社会的知性の本質は演技すること
人類が人類たるゆえんは、どこにあるのかという問いに対して、二足歩行であるとか、言葉を使うこととか、道具や火を使うことが挙げられてきた。
直立二足歩行によって、重い脳を支えることや手を使うことが可能になり、脳の進化が促されたというのも有力な仮説である。
実際、視覚にかかわる領域とともに、手の感覚や動きにかかわる脳の領域はとても広く、高度な作業を可能とする動作性の知能の発達は、脳の進化の一つの原動力となったことは間違いない。
もう一つは言語的知能の進化である。
言葉というシグナルを用いることによって、人類は高度なコミュニケーションの技と知識を獲得し、それを次代に継承し、発展させることもできるようになった。
だが、人類はなぜそもそも道具を用いて複雑な作業をしたり、高度な言語を操る必要があったのか。
そこまで考えたとき、人類の脳をサルの脳を超えるものに進化させた真の原動力が、別のところにあったのではないのかという仮説が浮上する。
それが、「社会的知性仮説」と呼ばれるものである。
それによると、人類が大きな群れを形成するようになったことにより、群れの仲間の顔や序列を覚えたり、序列の上位者の逆鱗に触れることを避け、庇護を獲得したりすることが生き残りを左右するようになり、その結果、相手の心を読み、戦略的に行動する社会的知性を進化させることとなり、大きな脳をもつようになったというのだ。
言葉もまた群れで暮らしていく上で必要なものであり、本来は社会的な能力と密接に結びついて進化したと考えられる。
道具を用いた作業が必要となったのも、大きな群れを支えていくことと密接な関係があっただろう。
社会的知性仮説が根拠としている一つは、サルから人への脳の巨大化と群れのサイズの拡大が比例しているという事実である。
グローバル化した現代社会は、群れのサイズが極大化した世界だとも言える。
人間の脳の容量ではとても追いつかず、ITやAIがそのギャップを埋めることで成り立っている。
極大化した群れにおいて、成功を左右する要因として、ますます社会的知性の重要性が増しているのかもしれない。
社会的知性は、別名をマキャベリ的知性ともいう。
マキャベリとは、ルネッサンスの時代に外交官として活躍し、引退してから著した『君主論』において、政治の本質は欺くことだと喝破した人物である。
たとえば、マキャベリは、こう述べる。
君主たるものにとって、本当に誠実であることは有害だが、誠実であるふりをすることは有益だ、と。
ふりをして、相手を欺く能力こそが、君主の条件だとするマキャベリの主張は、君主に限って当てはまることではなく、幼い子どもからビジネスパーソンや芸能タレントまで、うまくやろうと思えば、求められる能力となっている。
ふりをして、相手にそう信じこませること、つまり演技することが、社会的知性の本質であり、本当の頭の良さということになるのである。
それは、あまり暴かれたくないことかもしれないが、現実を動かしている真実なのである。
演技性といった、ある意味、道徳的には、あまり評価されないような特性が、現実には、成功と強い結びつきを示している。
言語性や動作性の知能においては、むしろ劣っていても、人一倍成功を手に入れることができるのは、本当の頭の良さである社会的知性にもっとも恵まれているからだと言えるだろう。
社会的知性とは、相手の信頼や関心を獲得し、巧みに接近し、思いのままに利用する能力でもある。
しかも、相手から進んでそうさせるように事を運ぶ。
それが可能になるのは、愛着という仕組みを逆手にとって、それを操ることができるからだ。
社会的知性の中核をなす演技性の能力を中心に、それ以外にも、成功や社会適応に有利に働く自己愛性や反社会性といった能力についても、それをどう取り入れ、活用していけばいいのかを考えたい。
対人距離を決める要素
対人距離を決める要素として、愛着の特性や新奇性探求、過敏性などの感覚特性などがかかわっていた。
愛着と感覚特性が、結びつきをみせることも見てきた。
つまり、過敏な人では愛着回避が強まり、感覚探求が高い人では愛着行動が強まる。
愛着回避や愛着不安は阻害要因として働く一方、愛着行動と愛着期待の強さは、親密な関係への促進要因となる。
そして、愛着の安定性は、両者のほどよいバランスを保ち、関係が長く維持されるのに寄与する。
親密な関係になろうとするならば、愛着回避や愛着不安を抑えるとともに、愛着期待を高め、愛着行動を活発化させることが求められる。
ただしその場合、愛着安定の原則に則って、ほどよいバランスを欠かないようにすることも大事になるだろう。
ビジネスであれ、恋愛や交友であれ、接近したいと思う存在がいるのに、接近を回避していたのでは、何も始まらないということだ。
回避的な人は、自分にこう言い訳する。
物欲しそうにこちらの好意や意図を知られないように、距離をとっておいた方が安全だし、そのうち向こうの気持ちがこちらに向くかもしれない。
大抵そんな希望的観測を言い訳にして、何もアクションを起こさず、傷つかないように現状維持に終始する。
だが、そうしていても、何年たとうが、関係が進展することはない。
こちらに関心をもってもらい、親密な関係に踏み込もうと思うならば、回避せずに愛着行動を増やすしかない。
このことは、統計的な調査でも裏付けられている。
自分から声をかけたり、好意を打ち明けたりする人ほど、親密な関係を手に入れ、楽しんでいるのである。
一度断られてもダメとは限らない
ある二十代の男性は、大学を中退し、非正規のアルバイトで働いていた。
人付き合いが苦手ではあるが、責任感が強く、職場では他のアルバイトを束ねる役割をまかされるようになっていた。
