幸せとはなにか

”幸せとはなにか”

幸せとは、問題のないことではない。
問題を扱う心の能力によって、同じことを幸せと思う人もいるし、不幸せと思う人もいる。

”病気でも幸せと思う人がいる”

体力がなく、病気がちの体を持って生まれても、幸せな人はいる。

幸せと捉えられる人は、この病気のおかげで生きている尊さを教えられたと思う。

不幸になる人は、「なんで自分だけが病気になるんだ」と不満になる。

さらに、病気になっている間に皆に後れると思って、焦る。

”家がなくても幸せと思う人もいる”

今の日本の広告をみていると、まるで家がないことがそのまま不幸せであるかのごとく書いてある。
男子一生の仕事はそれ以外にないかのごとくである。

しかし、家が無くても幸せと思う人もいる。

幸せと感じる人は、「自分が元気で毎日過ごしていられること」に感謝する。

幸せと感じられない人は、「あの人はあんな大きな家を建てた。オレは運が悪い」と、家を持っている人を妬む。

そして、「オレも、あの土地が安い時にかっておけばよかった」と悔やむ。
悔やんでも仕方のないことを悔やむ。
そして、悔やむことにエネルギーを使う。

家を持っていても、毎日不愉快に過ごしている人もいる。
豪華な家の中で、家族が険悪な関係で生きていることもある。

なかには、高級住宅地で家庭内暴力に苦しんでいる人もいる。

人間は家を持つことで幸せになれるわけではない。

幸せになれるかなれないかは、家があるかないかで決まるわけではない。

ものの捉え方で幸せになれる人か不幸せになる人かが決まるのである。

”過酷な仕事でも幸せと思う人もいる”

過酷な人生の人と、過酷でない人生の人がいる。

過酷な人生を自らの運命として受け入れた人と、最後まで過酷でない人生に執着した人がいる。

過酷な仕事をしている人と、過酷でない仕事をしている人がいる。

でも、過酷でない仕事をしていても、不幸せな人も多い。

幸せと捉えられる人は、「あえて困難な仕事と取り組むことができた。これこそがオレの生きる夢だ」と考えている。

過酷な仕事を嘆く人は、「どうして自分はこんな過酷な仕事をしていなければならないのだ」と不満に思う。

ただ、こういうことを言うタイプの人は、たいてい実際には過酷な仕事をしていない。

過酷な仕事を自分への挑戦と捉えるか不満に思うかは、その人のパーソナリティーによる。

”一人でも幸せと思う人もいる”

フロムによれば、人は「孤立と追放」をもっとも恐れるという。

たしかに孤立することは怖い。
でも一人で幸せと思う人もいる。

一人でいることを幸せと捉えられる人は、自分の楽しみを持っている人である。

不幸せと捉える人は依存心が強いから、一人でいる淋しさに耐えられない。

さらに、「一人って他人が見たらみじめに思うんだろうな」とよけいなことまで考える。

※参考文献:自分の受け入れ方 加藤諦三著

 

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