要求水準の高さ

自分を見失っている者に、勇気を持て、自信を持て、元気を出せと言っても、よけいに自分を見失うばかりであろう。

自分を見失っている者に対して親切であるということは、自分を見出させてあげることである。

そのためには、自分を見失っているその人を、見失ったままで受け入れてあげることである。

受け容れられるとは、その人がつきあいにおいて自分に負い目を感じなくてもいいということである。

恩着せがましい親に育てられた要求水準の高い子供は、決定的に負い目を感じて歪んでしまう。

恩着せがましさによって、その子は自分自身が生きること、そのことに負い目を感じるようになってしまう。

ここにこそ、最低の父親とは子供に感謝を要求する父親である、ということの意味がある。

恩着せがましい親に育てられた要求水準の高い子供は、負い目の重荷を背負いながら生きることになる。

人に堂々と接することができない。他人に何か頼むことができない。

何かを頼むということは、負い目の重荷を増やすことでしかないからである。

身近な人にさえ、「これをしてほしい」ということが言えない。

無力な幼児のころから感謝を要求されて育ち、自分の存在そのものに負い目を感じているからである。

何をするにも、絶えず気が引けている。何も気が引ける必要のないところでも気が引ける。

ある要求水準の高いビジネスマンは、バーに行ってお金を払って飲んでいるのに、カウンターの向こうにホステスが来ると疲れるという。

ホステスが自分の話に退屈するのではないかと思うと、苦痛だというのである。

ホステスは別に、恩着せがましくお客の前に来て話を聞くわけではないだろう。

しかし、そのように育てられると、すべての人に恩着せがましい要求水準の高い息苦しさを感じてしまうのである。

そして要求水準の高い人はホステスが席を外すと、ホッとする一方、やっぱり話がつまらなかったのだとしょげ返ってしまう。

こういう要求水準の高い人は絶えず負い目の重荷を感じているから、人に会うと、まず「すみません」と謝ってしまう。

要求水準の高い人は客観的に謝る必要のないところで、思わず謝ってしまうのである。

要求水準の高い人はほんのちょっとした失敗でもオーバーに謝る。

要求水準の高い人はオーバーに謝っても内心の安定は回復しない。

要求水準の高い人は気がすまないのである。

要求水準の高い人はそこで2回も3回もくどいほど謝ったりする。

ちょっと約束の時間を間違える、出すように言われた手紙を出し忘れるなど、たいしたことのない失敗で、大変な気分の動揺をきたす要求水準の高い人がいる。

相手はそのことで自分を責めていないのに、責められているような気になってしまう。

この人達が要求水準の高い人である。

ある要求水準の高い人はビジネスマンは、ゴルフに行くときは必ず、気持ちが動揺する。

要求水準の高い人は奥さんに責められているように感じてしまうのである。

奥さんはご主人がゴルフに行くのを実際には責めていない。

彼はほんのわずかの負い目も避けたいのである。

自分が今現在背負っている負い目の重荷で、もう精一杯なのである。

自分のためにやることは全て負い目を増すだけである。

負い目の重荷がいよいよくつうになると、肉体的に必要な、休息することにすら安住できなくなる。

自分のための休息は良心の負担にまでなる。

したがって、家でゴロゴロしていても気持ちは休まらない。

義務を果たしていると他人が見てくれているときが、最も安心できる。

負い目のない健康な人から見れば「思い切って休んだら?」とか「思い切って2,3日旅行にでも行って来たら?」とかなるのであるが、2,3日旅に行くなどということは、良心の負担を増すばかりで、とんでもない話である。

だからといって要求水準の高い人はいつもいつも疲れている。

要求水準の高い人はいつも休みたいが決して思い切って休めない。

要求水準の高い人は何かすっきりしない毎日である。

それを見ている健康な人は「どうして、もっとはっきりしないのだろう」と首をかしげることになる。

自分の仕事に対する要求水準が質、量ともに高くて休めないのである。

負い目を感じている人間は、会社の仕事をよく家に持ち帰る。

切り替えができないのである。

H・テレンバッハの「メランコリー」には「仕事の量は、時として信じがたいほど大量になる場合がある。

まるで仕事に魅せられたような働きぶりで、休日にも、仕事からかいほうされたという感情は決しておこらないし、仕事から解放されたという感情は決しておこらないし、仕事から解放されようというような気も起らない。

だから多くの患者は一度も定期的な休暇を取ったことがないということになる。

何人かの患者は20年来1度も休暇を取らなかった」とある。

自分の仕事での要求水準をさげられなかったのは、結局は、心の底の低い自己評価が原因であろう。

負い目のあるにんげんはそれゆえにいつも疲れている。仕事においても、対人関係においても、自己への要求水準が高すぎて、実際の自分はついていかれない。

そこに負い目が生まれる。

要求水準の高い人は家庭の主婦などでも、家に座ってられないという人がいる。

要求水準の高い人は夜中まで編み物をやめられないという人もいる。

対人恐怖症、社交不安障害を克服したい人は、自己評価を高めて、自分への要求水準を下げることが一歩である。

※参考文献:自分を嫌うな 加藤諦三著

 

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