これも親との関係です。
Aさんは幼いころから父との関係が上手くいきませんでした。
会話らしい会話も交わすことのないまま、20代のころに母が亡くなり、父との関係はますますこじれていくことになります。
そう、ちょうどAさんがアドラー心理学と出逢い、アドラーの思想を理解するまでは。

Aさんの記憶にあるのは、父から殴られた時の映像です。
具体的に、なにをしてそうなったのかは覚えていません。

ただAさんは父から逃れようと机の下に隠れ、父に引きずり出され、強く殴られました。
しかも一発ではなく、何発も。

父は無口で気難しい人でした、しかし「あのとき殴られたから関係が悪くなった」とかんがえるのは、フロイト的な、原因論的な発想です。

アドラー的な目的論の立場に立てば因果律の解釈は完全に逆転します。
つまり、Aさんは「父との関係をよくしたくないために、殴られた記憶を持ち出していた」のです。

Aさんにとっては、父との関係を修復しない方が都合がよかった。
自分の人生がうまくいっていないのは、あの父親のせいなのだと言い訳することができた。
そこにはAさんにとっての「善」があった。
あるいは、封建的な父親に対する「復讐」という側面もあったでしょう。

これは対人関係のカード、という観点から考えるといいでしょう。
原因論で「殴られたから、父との関係が悪い」とかんがえているかぎり、今のAさんには手も足も出せない話になります。
しかし、「父との関係をよくしたくないから、殴られた記憶を持ち出している」と考えれば、関係修復のカードはAさんが握っていることになります。
Aさんが「目的」を変えてしまえば、それで済む話だからです。

そこで課題の分離です。
たしかに、Aさんと父の関係は複雑なものでした。
実際、父は頑固な人でしたし、あの人の心がそう易々と変化するとは思えませんでした。
それどころかAさんに手をあげたことさえ忘れていた可能性も高かった。

けれども、Aさんが関係修復の「決心」をするにあたって、父がどんなライフスタイルを持っているのか、Aさんのことをどう思っているのか、Aさんのアプローチに対してどんな態度をとってくるのかなど、ひとつも関係なかったのです。
たとえ向こうに関係修復の意思がなくても一向にかまわない。

問題はAさんが決心するかどうかであって、対人関係のカードは常にAさんが握っていたのです。

多くの人は、対人関係のカードは他者が握っていると思っています。
だからこそ「あの人は自分のことをどう思っているんだろう?」と気になるし、

他者の希望を見た満たすような生き方をしてしまう。
でも課題の分離が理解できれば、すべてのカードは自分がにぎっていることに気が付くでしょう。
これは新しい発見です。

Aさんは「父を変えるため」にかわったのではありません。
それは他者を操作しようとする、誤った考えです。

自分が変わったところで、変わるのは「自分」だけです。
その結果として相手がどうなるかはわからないし、自分の関与できるところではない。
これも課題の分離ですね。

もちろん、自分の変化に伴って―わたしの変化によって、ではありません―相手が変わることはあります。
多くの場合、変わらざるをえないでしょう。
でも、それが目的ではないし、変わらない可能性だってある。
ともかく、他者を操作する手段として自分の言動を変えるのは、明らかに間違った発想になります。

対人関係というと、どうしても「二人の関係」や「大勢との関係」をイメージしてしまいますが、まずは自分なのです。
承認欲求に縛られていると、対人関係のカードはいつまでも他者の手に握られたままになります。

結局、Aさんと父親の関係は修復できたと思っています。
父親は晩年に病気を患い、最後の数年はAさんや家族による介護が必要になったそうです。

そんなある日、いつものように介護するAさんに父が「ありがとう」と言ったそうです。
父のボキャブラリーにそんな言葉があることを知らなかったAさんは大いに驚き、これまでの日々に感謝しました。
長い介護生活を通じてAさんは、自分にできること、つまり父を水辺に連れていくことまではやったつもりです。そして最終的に父は、水を呑んでくれた。そう思います。

対人恐怖症、社交不安障害を克服するには、対人関係のカードは常に自分が握っていて行動を起こすことができることを理解しておきましょう。

※参考文献:嫌われる勇気 岸見一郎著