしい」となる。

しかし、その場の賞賛は得ても、長い人生の軌道を狂わせてしまう。

幼児的願望を持っている人は、努力したとしても、その場その場の満足を求めてしまう。

先のことを考えられない。

だから、たいていの場合、最後の結果は悲惨である。

世の中には、その場で賞賛を得られても、その行為をすることが将来にマイナスになるということがたくさんある。

その場で賞賛を得られても、周囲の人々の恨みをかって将来は大変なことになるということがある。

でも幼児的願望を満たそうとする人は、それを我慢できない。

その場でその賞賛を得る方を選んでしまう。

たとえば他人の力によってできたことを、自分の力のように人々に宣伝する。

周囲の人から賞賛を得る。その結果、仲間内から「あいつは信用できない」となってしまう。

したがって、幼児的願望を満たしていない大人は、長い期間をとってみると、努力する割には報われないのである。

欲張りな人、今を癒してくれる人を好きになる。

自分の命を守ってくれる人を求めない。自分の命の尊さを知らない。

幼児的願望が満たされていない人は、自分に無理をして努力をしても、地に足の着いた生き方ができない。

人間社会では、最後には地に足の着いた生き方が人に幸せをもたらすのだが、幼児的願望の満たされていない人は、それができない。

一攫千金を夢見る山師などが破たんするのは仕方ないが、遊びたい気持ちを抑えて真面目に働いた人も、「時を待つ」ことができなければ、最後には社会的に破綻する。

社会的に破綻するとは、対人恐怖症や社交不安障害になるとか、アルコール依存症になるとか、犯罪に手を染めるとか、無気力になるとか、うつ病になるとか、家族を養えなくなるとか、自分に相応しい仕事ができなくなるとか、仲間と折り合いが上手くいかなくなるとか、子育てに失敗するとか、社会の中で生きていく能力を失い、生活が破たんすることなどである。

対人恐怖症、社交不安障害を克服したい人はまず地に足をつける努力から始めてみましょう。

※参考文献:自分の受け入れ方 加藤諦三著