一人は、自分は他人が喜んで付き合ってくれるような人間ではないと感じ、もう一人は、自分に自信を持っている。

客観的に見て似ている人間でも、どうしてこのように違う感じ方をするのでしょう。

自分はなんだか好かれていないと無意識の領域でなんとなく感じている人は、そうなるような育てられ方をしているのである。

何か失敗したり、親の期待にうまくこたえられなかった時、ひどくがっかりした顔をされ、そのがっかりした表情、失望をあからさまにした様子に、幼い心はひどく傷ついたはずである。

その時の苦しかった心の痛みを避けたい、それが、成長後もあらゆる行動の動機となってしまっているのである。

他人の期待を先取りしてそれに応えようとするのも、実は、その心の痛みを避けたいためなのだろう。それゆえに、他人の期待に応えられるかどうか、絶えずストレスを感じている。

他人にそこまで迎合して、自分を殺してしまうのも、幼い日の心の痛みを感情が知っているからである。

親が子供に与えるべきは、なにかうまくいかなくてもがっかりされないという安心感なのである。

がっかりされながら育ってきた人、対人恐怖症、社交不安障害の人は、自分の存在そのものに自信がもてるはずがない。自分は他人の期待に応えられた時のみ、立派なのであるからです。

しかも、子供をそのように感じさせる親というのは情緒が未熟であるから、「完璧な人間」を期待する。情緒が未熟であればあるほど、他人に完璧を期待する。

子どもは、成長して親の期待を他人に転位していく。
他人もまた、自分に完璧を期待していると錯覚するのである。

だから懸命に自分の弱点を隠そうとする。

対人恐怖症、社交不安障害を克服したい人は他人が自分に完璧を期待しているという錯覚から目を覚ますことである。

※参考文献:自分を嫌うな 加藤諦三著