対人恐怖症、社交不安障害の人が面と向かって人格を攻撃されたらどうしたらよいのか。
まず、「我慢する」という発想は、あなたがいまだ権力争いにとらわれている証拠です。
相手が戦いを挑んで来たら、そしてそれが権力争いだと察知したら、いち早く争いから降りる。
相手のアクションに対してリアクションを返さない。
我々にできるのはそれだけです。

そして怒りをコントロールするとは我慢することと同じことで、怒りと言う感情を使わないで済む方法を学びましょう。
怒りとは、しょせん目的をかなえるための手段であり、道具なのですから。

まず理解していただきたいのは、怒りとはコミュニケーションの一形態であり、なおかつ怒りを使わないコミュニケーションは可能なのだ、という事実です。
我々は怒りを用いずとも意思の疎通はできるし、自分を受け容れてもらうことも可能です。
それが経験的にわかってくれば、自然と怒りの感情も出なくなります。

怒ってはいけないのではなく「怒りという道具に頼る必要がない」ということです。
怒りっぽい人は、気が短いのではなく、怒り以外の有用なコミュニケーションツールがあることを知らないのです。
だからこそ「ついかっとなった」などといった言葉が出てきてしまう。
怒りを頼りにコミュニケーションしてしまう。

我々には言葉があります。
言葉によってコミュニケーションをとることができます。
言葉の力を論理の力を信じるのです。

権力争いについてもうひとつ。
いくら自分が正しいと思えた場合でも、それを理由に相手を非難しないようにしましょう。

ここは多くの人が陥る対人関係の罠です。

人は、対人関係の中で「私は正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れているのです。

私は正しい。すなわち相手は間違っている。そう思った時点で、議論の焦点は「主張の正しさ」から「人間関係の在り方」に移ってしまいます。
つまり、「私は正しい」という確信が「この人は間違っている」との思い込みにつながり、最終的に「だから私は勝たねばならない」と勝ち負けを争ってしまう。
これは完全なる権力争いでしょう。

そもそも主張の正しさは、勝ち負けとは関係ありません。あなたが正しいと思うなら、他の人がどんな意見であれ、そこで完結すべき話です。
ところが、多くの人は権力争いに突入し、他人を屈服させようとする。
だからこそ、「自分の誤りを認めること」を、そのまま「負けを認めること」考えてしまうわけです。

負けたくないとの一心から自らの誤りを認めようとせず、結果的に誤った道を選んでしまう。
誤りを認めること、謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りること、これらはいずれも「負け」ではありません。

優越性の追求とは、他者との競争によっておこなうものではないのです。

眼鏡が曇って目先の勝ち負けしか見えなくなり、道を間違えてしまう。
対人恐怖症、社交不安障害を克服したい人は競争や勝ち負けの眼鏡を外してこそ、自分を正し、じぶんを変えていくことができるのです。

※参考文献:嫌われる勇気 岸見一郎著