愛するものは救われる。

愛する者は自らを救えるから。

愛する能力ができて初めて、この人生は生き抜ける。

愛する能力があるものには安らぎとなる人間関係も、資する能力がないものには負担となり、結果として憎しみとなる。

そして、一般的にいえば、愛されなかった者は愛することができない。

そして、愛されなかった人は人を信じることができない。

自分が困って助けを必要とするときに、親がそこにいなかったことを体験しているからである。

子供のころ、親は自分を助けてくれると信じていた。

しかし、自分が困って助けが必要な時、助けてくれなかった。

彼は裏切られたと感じた。

こうしたことの繰り返しの中で、彼は人を信じられなくなった。

人を信じることができず復讐的になっている人が、お金を持っただけで、どうして幸せになれるだろうか。

幸せの基礎は愛である。愛されて初めて、愛する能力もできてくる。

人は初めから愛する能力を持っているわけではない。

愛されることで成長し、愛する能力が生まれるのである。

憎しみは無力感の表れだとエーリッヒ・フロムは言う。

生産的に生きている人は、憎しみの処理ができる。

憎しみの処理は、愛されなかった者の人生最大の課題である。

ということは、幼児的願望の処理は人生最大の課題である。

幼児的願望が全く満足されないままに大人になってしまった人は、どうすればいいか。

ある人は罪を犯す。

ある人は非現実的な正義を唱えて政治的過激集団に入っていく。

しかし、多くの人は仕事において強迫的に名誉を求めて燃え尽きる。

あるいは、恨みを持ちつつ愛着人物にうるさくまとわりついて、逃げられて孤独になる。

そして、人を憎み、夜を恨んで死んでいく。

対人恐怖症、社交不安障害を克服したい人は、愛することが人生最大の課題である。

※参考文献:自分の受け入れ方 加藤諦三著