年下のアルバイトの女性と、仕事上の話を交わすうちに、好意を感じるようになったが、自分のようなアルバイト職員では、相手は興味がないだろうと思い、また、これまでの人生が失敗と失望の連続で、自信がなかった男性は、思いを打ち明けることができずにいた。
しかし、その女性が辞めるかもしれないという噂を聞き、勇気を出して、デートに誘ってみたのである。
結果は、無惨にも断られてしまった。
男性は落ち込んだが、自分で決意して行動した結果だったので、仕方ないと諦め、それまで通り仕事を続けた。
ただ、女性に対しては、少し距離をとって、話しかけることもなくなった。
ところが、しばらくたったある日、女性の方から、最近、よそよそしいのはなぜかと、思い詰めたように聞いてきた。
その後わかったことだが、女性は突然の誘いに心の準備ができておらず断ったものの、それから彼のことを意識するようになったのだ。
ずっと彼からまた誘われるのを待っていたが、彼がすっかり関心を見せなくなったことに不安を募らせ、ついに自分から行動を起こしたのだった。
大部分の人は、そんなに終始異性から好意を打ち明けられたり、言い寄られたりするわけではない。
それは特別な非日常的体験であり、そのインパクトは意外に大きく、じわじわボディーブローのように効いてくることもある。
この男性のように、潔く引き下がったのが好印象を残すこともあれば、二、三度アタックして、ついに心を捉えたというケースもある。
応答性のマジック
親密さを支えている仕組みが愛着である。
愛着がどの程度活性化されるかによって、相手に対する親しみや信頼が変わってくる。
では、どのようにすれば、愛着が育まれやすくなるのだろうか。
愛着形成においてもっとも重要な鍵を握っているのが応答性だとされる。
応答性は相手の反応に、こちらも応えることである。
関心を向ける、声をかける⇒関心を返す、応える
という相互の応答を繰り返すことによって、親密さ信頼が生まれていく。
ここでの基本は、応答の波長を合わせることである。
それによって、相手は心地よく、話しやすいと感じる。
会話をするというと、何か面白い話題を持ち出したり、特別なことを言わないといけないと思いがちだ。
会話がへたくそな人ほど、そうした傾向がある。
巷には、雑談が得意になるために、話の題材を提供するような本まであるが、いろんな話題を持ち出して、べらべらしゃべる人は、本当はあまり会話が上手ではない。
本当に会話が上手な人は、そうしたとってつけた話題など必要としない。
そうしたものは、会話の邪魔でしかない。
本当の会話とは、相手の反応に題材を見つけ、話を深めていくものである。
相手がせっかくその題材を提供してくれているのに、それに反応しないで、自分がネットか雑誌で仕入れてきた話題をべらべらしゃべったりすれば、その鈍感さに呆れられ、迷惑がられるだけである。
相手の答えの中には、相手が話したいことや関心をもっていることのヒントがある。
あるいは、今はあまり話したくないというメッセージがある。
まずそれを読み取って、それに反応できるかどうかが、相手が会話を続ける気になるかどうかを決定するのだ。
応答性に優れている人は、相手の反応をしっかりと捉え、相手が求めている反応を返すことができる。
相手は、この人は話が通じると感じ、心を開いていく。
まずは、日々の会話でこのトレーニングを積み重ねることである。
相手の話にしっかりと耳を傾け、相手が何を求めているのかを読み取り、それに応えていく。
この基本がしっかりできるようになるだけで、人間関係は驚くほど安定し、上手くいくようになる。
ほどよさが大事だが、例外も
応答を活発にすれば、親密さは深まりやすいのだが、度が過ぎると、逆にうっとうしくなる。
ほどよさが必要なのである。
その場合の基本は、相手が応えていないのに、また働きかけを行うことは、原則NGだということだ。
相手が応えたら、それに応えるという相互性が原則である。
相手と親密さの度合いを高めていこうとする場合には、徐々に応答する頻度を増やしていく。
それに応えて、相手も応答を増やしてくるようならば、かみ合っているということであり、互いに親密さを求めていることになる。
ところが、こちらが反応を出したのに、相手からそれに対する反応が返ってこないという場合には、あまり近づかないでというメッセージを出しているのであり、こちらの働きかけも減らした方がよい。
ストーカーという状態があるが、相手からの反応がないのに、一方的な働きかけを行い続けることであり、応答性を無視して、一方が過剰に愛着行動に耽っている状態だと言える。
相手がストーカー化してきた場合の対処の基本も、応えないということである。
少しでも応答してしまうと、まだ脈があると錯覚し、それだけ収束が遅れてしまう。
一切反応しなければ、やがて相手もつまらなくなって、ストーカー行為も沈静化することが多い。
応答性が失われた状態が、関係が破綻した状態であり、そうならないためには、相手の反応のペースに合わせて、こちらも反応するということなのである。
少し反応を増やして、相手が乗ってくるかどうかで、相手の本気度や感触がわかる。
ただ、相手の反応を待っているだけでは、ことは進展しない。
消極的な性質の相手には、積極的に反応を増やし、リードしていくことも重要になってくる。
応答性の原則を逆手に取り、例外的に逸脱することで、非日常的なインパクトを生む場合もある。
演技性や反社会性のタイプは、この手法で相手の意表をつき、ハートを射止めるということを得意とする。
そうした技を取り入れることも、ときには有効。
ただし、あくまでそれは例外的な行動である。
何度も繰り返せば、単なるストーカーか犯罪行為になってしまう。
※参考文献:対人距離がわからない―どうしてあの人はうまくいくのか― 岡田尊司著